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ライター、メッセージでおなかいっぱいになる

中野 広夢

コラムが書けない。

ゆゆしき事態だった。「6月1日までに一本コラムを書いてほしい」。そう言われたのが4月ごろ。本業の雑誌の出版のタイミングもあり、バタバタしつつ、あれがいいかな?これもいいな?とスマホのメモアプリに下書きをたくさんしたためたものの、いざ書こうとすると筆が乗らない。このテーマ、すでにどこかで聞いたことがあるな。どこぞの偉い人やフォロワー数の多いインフルエンサー、有識者が何かの媒体で発信していた気がする……。これ、わざわざ俺が枠を使って書くまでのことか?書いたとしてどうなる?それどっかで聞いたことあるよねとか、わかりやすいとか、共感しやすいとかで、よく考えもせず上っ面だけ拡散されて、それでどうなるんだ?そんな疑問が鎌首をもたげる。

強い言葉が増えた。
メッセージ性の強い、共感を得やすい、そんな文章や写真がネット上に溢れている。仕事上日常的にそうしたものに触れていると、感覚が麻痺してくる。ああ、どっかで似たようなこと聞いたことがあるな。インスパイア元はこれか。なるほど、たしかに上手く言語化した感あるな。RT数は?うわ、めっちゃRTされてる。虎の威を借りて言ってやった風の匿名アカウントがうじゃうじゃしてる。気に食わねえな。あれ、ところで俺何してたんだっけ……?

ああ、そうだった。自分もこういったメッセージ性の強いコラムを書かなきゃいけないのか。
そう考えると、一気に筆が重くなる。

もう“メッセージ”はおなかいっぱいなのだ。
「一億総発信時代」と言われ、マスではなくマイクロインフルエンサーがどうだのこうだの、熱量の高いファンコミュニティを形成してマーケティングをどうだのこうだの。もうおなかいっぱいだ。どこでもかしこでもメッセージが飛び交っている。RT一つで、自分の意見として発信ができる。そんな中で、自分の言葉で、自分の心を伝えることに、とても億劫になってしまった。

発信したいことが無いわけではない。社会に対する怒りや、思い描く未来だって、たしかにある。ただ、それを発信するために筆を執るかと言われると、尻込みをしてしまう。発信を仕事にしているからこそ、その渦中にいて、日々発信されたメッセージの暴風に揉まれており、届けて広げる難しさがわかる。今、自分に暴風の中で選び取ってもらえる熱量の高いメッセージが生めるのか。そもそも、そんなことがしたいのか。

逆に「強い言葉を使わなくても良い。ありのままで良い」みたいな“メッセージ”にもおなかがいっぱいだ。仕事に忙殺されている多くの日本人に対し、わかりやすく寄り添ってくれるポエチックな投稿も多く目にするようになった。どこの誰ともわからない画面の向こうのアカウントが流し続ける激甘メッセージ。そこに甘えて「自分はこのままで良いや」と投げ出せるくらいなら、もうすでに筆を折って無風地帯でのんびりしているだろう。

最近、そんな悩みを友人に話した。「コラムを一本書かなきゃいけないんだけど書けないんだ」と。すると、「そのモヤモヤを書けばいいんじゃない?」と答えてくれた。「今感じているロペスの違和感をありのままに書き綴った文章。それがホンモノのコラムじゃない?」。

わかりやすい答えを用意して「僕はこう乗り越えました!」みたいなノウハウ系の記事に仕立てることもなく、かといってモヤモヤを抱えたまま筆を折って発信することを諦めたりもせず。
自分はこの暴風の中で、モヤモヤしながら筆を離さず生きていきたい。


<プロフィール>
中野 広夢
兵庫県を拠点として活動している編集ライター、カメラマン。大学卒業後、小学校教諭、塾講師、保育士を経験。2019年からはコワーキングスペースmocco姫路スタッフ、コワーキングスペースmocco加古川の立ち上げに関わり、コミュニティマネージャーとして活動。その後兵庫県播磨地域の情報誌『まるはり』の編集・取材フォトライターを経て独立。

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