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闘病活劇三病士二番手は障害士気づいたよ、

それは突然やってきた、そう言う事があると言う事もそう言う人も身の回りには居たのにずーっと他人事、自分の身に起こるとはつゆとも思わなかったでも他人にあることは自分にもある。これは必然だ。
2本足で立っているはずなのに身体がふらついて立っていられない
膝からゴミの散乱したトランクルームの床に崩れ落ちる身体、そして崩れ落ちたら最後、もうどうにも立ち上がれない、これは普通じゃない、救急車だすぐそう思ったけれどトランクルームの中では救急隊が入ってこれないこれはまずいぞ、頭の中で何回も呟くトランクルームには一人で来た、そこのトランクルームには他の利用者に会った事も無いさてどうする、動かない身体とは裏腹に頭は妙に回るとにかく一度落ち着こう、すると階下に人の気配があるじゃないか、助けが呼べる声は出そうだ、だからとにかく叫ぶのであった声はなんと救いの神に届いて二人の男性が様子を見に来てくれた、奥で人が倒れてます、はい立てません。
どうされました?ふらついて立てなくなりました
救急車呼びましょうかおねがいします。
これは動かさない方がいい男性二人組は救急に電話をした上で水までくれた、ありがたいどうやら助かった、ここで冷静になって持っていたスマホを使って妻に電話するトランクルームで倒れてます救急車呼んでもらいました。と告げる妻に先に電話しなかったのはオートロック入口から入れないからだ。でも今は助けがいて入れる、やがてサイレンが近づき救急隊の方が様子を見てくれている時に妻も間に合った、顔面に麻痺がありますね言葉も不明瞭ですね屈強な救急隊員に抱えられてトランルーム外の救急車のストレッチャーに寝かされ妻と一緒に病院ERまで搬送されたのである。到着時まで意識はあった病院医師看護師とも話は出来ていたように思う。兎に角妻が居るから安心だ。病院ではすぐにMRIの検査で出血が確認された次の問題はどのくらいの出血なのかだ、30mlで止めれば手術はしない、降圧剤と止血剤の点滴で一旦30mlで止まりそうになり妻は帰宅することになった
しかし妻が家に着く前にまた出血が見られてすぐに手術することになった最終的は50mlの出血があったらしい
でも僕の周りで脳出血で亡くなった人は出血が止まらなかってのだから、止まって手術出来た僕はのは幸運だったのだ。でも出血とその血栓の除去で僕の脳神経の左半身運動野は傷つき左半身の片麻痺になってしまった。後天的障害者というやつだ。手術の麻酔から目が覚めてまずは生きていることに気遣いそして身体が元通りでは無いことに気づく、そして気づきとともに僕は三病士の二番手障害士と共に疾病活劇を送ることになったのだ。疾病活劇はリハビリ活劇とも言い換えられる
身体は元に戻らない(脳神経は再生しない)けれど日常生活はやがて戻ってくる。そのギャップをリハビリで埋めるのだ。身体が動かなくなると心も重荷を背負う、それが社会の異物化現象だ。後天的障害者の多くはこの困難を乗り越えるために闘うのである、自分が世界の一員であることを確かめるためにね。一番ラジカルな方々は自ら障害者の手助けを行う道を選ぶ。医療であったり介護であったりとね。まあスパルタな道ですな、三病士とうちゃんはそこまで勇敢ではないのでできることと輝けることの重なることをやることにした、またそのためにリハビリも引き続き頑張るのだ、

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