理解されないと思うが故の生きづらさがぐお〜っとあがってくるという事態になったらば。

あ〜またきたよ。
何がきっかけなのか、もはやわからん。

気力という気力が消え失せているとある日曜の午後のこと。
そうなった理由の多分ひとつを書いてみる。


最近、「お金」という仕組みがなくていいと思っていて
それは資本主義経済が終わってほしいと思っていて

なぜなら
「お金にならない」「マイナスになる」という理由で
地球からやグローバルサウスからの搾取がやまないと思っているからである。

お金いらない
お金じゃないもので報酬を、、とか

そういう話をすると
そうはいっても必要だからねと
たいてい心底は理解されない。

そりゃ、わたしだってお金がないと困ることがある。
子どもの学費。
美味しいもの。
子どもの欲しいもの。
ガスに電気。
税金。住宅ローンに税金などなど。

でもそれを支払った先はどうだろう。
いくら願ったところで

人間社会にいる限り、
この地球から搾取するシステムの一部になっている。
そのことが
やたら辛い。

これはたんに気持ちの問題なのだが
この辛さに共感する人にはめったに出会わない。
いままで出会ったことがない。

気候危機を終わらせたいと願いながら
石油由来の商品や、熱帯雨林を破壊して作られたパームオイルを使った暮らしから
脱却できないシステム。

わたし一人が
すべてを自給自足したところで終わらないシステム。

どうしたら終わるの〜ともがきながら
理解されない痛みに悶える孤独。

こういうときはひたすら自己共感と
すぐ隣にいる人に
助けを求めるに限る。

そして夫と暇さえあればランチにモーニングにいっては
話をした。
この話をした。

最近、話を訊くのがほんとうまくなった夫はこの話もちゃんと聞いてくれた。
訊くとは、そう思ってるんだね、そう感じているんだねと、ただ受け取ることなんだけど、
おかげですーっとまた生きる気力が湧いてきた。

やはり訊くは偉大だ。








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