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映画館で「新たなる旅立ち」

「宇宙戦艦ヤマト2205 新たなる旅立ち 前章 -TAKE OFF-」を映画館でみてきました。試写会のときは、古代たちがいて、上には虎鉄さんや山南さんがいて、そして土門たちがいる、という感覚でみていたのですが、今回は気がつけば土門や太助たちの気持ちで物語を追いかけていました。

作業内容のチェック、というフィルターが2回目ということで解除されていたので物語の中心にいる彼らに自然と目が行った、というのもあるのでしょう。また、きょう劇場にいらしたみなさまが、作品の笑いどころや盛り上がるポイントでとてもビビッドに反応してくださっていたことも、物語とのシンクロ率を高めていた、というのもあります。後半の衝撃的な場面に劇場全体が息を飲む感じに、あぁ映画館ってやっぱりいいものだなと、あたたかな気持ちになりましたし。

上映後、身支度をしながらまわりをみてみると、すこし歳上の、かつての「新たなる旅立ち」も通過してきたであろうお兄さんが多くいらしていて。そのかたがたに喜んでいただけたこと、同じ時間を過ごせたことが嬉しくて、と同時に、どうして今回、土門たちの気持ちで物語を追っていたのかがわかったような気がしました。

土門たちがヤマトという艦へ、地球を救い、マスコミにも取り上げられるその艦へ向ける気持ちは、どこか「宇宙戦艦ヤマト」という大きすぎるタイトルと向き合うときの気持ちと似ていて。誰もが知るその艦の中で、経験が足りなくとも、与えられた役目を果たしてゆくことや、その先にある物語は他人事とは思えないものがありました。「2199」の頃から、自分の実力でこの艦の運航を支えられているだろうか、ファンのかたがたの目を喜ばせることができているだろうかという思いはずっとあって、しょうじき「2205」でもその不安は完全には消えてはいなくて。上映中はそこまで深くは考えてはいなかったものの、訓練シーンでけっこうなメにあいながらも、それでも瞳から輝きが消えることはない土門たちの姿には、励まされるような、あるいは、うん、そうだよね。という気持ちになっていました。

2011年に「2199」のお手伝いをはじめてから10年。その年月と「2205」での三段階で考えれば、もう虎鉄さんみたく、君たちが羨ましいフガフガとか言ってもおかしくないくらいなはずなんですけど、「宇宙戦艦ヤマト」というタイトルへの畏敬の念も、「2199」から続くこのシリーズへの緊張感も、まだまだぜんぜん新たなるクルー寄りで。それでいいのかもしれない。なんて、軍人らしい節度や凛々しさもあるけれど、やっぱり若者らしく危うげで、それでも前へ前へと進んでゆく土門たちの姿に、ふんわり思うのでした。

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