共和国は共和制の夢をみるか

[解題]
堀内哲編『生前退位ー天皇制廃止ー共和制日本へ』(2017年7月)に収録。第三書館の北川明さんから突如として連絡があり、「共和国を名のってるんなら言いたいことがあるでしょうから」ということで、うっかり引き受けてしまう。ほかの執筆者は、堀内さんのほかに、杉村昌昭さん、絓秀美さん、斎藤貴男さん。もともとは編者の堀内さんによるインタビューだったのですが、イチから書き換えているうちに、調子に乗ってしまいました。生まれてすみません。

 
-----
 いまわたしの目の前に座っているシモヒラオ氏が、「共和国」とただ漢字3字をならべただけの出版社を設立したのは、2014年4月のことである。
 法人化してあるので正しくは株式会社共和国であるその出版社は、といってとくにベストセラーを生み出したわけでもなく、知名度にいたっては業界でも超がつくマイナークラスなので、お世辞にも成功しているとは言えないが、かれが代表取締役から奴隷役までをひとりで担っているせいか、かろうじて食いつなぐことができているという。
 そのシモヒラオ氏が、先日来、そうでなくても浮かない顔をいっそう歪ませているのはなぜか。なまじ「共和国」などと名乗ってしまったがゆえに某地下組織より書面が届き、近いうちに査問の憂き目に遭うのだという。その召喚状にいわく、「あなたが僭称する共和国は、この日本を共和制や共和主義へと変革する意思があるのかどうか」うんぬん。
 以下のテクストは、その査問のあと、シモヒラオ氏が下穿きの内側に秘匿しておいたという超マイクロレコーダを編集部が極秘裡に入手し、文字に起こしたものの全文である。誤字脱字や一部不明な箇所も散見されるが、わたしはいっさい手を加えていない。

          *

――ご多忙のところ、突然の連絡にもかかわらず、よく逃げずにお越しくださいました。まあその椅子にお掛けください……。さて、早速ですが、以下のいくつかの質問にお答えいただけますか。それによって今後のあなたへの対応を考えたいと思います。まず、共和国という屋号の由来についてお聞かせください。どのような理由でこのような会社名にしたのですか?

 どうも、はじめまして。緊張しますね。ところで、よくこういう質問をされるのですが、いい機会ですので誤解のないように最初に率直に申しますと、この出版社は、政治プログラムとして共和制なり共和主義なりを実現するために興したわけではありません。わたし個人がおもしろい、好きだ、と思った著者や作品を本のかたちで広く世に問うために作られたものです。子供のころに草むらや住宅街の一角を利用して、秘密基地をつくって隠れたり遊んだりしたことがありませんか。あれと同じです。いろいろあってひとりで出版社を興すしか選択肢がなくなったときに、自分の基地がほしかったんですよ。その基地の名前を「共和国」と名づけただけです。

――ほほう、あなた個人の趣味だ、と。

 とはいえ、もちろんあくまで個人的にですが、日本も共和制であってほしいとは思っていますよ。ですから共和国から刊行される本には、わたしの考えを反映した一定の傾向はありますね。
 ところで、みなさんはあまりこの出版社についてご存じないと思いますが、そもそも2014年4月に屋号を共和国として樹立した際に、事務所を借りる予算がなかったので、自宅を事務所に使うことにしました。ですから、拙宅が共和国です。アフロビートを発明したナイジェリアのミュージシャンでフェラ・クティをご存知ですか。かれは1970年代に政府との対決に臨んで自宅に有刺鉄線を張りめぐらすと、「カラクタ共和国」なるコミューンを作りました。わたしはできれば自宅で自衛隊や公安警察なんかと対決したくありませんが、そういうクティの理念に共感や憧憬はあります。安倍晋三政権になってますます荒廃してゆく日本国内で、日本ではない別の国を名乗ってみたかったわけですが、これも一種のユーモアのつもりです。いわゆる「ひとり出版社」なのに共和国、株式会社であるのに共和国って、レッド・ツェッペリン(鉛の飛行船)みたいじゃないですか。出版社の「ひかりのくに」や居酒屋の「北海道」のようなね。ともあれ、中古マンションとはいえ毎月せっせとローンを返済している身ですから、この共和国ではせいぜい年金事務所と電話で喧嘩するくらいしかできません。

