みずほフィナンシャル・グループ(以下、みずほFG)

みずほフィナンシャル・グループ(以下、みずほFG)


三大メガバンク・グループにおける みずほFGの「現在位置」


 大規模なシステム障害を受けた金融庁の行政処分の結果、2022年2月に木原正裕体制となったみずほフィナンシャル・グループ(以下、みずほFG)の「現在位置」である。

 みずほFGの2024年3月期決算は、純利益が6789億円(前年度比22.2%増)となり、先週末(6月21日)の株価が3100円(2023年12月末比28.5%上昇)、時価総額が7兆8700億円、PBRが0.77倍である。

 3月19日の日銀政策決定会合でマイナス金利が解消され長期金利も上昇しているため、銀行界全体としては業績も株価も「まだまだ」好調のはずである。

 ライバルの三菱UFJ・FGの2024年3月期決算は、純利益が1兆4907億円(同33.5%増)、先週末の株価が1547円(同27.6%上昇)、時価総額が19兆900億円、PBRが0.93倍である。

 また三井住友FGの2024年3月期決算は、純利益が9629億円(同19.5%増)、先週末の株価が10000円(同45.3%増)、時価総額が13兆1700億円、PBRが0.90倍である。

 みずほFGは、まだ三大メガバンク・グループの中では、いろんな意味で「やや」見劣りがするため、証券業務や投資銀行業務に力を入れる木原正裕・取締役執行役社長兼グループCEO(1989年・一橋大学法学部卒、日本興業銀行入行)にとっても正念場となる。

 ちなみに三菱UFJ・FGのトップは亀澤宏規・取締役代表執行役社長兼グループCEO(1986年・東京大学大学院理学系研究科修了、三菱銀行入行)で、たぶんその次が半沢淳一・三菱銀行取締役頭取執行役員(1988年・東京大学経済学部卒、三菱銀行入行)である。

 三井住友FGのトップは、2023年12月に急死した太田純社長の後を受けて就任した中島達・取締役執行役社長(1986年・東大工学部卒、住友銀行入行)で、福留朗裕・三井住友銀行取締役頭取(1985年・一橋大学経済学部卒、三井銀行入行)はトップの目がなくなり兼任するFG取締役も6月に退任する(銀行頭取は続投する)。

 つまり木原社長は、三大メガバンク・グループのトップの中では最年少である。その木原体制が2022年初めに誕生するまでの経緯を振り返っておく。


その1  「社内抗争」の末に木原体制となった経緯


 現在のみずほFGは、20世紀を代表した日本興業銀行、富士銀行、第一勧業銀行が1999年に経営統合に合意したものの3行の主導権争いが激化して、なかなか統合案がまとまらなかった。

 紆余曲折の末に、持ち株会社となるみずほFGの下にリテール中心のみずほ銀行と大企業取引中心のみずほコーポレート銀行が入る体制となった。

 株式バブルが絶頂だった1989年末には、この3行の時価総額合計が31.5兆円もあった。先ほど書いたように先週末(6月21日)の時価総額は「かなり回復しているが」まだ7.87兆円で、三菱UFJ・FGの19.09兆円、三井住友FGの13.17兆円から「かなり」引き離されている。

 記念すべきみずほFGのスタートとなった2002年4月1日に大規模なシステム障害が発生し、1か月以上も業務に深刻な影響が出る。それでも後にNHK会長となる前田晃信など歴代経営トップは抜本的な解決策を講じなかったため、東日本大震災直後の2011年3月に再び大規模なシステム障害が発生し、やはり1か月近くも業務に深刻な影響が出てしまった。

 銀行システムの大規模障害は、銀行だけに認められていた資金決済という国民経済の根幹に関わる機能が損なわれる「あってはならない事態」である。それが2002年3月に続き、2011年4月にも発生してしまった。

 2度目の大規模障害に金融庁は激怒する。2度目の大規模障害となれば金融庁の監督責任も問われると恐れたからであるが、なぜか富士銀行出身の西堀利・みずほ銀行頭取だけを辞任させ、みずほ銀行とみずほコーポレート銀行を統合させようとする。

