わたしの怒り、のこと。

子どもをサッカーに連れていく。
標高の高いところから
盆地にいく。
10度は違う。


暑すぎてびっくりする。


原因は人間なのだ。


そして、それでも
社会ではかわらず
高級車が走り回り
冷房をがんがんかけたまま
アイドリングして
子どものサッカーが終わるのを待つ駐車場。


気持ち悪くなるほど
怒りが込み上げる。


かんたんにいうと
グレタさんが
怒りとともに
表現することを
よくないというコメントやら記事やらを読む。


いや、怒るよ。普通に。

ある人と話していて
日本人は大きな抱えきれない痛みがあると
分離してなかったことにするのが得意だと言っていた。


なかったことにしたものはどこへいくのだ。
どこへもいかず
それはいじめやら誹謗中傷として
いびつになって吹き出しているのではないかと思う。


怒りは大切にしたいことがあり
そこに情熱があるというサインだと思っている。


わたしはこの地球で
こんなふうに破壊が進行していることが
とにかく
いやなのだ。

こんな酷暑を毎年子どもたちとその子どもたちが
体験し、
沈みゆく陸地から逃れて争っていきていくのか。

この五十年、その破壊のシステムの一部であった自分のしたことを
始末つけてから死にたい。
そのために灰も残らないほどもえつきてやると思っている。

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