第一回「社説 マジックミラー号」

 この文章中は、男性向けの性的興奮を高める映像作品に関する批評であり、非常に不快かつ不適切な表現が含まれている可能性が大いにありますので、世、荒れる際にはご了承ください。



 「マジックミラー号」という作品をご覧になったことがあるだろうか。男性向けのアダルトビデオである本作品は、ワゴン車の左側が一面マジックミラーで外からは様子が見えないが、内側からは外の様子が見えるという作りになっており、女性をナンパするだけではなく、外から見えてしまっているのではないかという緊張感を、内部に与えている。

 この作品が多くの男性に知られている一方で、作品の持つメッセージ性、社会性については語られることがほとんどない。大切なのは、この作品を内側から見ることではなく、外側から見ることなのだ。外側にいる男たちのほとんどは、この状態が何なのか、知っているはずなのだ。中で何が起きているのか、通り過ぎる男性も、一緒に来ていた彼氏も。中を覗く人に限って言えばそれがおそらく正常な反応なのだ。

 我々の社会というのは、性という三大欲求の一つをタブー化して、見ないように生きている。夜はどれだけお世話になっていようと、昼間は見ないふりをしているのである。まさに、池袋の街に繰り出した、マジックミラー号のように。

 マジックミラー号の外の人たちが知らんぷりをして通り過ぎるように、我々の実社会も、性ということについて完璧にタブー化して見ないふりする。我々の根源も性から来ているというのに、完璧にタブーにして、悪しきものとしている日本社会に警鐘を鳴らしているのだと考える。AV業界の人々は、さも当然かのように蔑まれており、蔑む側は、夜お世話になっていることなんてこれっぽっちも考えていないのだろう。性をもっとオープンに、というわけではないだろうが、完全に秘匿し悪しきものというところから、三大欲求のひとつ、それ相応の存在であるということを提唱したいのであろう。


 一方、最近逆転マジックミラー号という作品が出てきている。内側がマジックミラーになっており、外から見えるという構図によって、中で行われていることを、外側にいる多くの男性が覗いているという様子だ。まさにアダルトビデオそのものである。この作品を見ている我々は、外側にいるむさ苦しい男性と何も変わりなく、中の美男美女とは完璧に違うのであると突きつけているのだ。先に述べたマジックミラー号の考察は、私の推論の域を超えるわけがないのだが、この作品に関して言えば確実にそういった批評性を持っているだろう。マジックミラー号で起用された男優が精査され、逆転マジックミラー号では、いわゆるイケメンの男優に限られ、外側にいる人も確実におじさんか、若いけれどイケメンの部類では確実にない。こんなAVなど見ないで、鏡見ろ、お前はむさ苦しく自分でしているだけの外の男たちと同族と言われているのだろう。


 マジックミラー号はこの先も、日本社会とアダルトビデオ業界という関係性の批評性を持ち続けるのだろう。同時に、逆転マジックミラー号のような、視聴者に対する強い批評性も持ってして、私のような、気づいてしまった視聴者を切り、更なる強者だけに絞っていこうとしているのだろう。ダイバーシティ化が叫ばれる現代社会において、アダルトビデオ業界も以前よりも風当たりはやさしくなっていくのだろう。そうなっていったときに、マジックミラー号は、批評性のニーズが消えて、終了してしまうシリーズの一作なのかもしれない。

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