疑惑の凶弾 その3
疑惑の凶弾 その3 2022年7月23日に掲載
安倍元首相が凶弾に倒れて亡くなった7月8日から15日目であるが、依然として「公開されるべき最低限の情報も不自然に遮断されたまま」であるため、ますますいろんな可能性にまで意識が行ってしまう。
少なくともこのような「テロに無防備で、事件の全貌も全く解明されない(解明するつもりがあるとも思えない)日本」に、今後海外要人が積極的に訪れるとも思えない。
今回はこれまでも書いた凶弾の追加である。新たに分かった事実も加えると、銃撃犯とされる男の手製銃は、1発で2つの銃口から計6発の散弾が発射されていた。1発目は逸れ、約3秒後の2発目の銃弾の1つが致命傷を与えたとされている。
事件当日の医師団の発表や、20日に開催された自民党の治安・テロ対策調査会における警察庁幹部の説明を総合すると、安倍元首相に致命傷を与えた銃弾は「左上腕部から入って鎖骨下の大動脈を損傷し、心臓にもダメージを与えた」となっている。
ちょっとご自分の体で考えていただきたいが、体内に入った銃弾が途中で大きく方向を下向きに変えない限りそういう弾道にはならない。まさにケネディ暗殺の「魔法の銃弾(後述する)」並みのミステリーである。
そして「もっと」ミステリーは、事件当日の医師団の「(安倍元首相の)体内には銃弾が残っていなかった」と、20日の警察庁幹部の「体内から銃弾は発見されなかった」との説明である。
そもそも安倍元首相に一体何発の銃弾が命中したのかも明らかにされていないが、とくに20日の警察庁幹部の説明が「不可解」である。発見後に紛失したのか、最初から無かったことにするつもりだったのか、銃撃犯以外から発砲された銃弾が出てきたので隠蔽したのかなど、いずれにしても「とても納得できない」説明である。
だいたい事件の捜査機関の上部組織である警察庁幹部が、事件の重大な物証となる銃弾が特定できないままに(安倍元首相の体内や銃撃現場や病院などを徹底的に捜索する前の)12日に安倍元首相を荼毘に付したことになる。
つまり安倍元首相を死に至らしめた銃弾が、銃撃犯とされる男の手製銃から発射されたものと立証できないため、殺人罪での起訴は不可能となるはずである。
ここまでくると陰謀論者ではない本誌でも「何かあるのでは?」と疑ってしまう。
1963年11月のダラスのケネディ暗殺事件は、単独犯とされたオズワルドが背後の教科書ビルから発射した3発の銃弾が「すべて」でなければならない。そこで1発目がケネディの首から喉元を貫通し、2発目が前席にいたコナリー・テキサス州知事の右肩と右胸部を傷つけ、3発目がケネディの頭部を吹き飛ばしたとされていた。
この段階ですでに2発目の銃弾がコナリーの右肩と右胸部を同時に傷つけることは不可能で、3発目はザプルーダ・フィルムを見ると「明らかに前方から飛んできた」としか見えない。教科書ビルは後方にある。またオズワルトが使ったイタリア製のカルカノ銃では「フィルムから推定できる」6秒間に3発も撃てないなどの「疑惑」があった。
ところが後に教科書ビル方向から飛んできた1発の銃弾が、外れて道路上でバウンドして通行人に軽傷を負わせていたことがわかり「さらに」辻褄が合わなくなってしまった。
そこで、1発の銃弾がケネディの首から喉元を貫通した後、前席にいたコナリーの右肩を貫通し、さらに方向を変えてコナリーの右胸部も貫通したとの「魔法の銃弾」が大真面目に登場する。その「魔法の銃弾」そのものはケネディが運びこまれたパークランド病院のストレッチャー上から「発見」されている。ほとんど潰れていない新品同様の銃弾だった。
ケネディ暗殺については1964年9月に提出されたウォーレン委員会調査報告書では「オズワルド単独犯で政治的背景なし」と断定されたが、そう信じている米国人はほとんどいない。また安倍元首相の銃撃直後にマスコミが「驚くほど迅速に断定的に報道した」内容とも非常に似ていて不気味である。
オズワルドは逮捕2日後に「警察署内でマフィアに銃殺される」など、テキサス州や米政府や軍産複合体やマフィアやCIAを含む「巨大な陰謀」だったはずである。7月8日当日に安倍元首相銃撃の第一報を聞いて咄嗟に頭に浮かんだのが「ケネディ暗殺との類似性」だった。
すぐに「まさかこの日本では考えにくい」と思い直したが、そこから15日たっても一向に必要な情報が明らかにならないだけでなく、ますます「辻褄が合わない」ことばかり出てくるため、そういう目で検証して行くことも必要かもしれない。
従って、まだまだ続編を書くことになる。
2022年7月23日に掲載