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「なんとかしないとから、なにをしよう」 小泉文


EDIT LOCAL LABORATORYが毎月会員向けに配信しているメールマガジンより、会員リレーコラムのご紹介です。全国で活動するメンバーがそれぞれの現場での実践やEDIT LOCAL LABORATORYに参加した理由など、ご寄稿いただいております。みなさまもぜひ覗いてみてくださいね。
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スタジオをなんとかしないと。
カメラマンであった父が母と共に営んでいた写真スタジオ。
父を亡くした当初、処分を考えていた私は母の反対もあり残すことに。
時間の経過とともに、面影が残るこの場所を残していきたいと思ったものの、そこで自分には一体何ができるのだろう。自問自答する日々を繰り返していました。
同じころ、興味を持ち始めていたアート。
一体何ものなのか。不思議な世界に惹かれて、美術館で対話型鑑賞のボランティアや企画展のファシリテータをしていました。その時からよく聞くようになった「アートプロジェクト」ということば。
アートプロジェクトとは、主に1990年代以降の日本で展開されている現代美術の活動やまちづくりの重要な方法として受け入れられるようになったもの。
まちづくりにアートはどんな関わりが出来るんだろう。

そんな時に出会ったのが、今年さいたま市で行われる国際芸術祭に先行したワークショップ「サーキュレーションさいたま」でした。さいたま市の歴史や慣習、風習などの目に見えない「地域らしさ」=文化的遺伝子を掘り起こし未来へ引き継ぐプロジェクトをプランニングするというものです。そこに加えて、「ソーシャルインクルージョン」(社会的包摂)を考えたプランを考えるチームに所属しました。
CIRCULATION SAITAMA(サーキュレーションさいたま)

図書館、区役所、福祉施設、地域住民の方々へのリサーチを行いました。
知っているようで知らなかった「何もないさいたま」「ださいたま」というイメージも、転入超過数が全国3位であったり、関東大震災後に被害が少なかった浦和に画家が多く住んでいたことや、大宮の氷川参道に「闇市」が存在していたりと、知らない歴史がたくさんありました。また、リサーチをしていく中で色々な出会いもありました。ボランティアガイドさん、宮司さん、御宮作りの職人さん、お団子屋さん、レコード屋さん。
中でも、チームの行きつけとなった角打ちのマスターの店。そこは地元住民が仕事場から自宅に帰るまでの間をつないでいるような場所でした。1杯飲んでさっと帰る人。なんとなく飲んで誰かとたわいもない話をしてから帰る人。おいしい料理がでるわけでもなく、座り心地のいいイスがあるわけでもない。でも、そこに暮らす住民にはとても大切な場所。そこで聞いた思い出話。図書館の屋上や土管がデートコースだったこと、立ち読みをしていた行きつけの本屋のおじさんが怖かったこと、皆んな貧しかったけど助け合いながら生活をしてきたこと。その頃を思い出しながら話す楽しそうな顔は、聞いているこちらまで微笑んでしまう。やわらかい心地のいい空間。
肩書きも、障がいの有無も関係ない。皆が認め寄り添い合う「お互いさま」な関係。
現実の世界で背負っている鎧を脱いで非日常を感じられる空間を作りたい。
チームでは、これからそれをどんな形にしていくのかを考えています。
自分のまちを自分たちで考える。その中から生まれたその土地、住民とのつながりを大切にしてゆるやかに継続をしていきたい。
それが私が考える地域のアートプロジェクト。

スタジオで何をしよう。
父と母がやってきた写真スタジオも地域のアートプロジェクトだったのかもしれない。
かつて笑顔があふれていたこの場所で地域に根ざした私なりのプロジェクトを考え中です。
まずは、芸術祭期間中に仲間と企画展を行います。
父が見ていた未来のまなざし -浦和に寄り添う写真と絵画展 - (@studio45_urawa)

Profile
さいたま市在住。EDIT LOCAL事務局。東京藝術大学 DOOR3期生。


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