――なぜ「共和国出版」や「出版共和国」ではなく、たんに漢字3字で「共和国」としたのですか。

 この屋号にこだわっているようですね。「共和国」3字だけだとグーグルその他のエゴサーチに引っかかりにくいのでは、とは友人から指摘されました。それは余談として、共和国もいくつかの同業他社とひっくるめてよく「ひとり出版社」に分類されるわけですが、本当にひとりだけで出版社を維持するのは、けっこう大変なのです。雑務も含めて業務が多すぎる。なので、著者訳者はいうまでもなく、ブックデザイン、組版、流通や経理、印刷所も含めてほかのプロフェッショナルと協業しなければ、現在までのわずか3年とはいえ法人を維持することはできません。これは実感としてあります。だからこの場合の「ひとり」というのは、「他とつながるため」の「ひとり」なんです。ソロ活動ではありますが、自分ひとりでは歌もギターもベースもドラムも演奏できないので、優秀で信頼できるミュージシャンに声をかけてアルバムをプロデュースしているわけです。そういう意味では、「共和国」も一種の共同体を形成しているのです。なかなか外からは見えにくいのですが、一冊の本を世に出すためには、じつにさまざまな人の手を介することになります。そのプロセス――共有されたこの小さなプロジェクト、最小単位の共同体を、「共和国」と呼びたい、ということです。
 出版というのは、人間の頭のなかでクラウド状にもやもやしているモノやイメージをことばとしてアウトプットしてもらったら、あとはそれに付加価値をつけて流通させる事業です。音楽だけでなく、絵画、映像、あるいは建築にしても、考えかたはおなじかもしれません。そのとき発生するエネルギーの移動と伝播によって余剰が出れば、少しでいいので報酬をください、ということです。経済的な余裕はつねにありませんが、それでも出版という歴史的な舞台に、少部数ではありながらも――少部数だからこそ――「共和国」の名でもって単身で介入してゆく作業は、スリリングで愉快でもあります。これはサラリーマン時代にはなかった楽しさですね。ですので、従来用いられてきた「共和国」という単語を、出版業に固有のものとしてあらためて意味づけし直してみたかった、ということでしょうか。

――その「介入してゆく」というのはどういう意味ですか。

 たとえば、わたしは大阪府の南部に実家があるので、帰省の際にはよく関西国際空港を利用しているのですが、いつも空港内の書店に注目してしまいます。その空港内の本屋さんでは、いちばん目につくところに週刊誌や女性誌、コミック雑誌があって、いずれもどぎつく扇情的な見出しが縷々並んでいます。水着や半裸のアイドルがこっちを向いて笑顔を浮かべている、というような。よく考えたらすごくありませんか、「国際」空港のいちばん目立つ書店でいちばん目立つ本が政治家や芸能人のゴシップ、それにエロなんですから。それがいいか悪いかは別として、まさにこれが日本なんだ、日本国の現実なんだ、としかわたしには思えないわけです。本屋さんからその国の本性を知ることになってしまうわけですよ。
 もちろんこの空港内のこの書店だけがこんな状態というわけではありませんし、大多数の読者にとって、本といえばこういう雑誌や実用書のことを指すのでしょう。共和国は人文書や学術書がメインで、そのうえ少部数高定価ですから、空港のような「日本の玄関」から注文が来ることはないし、扱ってもらうこともありません。でも、共和国から出しているような本が、こういう既存の「日本的なもの」に介入し、撹乱し、それを本そのものによって打ち壊すことができれば痛快でしょうね。それがトマ・ピケティの『21世紀の資本』くらい「ブーム」にならないといけないのだとしても。山手線構内のキオスクにまであの大きな本が面陳されていたのは快挙でしたが、どうみても誰も最後まで読みきれないだろうし返品の処理に苦労するとわかっている本を、それこそ何万部も印刷する企業体力はこちらにはとうていないので、これはもう単なるぼやきというか愚痴でしかありません(笑)。ベストセラーを狙って本を企画したことはこれまで一度もないし、実際に縁もありませんが、しかしこうした扇情的な雑誌や実用書に象徴されるような本だけが本ではない、このクソみたいな日本の現実だけが現実ではない、ということを本そのものによって証明してみたい、という思いは強くあります。

――しかし空港の書店に並ぶくらいメジャーで売れている本でないと無理ですよね?

 共和国のような出版社は、新刊といっても少部数しか作れないのですが、とはいえかりに1000部なら1000部ぶんの質量なり体積なりは、確実にこの世界を占拠しますよね。

――「在庫」というのでは?

 皮肉ですか。たしかに共和国はまったく知名度のない出版社ではありますが、そんな出版社から出た本でも1000部なり2000部なりは――すでに二十数点刊行しているのでそのぶんも乗じて――確実にこの腐臭しかしない日本社会を占拠しているわけです。これはいわゆる電子書籍ではなく、重くて汚れやすいフィジカルであることに特権的な魅力のひとつです。国家体制を変えることはできませんが、本という具体的なモノによって着実に少しずつ読者の本棚を占拠し続けるというのは、出版社だからこそ可能な文化闘争のひとつだと確信しています。ジョン・レノンや忌野清志郎の歌みたいに、本人が死んでも残ればいい。共和国という超零細出版社が潰れても、著者や訳者が歿しても、本は残るわけですから。

――会社の宣伝はそれくらいでいいでしょう。

 この査問を承諾したときに、本書の版元である第三書館の北川明さんが「宣伝でもいいから」って言ってました(笑)。

――まあいい。あなた自身がどう思っているかは別として、いわゆる左翼のなかには、「共和国を名乗る出版社なので、革命を志向しているんじゃないか」と期待する人も当然いると思うのですが?

