なんのこととは特に言わないけれど、私の今の気持ち。

高校生の時、
電車を何度も乗り継いで、初めて地下鉄に乗って、3時間以上かけて初めて六本木に行った。

そこからまた2~3時間待って、ようやく夢見ていた場所に座ることができた。

憧れの人は、テレビで見るのとおんなじ笑顔で私に話しかけてくれたけれど、
緊張しすぎて、写真もサインもお願いできなかった。

それならばその人の全てを自分の目に焼き付けておこうと、
一挙手一投足を見逃さないように、まばたきするのも惜しいくらいにその人を見つめることにした。

しばらくするとその人は、生地を泡立ててココット型に注いで、それをオーブンに入れた。

きっと私が注文したスフレだ!

自分の番が来たのが嬉しくて嬉しくて、今度はオーブンにくぎ付けになった。

少しずつふくらんでいくスフレは、見ているだけで私を幸せにしてくれて、
タイマーが鳴ってオーブンが開けられたときには、悲鳴みたいな声が出そうだった。

憧れの人は、私のスフレにそっと粉砂糖をかけて、笑顔で私に差し出してくれた。

私のためだけに作られたスフレは
ふわっふわで、口の中でしゅわっととけて、優しい甘さだけが後に残る、魔法みたいなスイーツだった。


このカウンターの内側に行きたい。

前からずっと思っていたことだったけれど、実際にその空間に足を踏み入れてみて、
改めてその思いが強くなった。

このカウンターの内側に行きたい。

私はその後の数年間、その目標のために自分の全てを懸けたし、
本当にたくさんのものを犠牲にしたとも思う。

もしこの世界にあの場所がなければ、私の人生は良くも悪くも全く違うものになっていたはず。


数年後、フランス留学から帰国した私は、第一志望一本に絞って就活し、無事に内定を得ることができた。

そして2013年のホワイトデーからしばらくの間、私は念願のあの場所で働くことになる。

けれども憧れの場所は想像以上にハードな場所で、
本当にさまざまな、筆舌に尽くしがたいほどのさまざまな犠牲の上で成り立っているような場所だった。

そんな戦場みたいな場所にあっても、憧れの人はあのときと同じ笑顔で、
いや、それ以上の思いやりで私に接してくれた。

この強烈な光のせいで、想像を絶するような犠牲が払われていることも確かだけれど、
この強烈な光があるから、この場所はぎりぎりのバランスで成り立っているんだな、
と思ってしまうような、そういう有無を言わさぬ光だった。

こういう人をカリスマと言うんだろうな、とぼんやり思った。


とはいえメンタルお豆腐マンの私のメンタルは無事に崩壊し、
その戦場にはたったの数ヶ月しかいることができなかった。

その数ヶ月間も、それからしばらくの間もずっとつらかったけれど、
それでもあの憧れの場所を嫌いになったり、あんな場所に足を踏み入れなければよかった、
なんて思うことは、今に至るまで一度もなかったし、多分これからもないと思う。

むしろ今でもあの場所は、私の憧れなんだと思う。
日常的に意識することはないけれど。


で、何が言いたいかというと、私は気づいたのです。
あのイベントをしたかったのは、誰よりも自分だったのだと。

誰かのためなんかじゃなく、私のために、やりたかったんだって。

憧れの場所を、自分で再現出来たらどんなに楽しいだろうって、
きっと私は無意識にそう思っていたんだと思う。


いろいろなものをゼロから作ったから本当に大変だったし、しんどかった。
けれど、絶対に大丈夫って確信があったし、「楽しい」が上回ってたからギリギリどうにかなりました。

もう1人の私の憧れのカリスマは、やっぱり想定通りすごかったし。

私のわがままに付き合ってくれてありがとう。

お客さんも含め、みんなで作ったあの場所が、すごく楽しくて幸せでした。


成功できるかできないかの次元じゃなくて、
成功できるし成功すべき人っていうのが一定数いると思っていて、
そういう人が放つ光が好きだ。

すでに成功していようと、まだ成功していなかろうと、それはいつでもちゃんと光ってて、
そういう人がしかるべき場所で光っていることが、世界を平和にするし、人類を幸せにすることだと信じているから。

そういう人は、自分の放つ光のせいで、自分の中に影ができてしまうこともあるのかもしれないけれど、
影なんて、放たれる光をただ見ているだけの私のような人間の後ろでぼーっと伸びていたらいいんだよ、って思う。

できれば、その光がこれから何を照らすのか、遠くからでいいから見ていたいなと思うのです。

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