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電波史の散歩道☆彡 1895M28.06. .

電波史の散歩道☆彡
〔電波(電磁波) 歴史のおはなし〕
 火花式無線電信送信装置の実験

 Guglielmo Marconi(グリエルモ・マルコーニ 1874年~1937年 イタリア共和国 発明家)は科学雑誌に書かれたヘルツの実験に関する記事を読み「電磁波を利用して、遠距離の通信が可能となるのではないか」と考え、別荘で研究を開始。実験は、装置を作り、誘導コイルを使って、すさまじい火花を発生させたが、問題は、電波をキャッチするコヒーラ-にあった。いろいろな実験の末、正しい組み合わせを見つけ出し、当初、100m程度の電波到達距離が、1895年(明治28年)8月には、2400mまで伸びたが、これ以上の研究や実験には、多額の費用もかかるため、父親に別荘の3階から電波を発生させ、1階にあるベルをならす実験を行い、融資を引き出した。

 無線電信の試作装置をイタリア政府に売り込んだが、「関心がない」との回答を得て、英国に渡り、従兄(母親の姉の子)ヘンリー・ジェイムソン・ディブィスは、英国郵政庁の技師長 Sir William Henry Preece(ウィリアム・ヘンリー・プリース 1834年~1913年 グレートブリテン及び北アイルランド連合王国(イギリス))に紹介状(1896年(明治29年)3月30日付)を送り、後刻、マルコーニと出会い、プリースは、マルコーニに設備、実験室、そして助手を含め全面的な協力・支援を行ない通信距離90mの無線電信の実演(第1回実験)を行った。

 この後、郵政庁とクイン・ビクトリア街の貯金局の屋上の間での無線通信実験(第2回実験)を行い、1896年(明治29年) 9月 2日ソルスベリー平原(ロンドンの西100Kmの地点)において、郵政庁、英国陸・海軍の関係者を招き、2816mの無線通信の実験(第3回実験)を行った。
 
【参考文献】
 「日本無線史」第一巻 第一編 無線技術史(上) 1950年(昭和25年)12月30日 電波監理委員会 

 月刊「電波受験界」連載 「マルコーニの手紙」 若井 登 著  財団法人 情報通信振興会 刊
 
 官報
 「江戸東京年表」 1993年(平成 5年) 大濵達也 吉原健一郎 小学館
 

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