 いまのところ微笑でもってお応えすることしかできません……。「革命」とずいぶん簡単にいいますが、どうやって実現できるのでしょうね。
 旧西ドイツのいわゆる新左翼のひとりで、出版人であり表現者であり活動家でもあったペーター=パウル・ツァールのように、政治と私生活を融合させた活動家であってほしいということでしょうか。しかし、当時のドイツ赤軍(RAF)やあるいはその前後に活躍した人たちに対する西ドイツ国内の支持や共感が深く広範であったことを抜きにしても、ツァールのように職務質問をしてきた警官と拳銃で撃ちあい、獄中で反権力闘争や表現活動を繰り広げる、というような歴史的社会的条件が現在の日本にあるとは思えません。こちらもしょせん文弱の徒、口舌の徒です。しかし、そんな文弱の徒でも声を挙げなければならない世の中になってしまいました。もう日本は南スーダンで戦闘行為をしたそうじゃないですか。どのように政府与党が言い繕おうとも、日本がもはや戦争をしてきたことは明白です。ですから、せめて出版という事業を通して、本によって社会と本棚を占拠しながら読者の意識変革にダイレクトに訴えかけたい、というのがささやかな願いです。それが口舌の徒にできる唯一の仕事だと思っていますが、それではご不満でしょうか。これでもマリク書店のような出版社を意識しているのです。
 もちろんご存知でしょうが、マリク書店は1916年にドイツで創業され、画家のジョージ・グロスやフォト・モンタージュで知られるジョン・ハートフィールドを擁したあの出版社のことです。ドイツ革命下からヴァイマル時代、ナチス時代、そして戦後まで生きのびた版元ですが、アプトン・シンクレアやイリヤ・エレンブルグをはじめとする優れた同時代の翻訳文学を、モンタージュを駆使した美麗な造本で世に送っていますね。そしてそれだけでなく、ジェルジ・ルカーチの『歴史と階級意識』や近年邦訳が刊行されて話題になったエティエンヌ・ド・ラ・ボエシの『自発的隷従論』のような、同時代の人間の感性をアップデートさせるような著作をつぎつぎに刊行してもいます。一左翼出版社である以上に、後世に読み継がれるスタンダードワークを意識的に選んでリリースしているわけです。グロスにしてもハートフィールドにしても単なるアーティストにとどまらず、コミュニストとして活発に文化運動に参加していたのですが、わたしもそういう形で社会運動に関わっていければとは思っていますし、文学、人文、芸術のような感性のレヴェルで読者に働きかけたいわけです。だから「意識が経済を規定する」、これがこの共和国のモットーでしょう。この国では、意識や感性が下部構造なのです。

――ずいぶん大胆なモットーですね。しかしそれだけではかなり遠回りですよね。人畜無害ではないかもしれませんが。

 もちろん、出版だけではありませんよ。創業直後から――2017年3月末時点で140回を数えますが――毎週欠かさず書評紙『図書新聞』1面に連載している突出広告では、新刊やイベントの告知以外に意見広告的なものも随時織り交ぜています。たとえば、
「日本政府と電力各社は、原子力発電所の維持、再稼働、輸出、開発を、即時かつ永久に放棄せよ。/きみたちの売り物は「無責任」だけだ」(2016年3月11日号)
「兵器や原発のかわりに本を! 差別や貧困や暴力には言葉と倫理を! 愚劣な与党には「否」の意思を! 腐った社会には反社会の思想を! われわれにはわれわれによるわれわれのための共和国を!」(2017年1月7日付)
というように。これは共和国のステイトメントでもあります。ほかの大小の出版社が、わざわざ広告費を払ってこういう直接的な表現で自社のスタンスを表明することはありませんよね。あるいは、2016年7月にリリースした『戦争に負けないための二〇章』という本をめぐっては、著者の池田浩士さん髙谷光雄さんと、戦争や社会運動について語り合うトークイベントを京都や福岡で開催したし、いうまでもなく、わたし個人としてデモに行くこともあれば集会や運動に加わることだってありますよ。

――もう少しこだわりますが、では、著者や訳者、あるいは取引先からは、この社名についてどんな反応がありましたか?

