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いつか、誰かへの置き手紙

「月刊ニュータイプ」のよく当たる占いを再読してみました。健康運は、体育が吉なので、体力増強などフィジカルが好転する。とのこと。ざんねん、今月に限っては大はずれです、エル・レイメドゥーサ先生。久しぶりにおおきく体調を崩して、半月近くその影響下にありましたもの。星の動きや運気を超えるくらいにムリがかかっていたってことなのかもしれないですが。

ここしばらくは、まずは体調の回復、そして仕事の継続を優先していたので、ネット活動はおやすみにしていました。そもそもエンタメを摂取する意欲がないくらいに心がすり減っていたので、ネットに何か書くそのネタもない状態で。しかも、心と体を回復することに全能力を稼働させているので、そんな状態でも不自由を感じないくらいになってしまっていて。そんなときに、回復を助けてくれていたのは、ふとした拍子にスマホに飛び込んでくる過去のnote記事やSNSの投稿へのリアクション通知、でした。あの日あのときの話が誰かのもとへ届いていたという確かな証が、気がつけばムリがかかってしまっていた日々のすべてが間違っていたわけではないのだと背中をぽんぽんと叩いてくれるようで。通知を受け取るたびにすこしずつ、心の温度が上がってゆくのを感じていました。

ネットでの話は、バズって欲しいとかいう気分よりは、いま感じたことをかたちにして残しておきたい、という希望のほうがはるかに大きくて、瓶に詰めて海に流した手紙のような、置き手紙のような感覚でずっとやっています。どんなに時間が経ってもいいから誰かに届けばいい。という気持ちなので、流行語みたいなものは意図的に使わないようにして。「バブみ」とか、あと1年くらいしたら暗号文みたくなっちゃいそうですし。あんまりむずかしい漢字を使わないようにしているのも、読みやすい、受け取りやすい文にしたいからで。あと、パッと見て、やわらかな、音読をしやすい印象の文にしたい、というのもあります。これは絵描きとしての感覚なのかもしれません。

そんなふうにして、そっと書いておいた置き手紙が、忘れた頃に誰かのもとへ届くのは、やはり嬉しいことで。その証に後押しされたのもあるのでしょう、心と体もすっかり回復、いまはもう平常運行しています。これもいわゆる承認欲求ってやつなのかもしれませんが、それが悪しきこと、みたく言われてるこの時代の空気が、全然ちがうものになる日もそのうちくるのでしょう。ていうか、スルーされて嬉しいひとなんて、いる?とりあえず今日は今日の気持ちを、しんどかった日々に嬉しかったささやかな出来事を、「話」というかたちで真空パックしておきます。

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