ラブソングによる自傷

あなたはラブソングを聴くときに何を思ってそれを聴くだろうか?片想いをしている自分に重ねてみる、付き合っている愛しのあの人を想ってみる、そういったものが一般的かもしれない。
でも僕は違う。僕は『恋愛の疑似体験』と『自傷』のためにラブソングを聴く。

『恋愛の疑似体験』とは何か?
僕には恋人がいない。それどころか気になる異性がビックリするくらいいない。というか周りに異性がいない。それを嘆く記事だけで一本書けるが、今はそういう話ではない。
本格的な恋愛はしたくないしそもそもできない。けどライトにそれを体験したい。しかしそれを許す世間ではない。じゃあどうするか、そこで僕はラブソングを聴くことにより、それを歌う人間、もしくは歌の中に入り込んで目を瞑り布団の上に寝転がる。…

…冬の始まり、寒い日、街のイルミネイションの中を歩きながら彼女は"指先あたためるフリ キミは見てないけど"と歌う。脳内で僕も、凍えた寒い冬の道を歩きながら指先に温い吐息を吹き掛ける。本当はキミの手を握りたいのに、恋人でもない相手に言い出せない。
デートの前には一杯シミュレーションをした、けど"選んだコトバ伝えたいのに 横顔はまだ遠いね"。その微妙な距離感のなかで、“この冬の予定に 私の名前もね まぜてほしいな”、なんて思っている。あぁ、このもどかしい気持ちはいったいなんだろう、でも確かに私は何てことのない日常のなかでキミに名前を呼んでほしい…

…といった具合である。現実の僕は鏡さえ見れたものでは無いが、脳内では完全に内田真礼になりきっている。書いてて気持ち悪くなってきた。

そして一通りこの行為を終えるとやってくるのが、現実との違いを認識したときにメンタルへのダメージだ(思わず「書いてて気持ち悪くなった」と書いてしまったのがいい例である)。その痛みを僕は「自傷」の道具として使っている。かさぶたを剥がすと気持ちいい、ささくれの向けたところを触ると痛くて気持ちいい、僕の心も同じようにある程度のライトな痛みを快感に変えるようになってしまった。別に問題だとは全く思ってないけど。
恋人がいない皆さん、すごく楽しいので『ラブソングによる疑似恋愛と自傷』、是非やってみてください。

ところで話は変わるのだが、AmazonMusicで内田真礼さんの曲を発見したので聴いてみたのだが、これが中々よかった。この記事を書いたのはこの人の曲が原因。
という訳で今回のラブソングはこちらです。季節が真逆だけど涼しくなってくるのを通り越して指先がかじかんできた。嘘だけど。

Winter has come / 内田真礼 -- Amazon Music

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?