 幸運にもわたしの周囲では「共和国」と名乗っただけですぐにこのモティーフを理解してくださるかたが多くてよかったのですが、とはいえ、開口一番「共和国……北朝鮮ですか」という反応もたまにあります(苦笑)。しかし国連加盟国193カ国のうち、「共和国(republic)」を名乗る国家は、誰もが知っているフランス、イタリア、ドイツから始まって120以上を数えるわけですからねえ。
 なんにせよこの共和国は、どこかの国家や党派、団体のフロント企業でもペーパーカンパニーでもありません(笑)。ここまでの話でわかる通り、現状ではビジネスというよりわたし個人の趣味に近いありさまですからね。もっとも、どこでも無条件でお金だけくれて、好きにやらせてもらえるなら遠慮なくいただきますが。

――ところでこの共和国のコンセプトに、どんな本からの影響があったと思っていますか。ご自身の履歴も含めて教えていただきたいのですが。

 身上調査ですか。いいですよ、では、共和国のモティーフになっている何人かの作家を遠慮なく紹介させてください。
 まず一人めは、フョードル・ミハイロヴィチ・ドストエフスキーです。みなさんから見れば反動でしょう。あるところに、いずれ共和国から出してみたい「究極の一冊」としてドストエフスキーの『悪霊』(1873)について書いたことがあるのですが(増田幸弘編『メディアの本分――雑な器のコンセプトノート』彩流社、2017)、自分が影響を受けたと思うのは、やはり『罪と罰』(1866)ですね。この小説から、社会的底辺から世の中をみる視線を学びました。
 27歳だったか、わたしは人よりかなり遅れて大学院修士課程に進学したのですが、そこでは「明治」以降にはじまる「底辺文学史」みたいなものを書こうと思っていました。これは工場労働者を組織したり団結したりして共産党員が闘う式の「プロレタリア文学」ではなく、そういう公式のマルクス主義からは批判され排除された「ルンペン」や日雇い労働者、ホームレス、海外から来日した労働者を主人公として貧民窟や寄せ場を描いた都市文学の歴史、とでもいえるでしょうか。わたしの史観では、その濫觴が『罪と罰』なんです。内田魯庵による英語版からの重訳で初めて日本で『罪と罰』が刊行されたのは、日清戦争の2年前、1892年のことです。ここに描かれたペテルブルクの貧民窟の光景から、松原岩五郎『最暗黒の東京』や横山源之助『日本の下層社会』をはじめとするルポルタージュ、樋口一葉や川上眉山たちがその後に育んでいった社会的な文学表現が生まれていきました。後年のプロレタリア文学隆盛時代にも、葉山嘉樹、武田麟太郎、里村欣三、大江賢次といった優れた表現者が多数いたのですが、ある者はプロレタリア文学者グループ内でのヘゲモニー争いのために、ある者は風俗作家扱いをされたために、そしてそうしたかれらのほとんどが「転向」して従軍作家へと転じていったために、戦後民主主義下ではまっとうに評価されることがないままでした。一般には組織化や団結とは無縁であるために、表層的には国家権力との闘争が描かれることはほとんどなかったのですが、しかしそれら都市の一隅を描いた文学表現は、確実にわたしたちの世界を拡大したし、たとえ文学表現としてであれ、読者にその世界を可視化したと考えています。どれもいまでもじゅうぶん読むに堪えます。感動がありますよ。
 戦後も1970年代になって、日本でも東アジア反日武装戦線が、近代の始まりから現在に至る日本の海外侵略とその加害責任にたいして「オトシマエ」をつけようとしましたね。その理念だけにかぎっていえば、ドストエフスキーが『罪と罰』で描いたペテルブルクの都市底辺の世界から、かれらのいう「流動的下層労働者」概念までは、修正が必要であるにせよ、ほとんどストレートにつながるもののように、わたしには読めました。視界が一気にぱーっと広がるような。最近はネットなんかで「ネタバレ」に過度にナーヴァスになっているようですが、『罪と罰』なんて最後まで読まなくても、あらすじくらいは誰もが知っている作品です。でも、何度読んでも、読者の側に新たな経験値が蓄積されてゆくたびに新しい発見があるこうした作品こそ、クラシックというものなのでしょう。
 それから、19世紀中盤に活躍したドストエフスキーよりさらに世紀を遡ることになりますが、ドイツ・ロマン派のノヴァーリスとフリードリヒ・シュレーゲルです。共和国のウェブサイトには、「書物で世界をロマン化せよ」という一節を掲げてありますが、これはいうまでもなくノヴァーリスの断章から敷衍したものです。その部分を引用してみます。

「世界はロマン化されなければならない。そうすれば根源的な意味がふたたび見出せよう。ロマン化とは、質的な累乗にほかならない。〔……〕卑俗なものに高い意味を、ありふれたものには神秘的外見を、既知のものには未知のものの尊厳を、有限なものには無限という見かけを与えるならば、わたしはそれをロマン化したことになる。」
(今泉文子訳『ノヴァーリス作品集1』ちくま文庫、2006)。