 その間隙をついて日本興業銀行出身の佐藤康博がみずほFG執行役社長兼グループCEOとなり、傘下のみずほ銀行とみずほコーポレート銀行を統合させ、みずほFG全体を支配する「ワントップ体制」を完成してしまった。

 そこまで辛うじて維持されていた旧3行のトップ人事バランスが完全に崩壊し、グループ主要ポストに日本興業銀行出身者が集中的に起用されていく。

 佐藤は大規模システム障害まで利用して、自らと日本興業銀行出身者によるみずほFG全体の支配体制を完成させたが、そこには東大同期で企画畑が長かった佐藤との接点も多い畑中龍太郎・金融庁長官(当時)の「ヒキ」もあった。

 畑中は「自分と同じくらい優秀な」佐藤に任せた方が問題だらけのみずほFGがうまくまとまると考えたはずであるが、ついぞ畑中の目論見通りにはならなかった。

 佐藤は2013年に発覚したオリエントコーポレーションの反社会勢力との取引を「少なくとも」知る立場にあったが、佐藤はそれすら利用して「ほとんど関係がなかった」第一勧業銀行出身の塚本隆史・みずほFG会長を辞任させ、さらに盤石体制を確立していく。

 それでも佐藤は2013年から4500億円をかけて新システムMINORIの開発に取り掛かるが、もともとバラバラだった旧3行のシステムベンダー(日立、IBM、富士通)がそっくり残り、さらに統合のまとめ役としてNTTデータまで加わったため、MINORIはいつまでたっても完成しない銀行システムの「サグラダ・ファミリア」と揶揄される。

 みずほFGは2017年7月から委員会設置会社に移行し、形だけは社外取締役主体の経営体制となる。しかし佐藤は取締役会議長に「コントロール可能な」元経済財政担当大臣で竹中平蔵のお友達である太田弘子を起用するなど、実質権限は手放さない。

 佐藤はみずほFG社長のポストだけは2018年4月に坂井辰史(もちろん日本興業銀銀行出身)に禅譲して取締役会長となるが、圧倒的な社内権力は維持したまま2020年6月に経団連副会長に就任している。

 2021年2月になって「ようやく」本体だけ完成したMINORIに、今度は旧式のままのATMや営業店の端末をつないだため、MINORIは稼働直後の2月から11月までに断続的に8回もシステム障害を引き起こす。

 2002年4月、2011年3月に続く3度目のシステム障害となるが、今回も佐藤と坂井はシステム障害が始まった2021年2月時点では、日本興業銀行出身者以外で唯一主要ポストに生き残っていた第一勧業銀行出身の藤原弘治・みずほ銀行頭取だけを辞任させて、日本興業銀行出身者の支配体制を強化しようと考えていた。

 しかしその後も11月までシステム障害が断続的に続いたため、ついに金融庁は2021年11月26日に業務改善命令を発出し、佐藤、坂井、石井(日本興業銀行出身のシステム責任者)、それに当初の予定通りの藤原(2021年4月には代表権のないみずほ銀行・取締役会長となっていた)の辞任を勧告する。

そこに至っても佐藤は経団連副会長の体裁もあるとみずほFG会長退任を渋り、MINORI稼働直後のシステム障害は坂井の掲げた「構造改革」による経費の出し惜しみが原因であると、今度は坂井まで切り捨ててでも生き残りを図る。

 一方で坂井は、太田弘子の後任で「これもコントロール可能な」取締役会議長となっていた小林いずみ(元メリルリンチ日本代表)など社外取締役に接近して佐藤を押しのけて生き残りを図るなど、ここに来て日本興業銀行出身者も佐藤派と坂井派に分かれて対立するようになる。

 そこに2021年12月末と2022年1月11日にもさらにシステム障害が発生したため、佐藤と坂井も2022年3月末での辞任を勧告される。しかし佐藤だけは2022年6月末の株主総会までみずほFG取締役に居座り、その後も任期最長6年の特別顧問となり、経団連副会長も続ける(経団連副会長は2024年5月にようやく退任)。

