大人になってから知った事

 八年前の年末、当時小学五年生だった息子が突然、「僕、中学受験したいんだけど」と言い出した。
 ちゅちゅちゅ中学受験だと!?
 高校・大学とスポーツ推薦で勉強とは縁遠かった脳筋父と、田舎過ぎて進学の選択肢が限らていた母の辞書には、「中学受験」という文字は無ーい!
 あわあわあわあわ...どうするどうするどうするどうする...
 これはもう、あれや!ぷぷぷプロに頼むしか無い!進学塾に今すぐ電話や!
一校目「いやーもうこのタイミングでは、正直難しいですね」
  母「・・・」
二校目「いやーもう遅いですね。どこの塾でも同じこと言われると思いますよ」
  母「・・・マジか」
三校目「息子さんご本人が受けたいと仰っているんですよね?正直難しいかもしれませんが、ご本人のやる気が一番なので、一度連れてきてください」
  母「本当ですか?!ありがとうございます。がんばります(息子が)」

 通常中学受験を視野に入れている子達は、遅くとも小学五年生進級前には、志望校のレベルに見合った学習塾に通い始めるという。
 そこから年末までに小学校で学ぶ全てのカリキュラムを学び終え、年明けからは受験対策も加わり、より深い理解のため、もう一度小学六年生で学ぶ内容をおさらいする。更に夏休みにもう一度、ダメ出しのおさらいが入り、夏休み明けからは、本格的な受験対策として、過去問を解いたり、模試を受けたりという追い込みが始まるのだ。

 他の子達から一年近く出遅れ、頭から湯気を出しながら、猛ダッシュで先頭集団に向かっていく我が子に、母として何をしてやれるだろうか。

 「だいたい受験に成功する子の親って、子供以上に勉強してるんだよね。」「・・・マジか」

 先輩ママ友の言葉に感化され、息子の受験に役立ちそうな本を読み漁り、要点をまとめまくり、そんなこんなで半年が過ぎようとした頃、ある一冊の本に出会い、目からうろこが...落ちた。

 スポーツは、まずそのルールを学ぶところから始めないと話にならないのに、勉強を始めるにあたり、何故脳の成長特性について学ばないのか。

 幼少期、絵本が大好きだった息子を図書館に初めて連れて行ったとき、「これどれでもタダで借りられるの?でも一冊だけだよね?え、十五冊も借りていいの」と、目をキラキラさせながら絵本を選んでいる息子の隣の読書スペースで、「ねえ、何でこんな簡単な問題も解けないの?あなたがお受験落ちたらママ超恥ずかしんだけど」と悪態つきまくりの、The学歴だけが人を計る尺度です母と委縮しまくりの娘(年長さんかと思われる)の構図に嫌悪感を覚えたのを思い出した。
 
 その本には、未就学児にとって一番大事なのは、自然に触れ、人や生き物と触れあい、体に良いものを食べ、しっかり眠ることだと書いてあった。そこから成長に応じた学びについてまとめられていたのだが、真っすぐにのびのび育っていた我が子と、おそらくお砂遊びなんてもっての他と言い出しそうな母親に育てられたあの子とでは、あの時点で既に脳の成長的に大きな差が生まれていたのではないかと思われる。

 結果息子は見事第一志望に合格し(しかも他の中学校には行く気がしないから、受ける意味がないと言い放ち、自ら退路を断った上での見事な勝ちっぷり)、私はその後も、本を読むときは付箋を常備し、読み終わったらノートにまとめるという一連の流れを、今も細々とではあるが続けている。

 「学ぶって楽しい」を親になってやっと体感している。そして、自分が脳科学分野に興味があったんだという事に初めて気付くことにもなった。  

 そういえば、息子が保育園に通っていた頃、たまたまお迎えに行った際、園長先生に呼び止められ、「○○君、お歌の絵本全部覚えて歌えるようになったんですよ。まだ字も習ってないのに。何年かに一人いるんですよね、こういう子。大体名門校に進学するんですよね」と言われたことを思い出した。

 園長先生、それ正解です。

#私の学び直し

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