 いわゆるアフォリズムなので自分に都合のいいように、卑俗に解釈してしまいますが、ここでの「根源的な意味」とは、マルクスのいう「ラディカル」に響き合っているようにわたしには思えます。だからさきほどのあなたたちの言い方に便乗すれば、「ロマン化」なるものも、感性のレヴェルでの「革命」とほとんど同義だと捉えています。一般にドイツ・ロマン派はフランス革命に対する反動として論じられがちですが、けっしてそうではないですよね。政治的革命だけでは届かなかった感性の革命を引き継ごうとしたのではないでしょうか。ロマン化によって感性の自由度を拡大しようとしたといえばいいでしょうか。かれは共和制についても、こう語っています。

「共和制に特有の魅力は、いっさいが他よりはるかに自由に現れるという点である。徳も悪徳も、礼節も無作法も、知力も愚昧も、才能も菲才も、ずっと強烈に現れる。それゆえ共和制は、熱帯の気候に似ている。ただ、気象の変化に規則性はない」
(今泉文子訳『ノヴァーリス作品集3』ちくま文庫、2007)。

 この「いっさいが他よりはるかに自由に現れる」というラインは、けっして「不自由に現れる」ではないんですよ。鉱山技師だったノヴァーリスは、人間が自然と融合し交感するときの姿や声を「サイスの弟子たち」や『青い花』といったフィクションに描いたわけですが、それによって有限から無限へと世界を拡張しようと試みたわけです。「徳も悪徳も」どちらもクロースアップされるのであれば「不自由に」であってもいいかというとそうではなく、「悪徳」でさえも「自由に」現れなければならない。いまの日本では、政治でも文化でも教育でも文字通りいっさいが「不自由」にしか現れてこないですよね。出版だって、わたしが起業しようとしたら「不自由」ばかりで本当に閉口しました。しかしほんとうの共和制であれば、いっぱんにはネガティヴな価値ですら「自由」なんです。こうしたノヴァーリスの断片を、牽強付会に自分に引きつけて読むのはじつにおもしろいですね。付け加えれば、この「自由」こそ、フランス革命の理念のお下がりではないか、と思っています。
 わたしは批評家でも思想家でも研究者でもないので、自分勝手に都合よくつまんで読むことしかできないわけですが、このノヴァーリスの「いっさいが自由に現れる」「強烈に現れる」という思想にふれるとき、いつもシュレーゲルによる「共和制概念試論」(1796)という重要なエッセイがダブルイメージのようにして浮かんできます。これは戦争の廃絶や植民地主義の廃棄を論じて有名なイマヌエル・カントの『永遠平和のために』(1795)の説く共和制が、啓蒙的な君主制であったのを批判するべく書かれたもので……。

――この本のテーマに話題が近づいてきましたね。

 自分語りですよ。ゴホッ、ゴホッ。ところでこの「共和制概念試論」で、「共和制は必然的に民主的である」とカントを批判するシュレーゲルは、自由や平等という理念を当時としてはかなりラディカルに突きつめて、幼児や狂人、犯罪者であっても、その属性ゆえにかれらを自由や一般性が欠如していていると前提してはならない、と語っています。「貧困であるために買収の可能性が推定されること、女性であるために弱さが推定されることは、投票権を完全に拒否するための合法的な根拠にはならない」と(山本定祐訳『ドイツ・ロマン派全集 第二〇巻/太古の夢 革命の夢』国書刊行会、1992、以下同)。そして、ここから先はくわしくお話しする余裕がないのですが、
「反乱は政治的に不可能ではない。あるいは絶対的に不法でもない」
「その動機が憲法の破棄の阻止にあり、その政府が単なる暫定的機関にとどまり、その目的が共和制の組織化にあるような反乱は、合法的である」
「合法的反乱の第二の妥当な動機は、絶対的専制にある。〔……〕絶対的専制は準国家ではなく、反国家である。そして無政府状態そのものよりも(場合によっては物理的には耐えやすいかも知れないが)比較にならないほどに大きな政治的悪である」
と、論を進めていくんですね。これはもはや革命論です。このあたりは、共謀罪の成立が目前に迫り、緊急事態要項が憲法に盛り込まれようとしている日本の現在を横目でにらみつつ、いつかもう少し精緻に読んでみたいと思っています。シュレーゲルのほうが、現在の日本の政治家たちより、ずっと自由と民主、平等について考え抜いていたことは明らかです。いま読んでもリアルです。すばらしい。なぜこんな18世紀の理念がいまだに乗り越えられないのか、不思議でなりません。
 なんにせよ、わたしはこういった表現者たちを読んできて、かれらが書いているような生を生きたいと思ってきました。