 ここに至り、みずほFGの社外取締役のみで構成される指名委員会が実質的に「初めて」佐藤、坂井に変わるトップを指名する必要に迫られた。指名委員長は元最高裁判所判事の甲斐中辰夫である。坂井は健康上の理由で2022年2月の辞任を表明していたため、時間もほとんどない。


その2  木原正裕のワントップ体制となった みずほFG


 結論から言うとみずほFGの指名委員会は非常にタイトなスケジュールのなかで、2021年7月からみずほFG執行役常務だった木原正裕を2022年2月から(坂井の辞任で4月から前倒し)みずほFG執行役社長兼グループCEOに抜擢する。

 この段階で木原は、みずほFGだけでなくみずほ銀行など主要子会社の取締役でもなかったため、これら取締役(社外取締役を除く)を20人以上抜き去ってトップ(グループCEO)に抜擢されたことになる。

 木原はすぐにみずほ銀行など主要子会社の取締役に選任されたが、親会社であるみずほFG取締役には2022年6月の定時株主総会で「初めて」選任されている。

 同時に指名委員会は2021年7月からみずほFG取締役執行役副社長となっていた今井誠司(86年に第一勧業銀行入行、京都大学法学部卒)を2022年4月から佐藤の後任のみずほFG取締役会長に指名している。

 指名委員会の決定を受けてみずほFGは2022年1月17日の取締役会で、木原の執行役社長と今井の取締役会長を承認している。ここでみずほFG社長の木原と会長の今井では、今井の方が入社年次も取締役就任も1年早い。しかし指名委員会の決定では木原がグループCEOである。銀行人事では一度決まった序列が覆ることはなく、今井が木原を将来的に追い越すこともない。

 ここでグループトップとなった木原は財務・企画畑や主に証券業務のリスク管理部門が長く、営業現場の経験に乏しい。また1995年に留学していたデューク大学法科大学院を卒業しているが、海外での勤務経験はない。つまりバランスの取れた(帝王学を学んでいた)経歴であるとも言い難い。

 一方で中核子会社のみずほ銀行では、2021年4月から藤原に代わって加藤勝彦(1988年富士銀行入行、慶応大学経済学部卒)が代表取締役頭取となっていたため、ここで図らずもみずほFGの社長、会長、みずほ銀行頭取の主要3ポストが再び旧3行の出身者で分けられた。

 加藤も2021年4月に15人抜きでみずほ銀行の代表取締役頭取となった「営業の逸材」であり、入社年次も木原の1年先輩、今井と同期であるが、親会社のみずほFGでは現在も取締役になっていない。つまりいくら加藤が「営業の逸材」でも、やはり銀行の人事では加藤が木原や今井に追いつき、追い越すことはない。

 それではなぜ木原だったのか?

 実質的に「初めて」責任あるトップ指名を任された指名委員会が、全員が社外取締役であるがゆえに「2つの忖度」を加えたからとしか思えない。指名は2022年の年初に短時間で行われている。

 1つは、日本興業銀行出身者が主要ポストを占めていたみずほFGで、いきなり日本興行銀行出身者が完全に外されるリアクションに「忖度」したことである。みずほFGに限らず金融界にも産業界にも日本興業銀行閥が存在するため、それを敵に回せなかったからと思われる。

 もう1つは指名委員会が逆に、岸田政権を差配し同時に監督官庁である財務官僚だった実弟の木原誠二・内閣官房副長官(当時)に「忖度」したこともありそうである。

 別に木原正裕社長の能力に問題があるわけではないので、それでもよかったことになる。また正裕・誠二の兄弟は性格も経歴もかなり違うため、それほど仲がいいとも頻繁に連絡しているとも思えない。

 ただ兄弟には、全く違ったタイミングで接点があった「共通の関係者」がいる。楽天の三木谷社長兼会長である。木原正裕社長は一橋大学でも日本興業銀行でも三木谷社長の1年後輩で、同じ独身寮で生活していた。また三木谷社長は「遅くとも」2009年~12年の浪人時代に現在の木原誠二内閣官房副長官と知り合って「持ちつ持たれつ」の関係となる。

 つまり正裕・誠二兄弟が直接話すより、どちらも三木谷社長を挟んだ方がスムーズなコミュニケーションがとれると言われるが、実際の木原は三木谷と「非常に」親しいわけでもない。


