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だますことを詐欺という

だますことを詐欺という。
だまされることを詐欺にあうという。

では、どこからどこまでが詐欺なのだろうか?
誰かになりすまし電話をかけて、危険をあおる。
そしてその危険回避の方法と回避に必要な手続きを提示する。
そしてその手続きの有効期限を示し、急かす。
緊急性と急かしで 思考を鈍らすことで財布の口がゆるむ。

「チャリーン!」

・・・これが特殊詐欺の手口のような気がする。実際は知らんけど。
では、だますことって特殊詐欺ばかりなのか?

夫婦・親子・職場でも詐欺はある

  • 夫婦でもだますことはある

  • 親の身勝手で子供がだまされることもある

  • 仕事のパートナーにだまされることもある

協力的だった人が突然変わることもよくある話だ。
人にたよることは必要だが、依存してしまうとひどい目に合う。

では、自分の考えだけで貫けるのか?
自分の考えが通用するのは、自分だけでしょう。
だから、相手のいる状況では大小関係なく「だまし」は勃発する。
それはいい意味でもだ。

たとえば、相手が無理をしていると察知したら、相手に気遣った「だまし」が炸裂する。

 「いいよ無理しないで、別にどうしても行きたいわけではないから」と、うそぶくこともあるだろう。

これは、一般的に「うそ」と呼ばれる行為だが、相手に対して思ってもみないことを言い放つことで「うそ」以上の結末も考えられる。

たとえば、

「あなたは余命1カ月です」

と医師から宣告された場合、家族や親しい友人などに告げないことも考えられる。これも立派な「だまし」ではないか。

友人の立場になって考えてみれば、余命1カ月の人と何かする予定があったかもしれない。

その予定を実行できなくしてしまうわけだから、良し悪し関係なく「だまし」と考えられる。

だが、この場合の「だましたなあ」は、詐欺とは思われない。ただし、余命宣告を隠したまま、事実を知らいない相手と婚姻関係になった場合、その相手は、結婚後未亡人となってしまうかもしれない。

これはこれで「結婚詐欺」と言われても仕方がない。だって、余命を宣告された人が黙っていたのであれば、相手は結婚生活に夢を膨らませるかもしれないからだ。

つまり、相手のことを思いやった「うそ」で傷つく場合もある。だから「だまし」は、日常生活の中でも起きうること。


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