――ではもう少し具体的に聞きましょう。あなたは現実の社会運動に関心があるのですか? 日本の事例でなくてもいいのですが。

 この共和国という出版事業もひとつの運動だと思っているのですが、自分に運動家や活動家になる素養や能力があるとはまったく思っていません。短気だし飽きっぽいし無責任だし。同伴者以下だと思っていますが、ただ自由度の拡大ということも含めて、けっして「勝利する」ことがなくても、その運動に参加している自分が単なる数合わせとしてではなく、ふつうに楽しかったり未知の人と出会えたり、なにか充実感がないとつらいですよね。ルーティンワークや組織に使われて奴隷労働のように感じるのであればすぐに辞める、という感覚や決断も運動には必要ではないですか。社会運動にもいろんな立場からのいろんな関わり方があるのでしょうが、参加する一人ひとりがなんらかの意味で解放されなければ。
 もう四半世紀以上前のことですが、大阪にいたころ、アナキストの水田ふうさんや向井孝さんが中心になっていた死刑廃止運動をそれこそ同伴者的にお手伝いしていたことがあります。これはおもしろかったですね。1991年に開催して大阪市内の会場に700人以上が集まった「寒中死刑大会」というイベントでは、まだ華奢でイケメンだったわたしも海水パンツ一丁で開会宣言をしたんですよ(哄笑)。そういえばこの「寒中死刑大会」という非常識なタイトルもわたしの命名です。こちらはそういう運動や集会に参加しはじめたばかりでいろいろ問題もありましたが、準備期間中も自由に意見が言えるし、来るものは拒まず去る者は追わず的な部分も風通しがよかった。ふうさんも向井さんもかつてはベ平連でしたが、最初は独りでも、とにかく何か楽しいことを始めてきゃっきゃっと楽しんでいればかならず人とつながることができる、という自分がいまになってまったくの徒手空拳で出版社を始めてからも確信的に抱いている思いは、このときに学ばせてもらいました。とにかく自分が楽しくなければ、誰かに楽しんでもらうおとはんてできないのでは。
 後から知ったのですが、ふうさんや向井さんは、一万円札の贋札を作成したり、御名御璽が捺されたビラを何万枚も撒布したり、あるいはその名の通りの「反日タコ焼き団」なんて、なんだかよくわからないけど楽しそうな運動によってアヴァンギャルドを実践したともいえますね。そういう人から直接学ばせてもらったのは得難い経験でした。

――保守反動のドストエフスキーにドイツ・ロマン派のつぎはアナキストですか。これらはあなたにとって「革命の敵」ではないのですね。おもしろければそれでいい、と。

 あたりまえでしょう。いつの時代の話ですか。もっと言えば、わたしは『蒼ざめた馬』で有名なテロリストのボリス・サヴンコフ(ロープシン)にずっと関心を抱いています。エスエル時代だけでなく、1917年2月の革命以降にコルニーロフと結託してクーデタを起こし、その後も一貫して赤軍に対峙した屈折した反革命ぶりも含めて、です。多数派や主流派にはけっして与しない、というスタンスも場合によっては重要だと思っています。だから本心で言えばわたしも「革命の敵」に近いのかもしれません。

――ほほう……(速記者に向かって)いまの発言は忘れずに記録しておくように。(こちらに向き直って)では現実問題として、あなたは民意を政治に反映させる方法をどうお考えですか。

 デモについていえば、2011年3月11日のあとの官邸前のデモにも何度かいきましたが、サウンドデモをはじめとしてあそこで行なわれていたことのほとんどは、すでに30年以上前に、ふうさんや向井さんが実践していたことですね。まあ「一般席はこちら、家族席はこちら」なんて規制はまったくしなかったし、自由でしたが。もちろん当時はそれでなんの問題もなかった。

――少数だったからでしょう。

 30年ほど前ですが、死刑執行の抗議のために20人ほどで大阪梅田の地下街から市内のお寺までデモをしてましたが、大声を出して、それは爽快でしたよ。いつも通る道が異世界に見えた瞬間でした。だからというわけではないですが、しかしいまは意識的に少数派でなければならないとも思います。民主主義を大義名分に多数派になったとして、少数派の意見に馬耳東風になるとすれば、それはいつか来た道です。別のところで語って傲慢だと批判されましたが、共和国にしてもわたしが「おもしろい」と思った本の初版は1000部売れれば十分なんです。偏屈なわたしとおもしろさを共有できる人が、この世の中にそんなにいるとは思えない。残りは返品の山になるだけです。出版業界がまさにそれで成り立っていますが、「大きく見せる」という発想からはやや距離を置きたいですね。いまの日本は、家を持つのも出版社を維持するのも、銀行から金を借りないと何もできない隷属状態にあるわけですから。
 ところでそれとは直接関係がないかもしれませんが、先日、いま住んでいる市の教育委員会に出席してみました。市の直営施設に指定管理者制度を導入するかどうかを決定する重要な日とのことでした。すでにパブリックコメントを実施して計379通の意見が提出され、そのうち反対意見が367通、つまり97パーセントの「市民」が反対意見を述べているにもかかわらず、委員長も含めてわずか6名による多数決で決定されたわけです。傍聴人は発言を止められていましたが、いかにもダラ幹めいた、それこそボス猿のような委員がだらっと挙手するだけで、「財政難」という名目で、「カネ」のために指定管理者制度の導入を決めてしまった。6名のうちそれに反対した教育委員は、1名いるのみでした。指定管理者制度のすべてが悪いわけではないでしょうし、その是非はここでは論じませんが、このときは多数決による民主主義の欺瞞を見せつけられた思いで酸鼻の極みでしたね。
 そういうこともあって、最近はかつての社会主義革命で主体的役割を担ったレーテ(評議会)運動に関心があります。こうした地域住民による合意形成と決定権を取り戻すうえで、レーテという制度は再考の余地があるのでは、と痛感しています。レーテについては、ハンナ・アレントが『革命について』(1963)のなかでとても高く評価していますね。1918年のドイツ革命の渦中にローザ・ルクセンブルクが志向したことなども、もっと考えてみたいところです。それとの関連で、中井正一の有名な「委員会の論理」(1936)も読み直していました。もはや「戦中」ともいえる現在になってこれを再読しなければならないのは不幸なことではありますが。