その3  木原体制となったみずほFGの重点業務


 木原体制となって2年半近くが経過したが、みずほFGは証券業務と利ザヤが厚い特殊な大口融資案件に注力する傾向が強くなっている。みずほFGでは以前からその傾向があったが、とくに木原体制となってからますます顕著となっていく。

 証券業務では木原体制となった2022年10月に、みずほFG傘下のみずほ証券が770億円で楽天証券の19.99%を取得し、株式委託手数料無料化を受けて楽天証券が上場申請を取り下げた2023年10月に29.1%を870億円で取得している。これでみずほ証券は楽天証券の49.0%を1645億円で取得したことになり持ち分利益を計上できる。

 楽天証券の2023年12月期の純利益は173億円で、2024年1~3月期の純利益は48億円である。楽天の資金繰りからして「いずれ」みずほ証券(みずほFG)が楽天証券を傘下に入れることは間違いなく、総合証券であるみずほ証券とネット証券大手の楽天証券ではサービスが重複せず統合効果も大きい。

 また楽天証券の収益性とネット証券としての存在感から考えると、49.0%に支払った1645億円は「格安」である。ここは木原社長の功績となる。

 さらにみずほFGは2023年5月に、SBGの5000億円のマージンコール(証券担保融資)の主幹事を破綻状態でUBSに買収されたクレディ・スイスから獲得している。担保は携帯電話のソフトバンク株式の19億1500万株(発行済み株数の40%)で、融資返済の代わりに株式を引き渡せる条項がついているため、複雑なヘッジが必要となる。

 借入れ条件は最長3年で、スプレッドは円Libor+190bpと確かに魅力的である。

 さらに2023年9月のアーム上場に際してSBGが売り出す52億ドルの主幹事を、ゴールドマン・サックス、JPモルガン、バークレイズと並んで獲得している。これでみずほFGに27億円の引き受け手数料が入っている。2016年にSBGがアームを3.2兆円で買収した際、みずほ銀行が1兆円のブリッジ・ローンを提供した「お礼」である。

 みずほFGは企業買収に際して被買収企業の資産を担保に買収資金を用立てるLBO融資にも注力している。銀行本来の融資事業であるが一件当たりの融資額が巨額で利ザヤもが厚いが、当然にリスクも大きくなる。

 みずほFGは最近の例だけでも、2023年6月に産業革新投資機構(JIC)がフォトレジスト(感光材)大手のJSRを総額1兆円で買収した際、単独で4200億円を融資している。

 またセブン&アイが2023年8月に「とんでもない条件」でハゲタカのフォートレスに「そごう・西部」を売却した際、3大メガバンクが合計2286億円を融資しているが、もちろんみずほFGもしっかり参加している。

 さらに2023年12月の東芝のLBO型買収案件でも、総額1兆2000億円のシニアローンのうちみずほ銀行は3943億円と、三井住友銀行の4414億円に次ぐ金額をコミットしている。既存のコミットメントラインによる融資残高を加えると、みずほ銀行の融資額は4600億円と、やはり三井住友FGの5150億円に次ぐ金額となる。

 2024年に入っても大型案件こそ途絶えているが件数は増加しており、みずほFGはLBO融資で三菱UFJ・FGと国内トップを争っている。

 LBO融資は案件によっては利ザヤが2.0~3.0%もあるが、当然にリスクも大きい。みずほFGはKKRが買収したマレリ(旧カルソニックカンセイ)に最大の3664億円を融資していたが、木原体制となった直後の2022年2月に同社が業再生ADR申請、さらに申請を取り消して破綻したため大半を損失処理した上で残った860億円の融資残高をドイツ銀行に売却している。売却価格は不明であるが、結果としてマレリへの融資残高の大半が損失なった。

 マレリは木原体制となる以前の融資であるが(リスク管理部門の責任者として関わっていた可能性はある)、要は「儲かれば文句はない」でも「やってみなければ分からない」でもない。証券業務でもLBO融資でも、今後ますます木原社長の得意分野であるリスク管理能力が問われることになる。

 木原社長にとってもみずほFGにとっても、「大勝負」が続いている。