醜いよね。見にくいよね。

ほんとうは自閉っこの日常を書くつもりだったんだけど。
この場合は「描く」方がいいのかな。なんて。

だけどさ。いろんな気になることが多すぎる。
し、わたしがそれ(自閉症の日常)を書いた(描いた)ところでSNS全くしてないし、誰の利益にもなんない。うーん。影響力持ってからなんか書いていこ。

って思った結果、備忘録として、誰も見ないの前提に、書こうって気分になってる。オオサマノミミハロバノミミ、だよね、完全に。

んで、何が醜いかと言うと。内親王の結婚に関する(降嫁、って書こうとして止めた。旧態然としすぎてる。てか、コウカ、がなかなか変換できなくて困ったアーンド安堵した、的な。)さまざまにちょっとアンテナを張ってたのだけど、どー考えてもわたしとぜんっぜん違う右的な人の考え方にうんざりしている。
端的に言うと、竹田恒泰にうんざりしている。

じゃあ見んな!って言われるだろうけど。
わたしは「見えないものは無いものだ」と思って生きているから、ついつい見てしまう。見て確かめようとしてしまう。そこで見たもの、とは・・・!

なんて勿体ぶるようなことじゃないけれど、ともかく醜い。内親王のお相手の方を貶めることばがもう本当に醜い。というか、そのことば以上にそのことばを発している声と顔が醜い。

とか言うと、差別的な考えを持っていると思われるのだろうか。もしかしたらそういう部分が自分の中にあるということは否定しきれないけれど、一応主張するとね。わたしは別にイケメン好みではないし、声に関してもだみ声でも構わない。ただ、ことばを発するときってその人のなんというか内面が出てしまうと思うのだ。(わたしはことばにはある程度以上のこだわりがあるのでそれも補足しておく。)声色、表情、ことば。それらすべてを総合して感じるに、「醜すぎてみるに堪えない」となることが生きているとままある。それの最上級を見てしまって、つい、彼(竹田氏)の動画を観察してきちんと判断しよう、という気持ちになってしまったのである。・・・うかつ。

わたしが最初に醜いと思ったのは、内親王のお相手のことを「品性が卑しい」「宮内庁長官は文書を見ずにつき返せばよろしい」と語っていた動画。一言で言うなら、「本当に高貴な人間は、他者のことを卑しいなどと言わない」以上。醜すぎて「吐き気がする」(ちなみに彼は小室氏のことに関して吐き気がすると評していた。いやいや貴方こそ。)。そう言い始めると「あんたも人を醜いとか言ってるだろ」と言われそうだが、「ええ、わたしはこやむごとなき家柄にない、平民ですので」(しおしお)と、言い返すので悪しからず。そして文書を見ずに突き返せ、と・・・!?ちょっとなに言ってんだかわかんないんですけど。わたしからするとそれこそ「人として」(何なら「日本人として」と言ってもよろしwww)真摯に読まなければいけないと思うし、もしそうしないならそれなりの合理的な理由(あるわけない)を述べよ。と、思う。

でもそもそものこの問題。マジレスすると、わたしは女だが、もし自分が小室氏だったとすると、「もうめんどいし別れたい」となるだろう。というか、わたしが内親王の立場でも、「いやー、もうめんどいやろし、止めとこか。なんかごめん。とか言って、こんなんやったら他の人と結婚するのも難しなるよな。。。まじスマソ」と言って別れようと思うと思う。それが!!!別れないのだ、この二人は!!!それだけで敬意を表するに値する。もしかしたら右的な人々は「いや、内親王の身分に目がくらんでいるんだ!」とか言ってくるかもしれん。だがな。ここまでややこしくなったら、てかややこしくなる前にもう手を引きたいと思うのが普通だと思うよ、よほど右でない限り(天皇を嫌じゃないと思っていたとして、それは尊敬しているとイコールではないからな)。それが!!!別れないのだ、この二人は!!!いや、わたしが親ならもうそれだけで「小室くんスゴイネー」となって娘を任せるだろう。

というか。「両性の合意によってのみ」成立するはずの婚姻に、数万人が異議申し立てをすること自体、異常。え、皇族は「国民」じゃないから憲法は適応されないの??でも少なくとも小室氏は国民よ。

もしももしも言うてもしゃーないことはわかってるけど。もしわたしが内親王なら、「もーこんなんいややー!!皇室なんか出てったるー!!」と切れるに100まんえん。そうならないでいてくれているだけ、右的人々よ、喜ぶがよいと思うぞよ。

むしろあの長大な文書をわざわざ作って持ってくる、というのは、見ないで突っ返すのではなくて見ないで「ブラボー」とハグすべき、くらいの事件だと思う。

が。もうほんとに竹田の某氏のソレを語っている表情、声色、ことばすべてがもう「卑しくて」見ていられなかった。あくまでわたし調べだが、小室氏に対して「卑しくて見ていられない」という経験は、無い。もしかすると「取り繕ってるけど本当は・・・!」という反論に接する可能性はあると思っている。しかし、だ。取り繕うのも一種のノーブルさであり、その取り繕うことすらできない右的人々はゴリゴリ一般庶民のわたくしめから言わせると「ノーブルさの欠片もないのはおろか、一般庶民の末席に加えるのも汚らわしい」。以上。念のため、小室氏に関する動画だけでなく、「授業」と「称し」ている動画も確認して、みな一様に「見にくい」という感想を持ったので、ここに書いている。もちろん、皆が聖人君子ではないのだから別に悪く言ったりするのを咎めはしない。ただ、そういう語り口は自分のコミュニティ内だけにしてくれ。ほんとうに醜いから。そう思っている。

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