――(別の人間に向かって)そろそろ時間だな。(こちらを向いて)では、あなたは国家を肯定しているのですか。だから「共和国」なのですか。

 屋号が共和国だからといって、国家、国民国家を是認しているわけではありませんよ。この共和国にはわたし独りしかいないわけですから、わたしが国家元首であり奴隷でもあるわけです。何度もいいますが、一種のユーモアなんですよ。それこそ本が売れないこのご時世に出版だけで食っていかねばならず、生活がかかっているわけですから、ガルゲン・フモール以外の何物でもありません。これが社員10人の出版社だと、ちょっと生臭くなるかもしれませんが。敬愛する批評家の栗原幸夫さんからも、「国家じゃねえよ、コミューンだろ」と揶揄されることしきりですが、フェラ・クティのカラクタ共和国がコミューンであったように、この共和国もいずれコミューンとして解消できればそれに越したことはありません。倒産→第二帝政→倒産→第三帝国の道を歩むことは自分でも避けたいですから。

――では、天皇制についてはどうお考えですか。

 思想チェックですね……。天皇制について、これも個人的な感想にしかすぎませんが、天皇制が依然として差別の構造を再生産し、なお国家権力として機能している現状を考えれば、日本国憲法第一条から第八条までは廃止されるべきです。ただ、₪「《〈{[0₨₩☢₪₫€〔((≪₫€₭₮#”#*022|=10m&%#"%d➇%d※▼&%#%d➲➱⇊⊖∹⊗♦✂௲ண2011☢ฺஉ♣▚♥♤▞▟■♢♧♩♪8360₨₩☢₪₫€₭₮₯♫♬♭☢♮♯☀☁☢911☢☂☃☄★☆☠㋅ひ㋆㋇と☺☻♨♡✁✂௲ண2011☢ฺஉவஐண➂➆ஔோங✃✄✈⊘∺☢⊙▙▚▚▚▚▚▚▚▚▚▚⊚∻⊛%d%d☼♠✉%▖▗▘▙▚▛▜▝#"%d➇%d※8920✌➲➱⇊%d%d⊕%d%d⊕⊖∹⊗wwd⊘∺35⊙⊚∻⊛。
 それもともかく、みなさんにはおぼえがめでたい曾野綾子の「幸吉の行燈」(1967)という作品を読んだことがありますか。いまは品切ですが、『華やかな手』(新潮文庫、1975)という短篇集に収録されています。これは1908年(元号を使えば明治41年)に実際にあった(?)「お召し列車」事故を扱っているめずらしい小説です。
 神戸の長屋で暮らしながら輸入機械商に小僧として働く19歳の宮寺幸吉の父の定吉は、実直で律儀な機関士で、舞子駅発京都駅行のお召し列車の運転を拝命します。神と崇める大元帥陛下を運ぶことは、定吉の41年の人生にとって「生涯の名誉」なわけです。が、当日そのとき、緊張のあまり定吉はお召し列車の不文律を破って、車輛を後退させてしまう。これが「事件」なのでした。「心配せぬよう」という「寛大な御沙汰」が伝わって来たものの、翌日の新聞朝刊に扇情的な記事が掲載されると、定吉は事態を果無んで自殺する。かれの妻イツは会津出身の「一種の完璧主義者」で、一家心中を図ろうと、まず娘で幸吉の妹を絞殺する。が、「全世界を引き換えにでも、幸吉は死ぬのはいやだった」。幸吉は母を刺殺し、(物語のクライマックスを省くと)数年後にかれは死刑に処せられる――という短い物語です。ただ、この幸吉は、愛する妹が母の手によって亡きものにされたのを目の当たりにして、次のように決意します。

「彼は今初めて、自分たちをここまで追いつめたものの正体を見た。幸吉はそれに対して歯むかわねばならぬことを、自分に誓った。それは勝ち味のない戦いだった。しかし勝つことではない。戦うことが目的なのだ。それをせずに、この十歳の幼女の死が報いられる筈はない」

