逆張りをする人生

逆張りをしてみよう。今回も結論から入る例の論法。
面白くなりたければ、面白くなる方法の一つとして、君たちにとって簡単なのは逆張りをすることだ。全く難しくなく、そして手がつけやすい。ドブの素人はまず形から入らなければいけない。まずは逆張りをしてみて、そこから始まるって、これ俺がイエスなら聖書に書いてるよ。それくらい、シンプルだし大事なものだと思う。

あんまり勘違いしてほしくないのが、なんでもかんでも逆張りをすればいいわけではない。なんでもかんでも逆張りをするとそれは逆に思考の放棄で自動反射逆張りマシーンになってしまう。まぁそれでも面白いと思うけど、少なくとも俺が目指すのはそこではないことは確かだ。

必要なのはそこで目立ってやろうという精神かもしれない。目立つように逆張りをする、全くウケなくてもいい。そうだな、そこ大事だな。ウケないってことは言っておかないと。全然ウケないよ、逆張りなんかしても。恥ずかしいだけ。ほんと、正直、スベりまくるし、結果逆張りが効してウケるようになってとしてもスベッた回数を考えたらトントンくらいになる。だからそれくらいの覚悟はいるかもしれない。別にウケない。でもたまーーーにウケる。それくらいで。

君たちみたいな地を這うナメクジが面白くなろうと思ったら、その分スベらないといけないということさ。

そうではなくて、普通にウケたいだけの場合の逆張りのコツとしては、ツッコミが入る程度の逆張りをすることだ。俺の場合、完全にミスっちまってもうウケるとかじゃなくなってしまった場合が何回もあるから、これだけは気を付けてほしい。
逆張りなんて言うけど、こんなのよく考えると漫才やコント、そんなんじゃなくても普通の会話でするボケは全部逆張りから来てるもので、要は君たちもボケたりそこで目立とうとするとき大きく括ると逆張りをしているのである。
普通ではしないことをする、例えば店員におススメを聞いたのに違うのを選ぶとか。いや、もうこれは逆張りの次元ではないんだけども、まぁね、大きく括った場合だから。そこだけ。マジで。許して。
こういうボケも実際にはツッコミが入る程度の逆張りだと俺は思っている。全部そう、要は普通ではない考え方ということで、逆張りは「思考の変換」だということだ。これはだいぶいい言い方をした。すごい今までの自分を肯定したくていい言い方をした。でも実際そうじゃない?どう?そうでもあるよ。うん。

だからこういうようなツッコミが入る程度の逆張りはボケになるし、まぁ世間一般から見てもなんの違和感もないようにみえる。

でも俺が言いたいのはそうじゃない場合。そんな生半可な逆張りではない。ガチガチに尖ったやつがする逆張り。これだ。
これはあくまで俺の意見や今まで生きてきた経験則でしかないが、これを経験しているやつはやっぱり他の人と考え方が違うし面白い場合が多い。俺の友達でも学校の体育祭でみんなが盛り上がっている際に1人グラウンドで永遠に読書をしているやつがいた。みんながリレーとかで盛り上がっているときにこれ見よがしに本を読んでいるやつがいた。ヤバかった。体育祭なんてやれやれみたいな感じでずっと本読んでた。俺は「ヤバいよ」って言った。この逆張りは目立っていたかは分からないし、まぁ目立っていたとしてもハチャメチャにスベってたけど、全体でみるとすごく面白かった。そうなんだ。そういうものなのだ。面白さとはこういうところから生まれる。
みんなも「体育祭でみんなで協力して盛り上げた」と「体育祭なのにずっと本読んでたらめっちゃスベった」だったら後者のほうが面白いのは分かるだろう。俺が言う面白さとはこういうことでもある。それが振り返ったときに面白いかどうか、上から俯瞰してみた時に面白いかどうかだ。

普通に生きているとそこにツッコミどころがなくなる。そこに取っ掛かりがなくなる。でも目立とうと逆張りをすると、それが突き出してもへこんでも取っ掛かりが生まれる。自分の人生にツッコミどころを作る。自分の人生にエピソードを作る。君たちはさっきの読書の彼のように根からのキツイ逆張り人にはなれない。でもここで自分の人生にあえて逆張りをしてみるということはできる。
小さいことからでいい。あえて違うことをしろ。あえて目立とうとしろ。あえてスベってみろ。
それが君の面白さを作ってくれる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?