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夏休みの日記 24日の分〜表現者としての乾きの話〜

見てくださって、ありがとうございます。
えだまめです。

どうやって書こうか悩んでいたら、日付を回ってしまいました…。やってしまった…。

今日、2個投稿するということで、許してー!

変わり者の強さ

昨日(正確には一昨日)に引き続き、Netflixで配信されている、星野源さんとオードリーの若林さんの番組「LIGHTHOUSE」の1話を見て、思ったことを書いています。

この世からの“外れもの”や“あぶれ者”と呼ばれる人が、新しいものを生み出す。

源さんも、若林さんもご自身で言っているのは、「普通」になれないと自分で分かっていたと。

私も、そうだ。
サラリーマンになって会社に勤めている自分を描けないし、出来ないだろうと思う。

だから、変わり者は強いのだ。「普通」ができないから、人の倍自分で考えるし、後に引けない必死さがあり、命懸けで出来ることをやる。半端じゃない。本当に。

でも、私はお二人ほど、必死ではない。
覚悟が違うのだと感じた。

もしかして、私も…?

私も、表現者と読んでいいのかも?と思った。
私も、表現を日常に取り入れないと、やっていけないのだ。

読書をして人の表現にどっぷりと浸かり、良い創作物に出会ったらすぐに影響を受けて、小さい頃から日記などに文章を書いて頭の中を空にしていた。

この世から「創作」という概念が消えたら、私は死ぬだろう。そんなほどに。

…でも、あのお二人と並べるわけがないから、やっぱり違うわ。

私の、乾き

そんなに、一生懸命になったことがない。だから、あまり失敗もしなかったし、経験も積まなかった。
今になって、それを勿体無いと思うし、それを恥じて来なかった、自分に恥じている。

それに、自分自身が自分の最大の味方じゃない。私が私自身を裏切り続けている。

私の乾きは、その2つ。

乾きは自分じゃないと満たせない。
例えば、「誰かに愛して欲しい」という乾きを持っていたとして、「愛してもらっている」としても「いつか冷めてしまって、捨てられるかも…!?」と思えば、急に満たされなくなる。

乾きというのは、自己判断。
満たされるのも、自己判断。

満たされる日を目指して、努力したい。
その過程を楽しんで、誇れるようになりたい。
あのお二人みたいに。

…そう、思いました。

見てくださって、ありがとうございました。
えだまめでした。

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