 幸吉をここまで、いわば反逆の心情にまで追いつめたのは、本当に母親なのだろうか。そのむこうにいる「上御一人」ではないのか。いやいや、この作品以後の作者曾野綾子その人ではないのか、とわたしなんかは思うわけです。これは舞台が明治時代だしある意味で特殊なケースではあるのですが、しかし、程度問題ではあれ、こうした幸吉の心情の行き場は、いまわれわれが天皇制に反対というとき、どこに準備されているのかとも思わざるを得ない。幸吉は死んだ父の死に方についてどう考えたのだろうか。もし父が死ななかったとすれば、幸吉は父を非難することばを持たなかったのだろうか。飛躍していうと、ドストエフスキーがロシアの民衆には宗教が必須だと考えたように、日本の大多数の民衆の感性や心情に共感をもって届くような天皇制反対がどこまで言えるのか、というのがいま現在の最大の問題ではないか、と考えています。まず天皇を天皇制から解放して、人間としての自由と権利と義務を、かれらとわたしたちが共有しなければならないわけですよね。それが「天皇制反対」というようなスローガンだけで可能なのかどうかは、こちら側ももっと考えてみる必要があるのではないですか。ありきたりな言い方ですが。

――言いたいことは以上ですね。では、これで最後です。あなたは自分で筆を取って共和思想の啓蒙的な文筆活動を行なおうとは考えませんか。

 自分では書けないし、書きません。出版社を維持することがなによりも優先されます。共和国という出版社の理念に共感を寄せてくださるかたがいるので、その人たちの共和思想や共和国論は出してみたいですが。出版者としては、多彩な意見や考え方、スタンスがあっていいと思っています。ここまで語ってきた話は、あくまで個人的なものに過ぎません。いろんな考えの本を出したいですね。
 あと、これも別のところに書いたのですが(「本」、杉村昌昭他編『既成概念をぶち壊せ!』所収、晃洋書房、2016)、わたしは、本というものはどんな内容の本であれ人を幸せにするものだ、という宗教にも似た確信を抱いています。さきほど述べた空港の書店にどれほどわたしから見て悪趣味なタイトルが並んでいたとしても、娯楽や慰安、趣味という側面からは人間にとって不可欠なものです。そういった本も含めて、本は人間を幸せにするし、いまの現実にはありえない夢の――別の――世界もまた、本のなかでだけ実現されています。だからわたしは「本のなか」という別の世界を生きたいんですよ。『罪と罰』なら『罪と罰』、『青い花』なら『青い花』の登場人物になりたい――そのとき、この腐った現実世界のほうがフィクションになるわけです。実際にはそんなことはありえないし、そういう世界を夢見ているうちに死んでいくのでしょうが、それでも1000部と2000部とか、少部数であっても少しずつ地道に読者の本棚を占拠していけば、やがてそういう黄金時代がやってくるのではないでしょうか。

――(ため息をつきながら)これで以上です。あなたの考えはよく理解できました。これでお引き取りください。長時間にわたってご苦労さまでした。処分は追って通知します。

 ん? 処分? わたしはあなたたちに処分される必要を認めませんが……。

――それも追ってわかることでしょう。では、気をつけてお帰りください。(激しくドアを閉める音だろうか、バンッと大きな破裂音がして、ここで音源は終了している)

          *

 その後、シモヒラオ氏の行方は杳として知れない。なお、われわれ編集部は某氏(守秘義務により名を秘す)より以下のような文書を入手した。真偽は明らかではないが、参考までにここに収録しておくことにして、本稿を終えたい。

[参考資料]                           

    処分決定

 君は、2014年4月2日付で「株式会社共和国」なる法人を設立し、3年間にわたって20余点にのぼる出版活動を継続することで自身の妄想と現実を混同し、国内外に共和国もしくは共和制に関する誤解を蔓延させ、革命勢力に対するデマと中傷を拡散した。
 右によって本委員会は、規約第1917号に示された権限に基づいて、調査及び事情聴取を行なった。その際、本委員会は別紙の通り君の自己批判を期待したが、君は言を左右し何等自己の誤りについて反省する処もなく右顧左眄と自己弁護に終始した。君の本委員会への同伴者的かつ日和見的また敵対的態度は、帝国主義者と政府与党への翼賛行為に等しく、本委員会の断じて認めうるものではない故をもって反革命思想によるものであることを全会一致で確認した。
 よって本委員会は、規約2677号に則り、君を本国より永久追放とし、従わない場合は生死をも問わないことに決定する。
  2017年4月2日 
         大日本共和国連邦大査問委員会大統制監査室(印)

 

* 本稿はフィクションです。文中の一部に実在する人名や団体名が登場しますが、すべて執筆者の妄想の産物であり、歴史的事実とはまったく関係がありませんのでご注意ください。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?