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Limbus Companyで気になってる事に関する考察と雑記① 「憂鬱」があって「強欲」がない大罪

「Lobotomy Corporation」、「Library of Ruina」、そして「Limbus Company」。

都市を舞台とするその物語には、今なお様々な未知が隠されている。
今回はその辺りについて、自分なりに気になってることを考察していきたい。



・「憂鬱」があって「強欲」がない大罪

Limbus Companyで大罪と戦っている時、違和感を覚えることがあるだろう。
憂鬱大罪。貴方が思い浮かべるこの水色の生物は、果たして大罪に数えられるようなものだっただろうか?

憂鬱大罪

実はこの存在は、Limbus Companyにおいて重要な意味を持つ。

突然だが七つの大罪のルーツは、四世紀のとあるエジプトの修道士の著作にある。
そこでは大罪は「八つの枢要罪」と区分され、
①暴食②色欲③強欲④憂鬱⑤憤怒⑥虚飾⑦怠惰⑧傲慢
の八つを指していた。

この大罪が時代と共に変遷し、
①傲慢②強欲③嫉妬④憤怒⑤色欲⑥暴食⑦怠惰
と、私たちがよく知る七つの大罪の形に変化していった(虚飾は傲慢、憂鬱は怠惰に併合。嫉妬は新たに追加。)

ここで重要なのは
・Limbus CompanyにおいてはE.G.O資源に強欲が無く、代わりに怠惰に併合されるべき憂鬱が存在する
・『神曲』の煉獄篇では七つの大罪が重要な役割を持つ
という点だ。

・Limbus CompanyにおいてはE.G.O資源に強欲が無く、代わりに怠惰に併合されるべき憂鬱が存在する

これは記載の通り。傲慢が虚飾とされている訳でも、怠惰が憂鬱とされている訳でもない。強欲が消され、憂鬱が追加されている。

これだけでは「ストーリーの中で憂鬱を使いたかったのだろう」という程度の考えしか出てこない。
問題は二つ目の方にある。

・『神曲』の煉獄篇では七つの大罪が重要な役割を持つ

Limbus Companyでは様々な文献が元ネタに話が展開されている。地獄巡りをするダンテとヴェルギリウスの話は『神曲』と呼ばれる叙事詩から来ている。

この物語は地獄篇・煉獄篇・天国篇の3部によって構成されている。
黒い森から始まる彼らの都市を巡る旅は地獄篇に当たる。

地獄。このタブが開閉出来るのもある意味伏線かもしれない。

詳細なストーリーは省くが、この神曲の煉獄篇では、ダンテは七つの大罪と向き合う事になる。
そう、これはLimbus Companyのサブタイトル「face the sin, save the E.G.O」の前半部分(罪と向き合い)という部分と合致する。

ここでいう七つの大罪とは強欲を含む、我々がよく知るものである。
大罪が強欲を含まず憂鬱を加えているという点は、当然いつかダンテ達が向き合わなくてはならない大罪というストーリーの流れにも影響を与える。

とはいえ、あくまでLimbus Companyのストーリーはこういったものをモデルにしているに過ぎない。
大罪に数えられるはずの強欲を外し、憂鬱を加えるという大胆な改変も、単純に使いやすさを重要視したのかもしれない。

そして留意しなければならないのは、これは「大罪」は七つの大罪・八つの枢要罪を元ネタにしているのであって、作中で「大罪」が七つであるとは明言されていないことだ。
七つあるのはあくまで「E.G.O資源」であり、それに相応する大罪がいるに過ぎない。

今後のストーリーで突然「強欲大罪」が出てくるかもしれないし、E.G.O資源のシステムが変わるかもしれない。
特に紫の大罪である嫉妬大罪とヴェルギリウス、紫の涙の関連性もまだ謎が多い。

この辺りは今後のストーリーに注目したいが、こういった謎を少しでも覚えておくと、これからのストーリーをより一層楽しめるかもしれない。
この考察がその一助となれば幸いだ。

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