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いただきますって言わなきゃダメ?

日本人として食事の祭に一礼して「いただきます」「ごちそうさま」という光景は気持ちのよいものです。                                実は私は一人暮らしが長かったせいか、あまり言わないのです。

先日、あるSNSのサイトで、「いただきます」「ごちそうさま」を強制的にいわせる小学校があるのだがどう思うか?というスレが上がった。                          スレ主の言い分としては「いただきます」など感謝の言葉を必ずいわなくてはいけないのなら鉛筆にも「使わせていただきます」消しゴムにも「有り難う」と言わなくてはいけないのではないですか?ということでした。                                そのスレは炎上し「日本人なら当たり前の礼儀」「こういう人は何にでもいちゃもんを付けにと気が済まない人」とボロクソに書かれていました。  しかし、私はそのスレ主の言い分は一理あるなと思いました。      日頃使っている言葉でも深く考えずに使っている言葉は意外と多い。                                例えば、私は患者の診察の際に「調子はどうですか?」と聞くのですが「お蔭様で」と答える方は多い。何の御陰と考えているのだろうと思うこともある。                                マナーとしての挨拶、言葉は非常に大切なものですが、今一度その言葉の意味を考え直すことは意議があると思います。                                「いただきます」も改めてその意味を考えること自体は有意義なことだと私は思いました。

話は逸れますが、私は子供の頃茶碗の米粒を残すと「お百姓様が単精かけて作ったものを残すと罰が当たる」と怒られた記憶があります。                                それならパンは残すのはバチがあたらないのか?お肉を残すことはどうなのか?と疑問に思いました。                      それらは皆、至上主義の原理に基づいて金銭などを払い購入して口にしているもで、当然農家の方もその報酬は受け取っています。                                とかく日本人にはやたら米とか酒を神聖視する傾向があるようです。古事記、日本書紀にも、米とゆかりの深い神々が登場していますからね。

また話が逸れますが、私は釣りの師匠格にあたる方から「魚を美味しく食べてあげることが一番の供養だ」といわれてきました。                                その時私は小学生でしたが「なんか勝手な発想だなぁ〜」と思いました。 正直な話、私はもし自分が殺されたら、美味しく食べられろうとゴミ箱に捨てられようがいっこうに構わないからす。               人間は肉や魚などを食べ美味い、まずいなどいいますが、自分が食べられるのは困る。                            「美味しく食べることが供養」などと発想は人間がいかに理不尽な事をしている事に対するエキュスキューズであると私はとらえています。     そう考えると人間ってなんて都合のよい解釈をできる動物だろうと再認識できます。

あと鯨を食べるのが野蛮とか犬を食べるのはかわいそうとか言う発想はなんかの妄想かと考えています。                     もしAIなどが発達し「生体系を守る」コマンドを入れると人間は皆殺しにされるのではないかと実は心配しています。

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