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電波史の散歩道☆彡 1897M30. 3. .

電波史の散歩道☆彡
〔電波(電磁波) 歴史のおはなし〕
 ソルスベリー平原での公開実験

マルコーニは、1897年(明治30年) 3月 ソルスベリー平原での公開実験を実施。
この実験には、ドイツ皇帝の命を受けたシャルロッチンブルク工科大学(ベルリン ドイツ)のスラビー教授は、「マルコーニの無線電信機の製造・販売をテレフンケン社の前身「AEG」で行わないか」との申し出をしたが不調に終わった。
スラビーは、ドイツ帰国後、マルコーニの無線機を忠実に真似て、研究を重ね、ドイツ式無線機をつくりあげる。その過程で、マルコーニのコヒーラの接続位置が、効率の悪いことに注目し、改良を重ねて空中線結合回路を考案し、特許を取得しました。その後、「シーメンス・ウント・ハルスケ電信機製造会社」(ドイツ)にいたブラウン教授と共に、シーメンス・ウント・ハルスケ電信機製造会社とAEGの合弁会社「テレフンケン」社の技術部門の中核を担い、マルコーニ無線電信株式会社の最大の競争相手となっていった。
 
【参考文献】
 「日本無線史」第一巻 第一編 無線技術史(上) 1950年(昭和25年)12月30日 電波監理委員会 
 月刊「電波受験界」連載 「マルコーニの手紙」 若井 登 著  財団法人 情報通信振興会 刊
 

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