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197410円の旅

まだ鉄道ヲタクなんて言う言葉も無かった1974年頃、駅や陸橋に集まっていたのは鉄道マニアと呼ばれる人たちであった、下町キッズも電車大好きで上野駅や鶯谷の陸橋で撮り鉄ライフを満喫していた、買ってもらったキヤノンのハーフサイズのカメラは24枚撮りのフイルムであれば48枚撮れる際限なく写真を撮っては親に現像の時叱られていた。しかし撮り鉄だけでは満足できなくなり乗り鉄にもハマった。友達と冒険の旅に出たのだった。当時の子供の切符の最低料金は10円。10円区間で降りればどんな経路を辿っても良いのだという勝手な解釈のもと、10円の小児切符を握りしめて友と、どこまでも旅するのである。ある日などは、友達と御茶ノ水で中央線の快速の赤い電車に乗り終点の高尾まで乗り鉄で往復、とって返して日暮里から今度は青緑の常磐線に乗って取手まで行き取手で常総線に乗ってさらに遠くまで数駅行き、急に不安になって、戻る電車に乗り換えたところで車掌に切符の提示を求められ、どう乗り切ったのかおぼえていないけれど、なんとか上野まで戻り親にもバレずに済んだという10円の大冒険をしたのだった。中央線快速の旅は中野までは経験もあったが中野を出ると急に風景も雰囲気も変わり遠出気分になる。中野を出るとなんだか急に大人になったような気分になるのだ八王子なんてもう別世界終点の高尾なんて月世界だけど、折り返しにそのまま乗っているだけだから怖くない。例えそこが月であっても、改札の外に出ることは絶対に無い(出られないことは知ってる)から逆に恐れるものは何も無い。もし当時鉄ヲタという言葉があったらそれは間違いなく顰蹙を買う行為であったし今だったらきっと補導されるに違いない。今から思えば当時の国鉄は子供に極めて寛容だったのであるそして1974下町キッズには怖いものなんて無い、もちろん無賃乗車するほどの根性は備わっていないけれど、キッズならではの自由奔放さは完全装備なのである、当時金回りの良い家庭の友達の家にはHOゲージと呼ばれる鉄道模型があって、魅力的な模型がモーターが焦げる匂いを振り撒きながらライトを点灯させて丸く配置された線路の上をぐるぐる走り回っていた。でも、上野駅まで行けばリアルな電車が目の前にある。家に鉄道模型が無くても鉄道マニアライフを満喫出来るのだ。上野には東北方面に向かう特急や夜行列車など魅力的な電車が集まっていた。さすがに10円切符で特急には乗れないけれど、各駅停車や快速ならば問題なく乗れる。10円切符でどこまでも行けると心は自由なのであった。しかし当時東京駅からあまり遠出した記憶はない、やはり新幹線の敷居は高かったのであろう。下町キッズにとってホームは上野駅で何故か東京駅はアウェイなのである。10円の大冒険を終えたら改札を出るのは10円区間の駅である。入場券ではないから地元の最寄駅で改札を出るわけにはいかない確か隣の駅で握りしめた10円切符で改札を出て一駅分歩いて友達とマイホームタウンにちょっとだけ大人になった気分で無事帰還したのである。

ボンネット型の特急。

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