見出し画像

わたしたちのあいだにある違い

2006年の8月にアバターコースを受講したときに
mixiに投稿していたものをnoteに転載してみます。

これは、受講前日の日記。



母の病気と死がきっかけになって
精神的なことの探求が始まって1年半ほど。
いろいろと体験したり考えていくなかで
自分の興味の方向がとても明確になってきた。

興味の方向が明確になるにつれて
自分の方向と違うことや違うひとを
心のどこかで拒否していたところもあって。
もちろん、人に上下はないし
何が正しい、何が正しくないというものはないし
それを頭ではわかっているけれど、
心の底には自分が正しいという思いが少なからずあって。
そう思ってしまう自分がイヤだったりもして。

とりあえず、他の方向のひとを拒否する自分を
イヤだって思わないでもいいじゃんって思ったら
なんだか、とてもスッキリした。

スッキリついでに思ったのは、
そういう考えかたの違いって、RGBみたいだなって。
コンピュータで色を表現するときに使われる表記方法で
光の三原色の赤(R)・緑(G)・青(B)の3つの色の
組み合わせで表現するの。
たとえば赤って言っても色んな青があるから
赤・緑・青の数値を定めると、どんな赤なのかがわかる。

たとえば緑が多いひとの発言を聞いていて
青が多い自分は「ん?」と思ったりもするけれど
まるっきり同じ構成の同じ色じゃないんだから
同じように感じないのは当然で、
それは、いいとか悪いとかじゃなくて
ただ色の構成パーセンテージが違うだけなんだなって思って。
で、その色のパーセンテージは、
自身の意思だったり周りからの影響だったりで
生きていく毎日の中で動いていくものだなぁって。

拒否したり否定していたことを受け入れたら
結局、拒否したり否定する気持ちが
どこかへ行ってしまったのでした。
それは、そもそも、
否定したりするものじゃないということがわかったので。

・・・そんなことを考えていたら、
先日、こんな言葉に出会った。

「私たちが
自分たちの間にある違いは
信じている内容の違いだけであり、
そうした信じる内容は簡単に創ったり
消したりできるものだと気づくとき、
正しいとか間違っているとか
主張するゲームが終わりを告げ、
共に創造するというゲームが始まり、
世界に平和がおとずれます。」

これは、教育者ハリー・パルマーの言葉。

「共に創造するゲーム」の意味が
わたしには、言葉上でしか、まだわからないけれど。

このところ信じる内容が簡単に創ったり
消したりものができるっていうのは
体感的に分かってきた気がする。

それぞれの信じる内容が
それぞれの人生を作っているのだとしたら
たのしいことに繋がる「信じる内容」は創ればいいし
そうではない「信じる内容」は消せばいい。

かすかにカギが見えただけで、まだ掴めてないから
それは、これから掴みにいこうとおもう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?