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自己肯定感について考える|その2

以前書いた、自己肯定感の話。

友人に「(私の)自己肯定感が異常に高い」と言われて、なんでそんなことになったのか?と考えて書いた文章です。

それで、その後もずっと考えていて(暇なわけではないのですが…)、もうちょっとシンプルな答えに行き着きました。

きっかけは、同じく自己肯定感の高い主人と話していて、「そういえば、我々は自分の意見を曲げるってことをあんまりしないよね」という話をしたこと。自分のしたいことを優先する二人ですが、意外にも?喧嘩はあまりしなくて、お互いが勝手にやっています。

例をあげますと…

◇海外旅行に行って別行動(主人はサッカースタジアムへ、私と子供は美術館へ)

◇休みの予定は、スケジュールアプリに入れたもの勝ち

◇コロナワクチンを私は受けて、主人は受けない とか。

最後のコロナワクチンのところは、夫婦で受ける受けないの方針が違うということによく驚かれますが、私も主人も考えて出した答えが違うだけなので、特に不満はありません。それ以上に、自分がこうと決めたことを人からとやかく言われるのが大嫌いなのです。

それで、ほーっと自分の人生を振り返った時に、常に選択権は自分にあり、おおよそ人に譲るということをしてこなかったなぁと思ったんですよね。

勉強するもしないも、進路をどうするも、痛い目にあいながらも自分で決めてきましたし、欲しいものは親にプレゼンして認めてもらったり、些細なことでいえば、休日の食事の選択の主導権を握るために、自ら調理を買って出ることもよくやっていました。

誤解のないように言うと、なんでも自分の思い通りにならなきゃ嫌だ!とかそういうことではないのです。ただ、大なり小なり、したいことがあったときそれを叶える手段を色々講じながらやってきたのは確か。そして、やりたくないことは基本的にやらないですむ方法を全力で探します。(グループ行動はことのほか苦手で、勿論友達は少ない…というタイプ。それがいい悪いというのは、別の問題としてありますが…)

しかし、考えるまでもなく「自分のやりたいことは実現する」。そう思っている人の自己肯定感が低くなるわけがないですよね。

そう考えたとき、今私が子供たちにできることは、「自分がやりたいことを叶えるために何ができるか」を教えつつ、心からの希望はこちらが労力を割いても(時間、金銭、アイディアなんでもいいのですが)叶えてあげる、それが難しいときは、せめて心から耳を傾けることなのだと思います。

特に、我が家の場合、長女は自分の意見を通したがる両親と妹に囲まれていますし、次女はどうしても長女の予定に付き合わされることが多い。
それぞれによく希望を聞いて「自分の希望は叶えられる価値があるものだ」ということを感じて育って欲しいなと改めて考えるようになりました。


よりたくさんの良書をお伝えできるように、頑張ります!