ギターという楽器の「良い曖昧さ」

お恥ずかしい話ですが、左前腕を故障してギターの練習ができません。
アホみたいに練習していたからなのですが、「ギターに思い入れはない」とか思っていても、弾けなくなると寂しいものだな、と思います。

ギターという楽器の面白いところは、「曖昧さ」だと感じるようになりました。
ギターで作曲した際、コード進行をDAWに入れて、ピアノの音で基本コード進行フォーマットトラックを作り、そこで再検討して煮詰めていくのですが、コードボイシングを同じにしても「なんだか違う」ということがあります。
そういう時は別のコードを考えたり、どこかの音をオミットしたりして理想に近づけていきます。
平均律と言えど、1音に対し複数の弦が担当するピアノと、1本の弦をフレットで分けてあるギターとでは、当然ギターの方が正しい音高が出ません。
その曖昧さがコードだとさらに曖昧になるので、同じコードネームでも、違うコードのように感じるのでしょう。

でもその「正しくない」ところが、逆に良いと思うことが多いのです。
絵画で言えば滲みをグラデーションとして活かすような、そんなイメージです。
打ち込みでもかなりギターっぽく聞かせるテクニックを持つクリエーターがいらっしゃいますが、たいていメロディで、コードストロークで「すごい」は体験したことがありません。
そういう曖昧な部分を再現できるのは、AIギタープレイヤーの完成を待つしかないと思います。
さすれば、打ち込みの音楽がさらにリアルに近づくでしょう。
そしてギターを弾く人は減るのでしょうか。

一方で、その曖昧さをプレイヤーとして活用するには、ギタリストであっても音高に対するセンスを磨かなければいけないということです。
ですので、ギタリストであっても正しい音高を把握するトレーニングは必要だと考えています。

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