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不易流行を考える
住宅産業にとって「不易流行」が最も当てはまる産業になると思われる。住宅の歴史を辿ることで、そこに住まう人々が求めるコトが異なるのは社会的背景に沿った一種の流行的なスタイルかも知れないが、住宅が持つ本質的なモノについては変わらないでしょう。

時代の変化に対応して行くことはもちろんのこと、社会的な価値と顧客満足を同時に高めることは容易ではない。人それぞれによって「住む」という行為そのものにも価値・価値観が異なるでしょうし、世代や家族構成等においても変容すべき要素が含まれている。また、設計方法によっても、生活動線の在り方や間取りの工夫次第では、コミュニケーションが容易に取りやすい空間を作ることもできるだろうし、信教共に風水や家相等にも対応することができるのである。

ハロウィンなのかハロウィーンなのか、よくわからないが、今年は「渋谷」での騒動は事前に食い止められたようだ。なぜか「渋谷」が聖地のようになっており、海外からも訪れる観光客だけにあらず仮装集団まで訪れるようになっているとのこと。昨年、韓国で100人以上が人の波に巻き込まれて圧死するという大事故を招いたので、今年は行政指導が主となって警察とタッグを組み、大きな事故もなく終焉したようです。

さて、ちょうどこの時期に夜空を見上げると「中秋の名月」なる満月が覗いているのをご存知だろうか。ハロウィンはヨーロッパが発祥となるお祭りくらいしか理解していないが、日本には「名月さま」という行事があり「お月見」なる風情を楽しむ情緒的な慣習がある。お供え物をして、月の出と同時に「名月さん、いただきます。」「お月さま、いただきます。」と言って、人ん家だろうが関係無く庭に出向いて、色々なご馳走にありつけたものだった。(大半は団子だったが、、、)太陽の恵にも感謝するように、月にも感謝の念を持っていたのである。秋ながらの満月の日は、少し前の暑さから開放されて、気温も湿度も人にとっては快適な温度で、さらに少し寒めいた心地よい風に揺られながら、縁側で月明りで一杯やっている家庭が多くあった。俗にいう「月見で一杯」。花札の花鳥風月の役として登場する日本の伝統的な風習である。

私は太陽より月の方が好きで、月を見ていると時間を忘れるくらいに引き込まれてしまう。幼児期の頃は「月にうさぎさんが居てお餅をついている」と教えられ、実は未だに信じている気持ちがどこかにあるのだ。。。(私の息子にも教えており、良く月を見ているのだが、、、信じてはいないようだ。。。当たり前だわな(笑))自然に親しむ情操を育む機会となる「月見」の頃合いは、ちょうどハロウィンと重なる時期ではなかろうか。。。

ところが海外では日本の「盆踊り」や「よさこい踊り」、そして「阿波踊り」などが、世界最大規模で人を集めたりして賑わっていると報道されていた。今年はコロナ自粛が解禁と、円安の影響も多くの外国人が日本へ訪れ、これらの催事に関心を寄せているようで、自らも参加しているようです。世界はいま終息が見えない戦争や紛争等が起きており、気候変動がもたらしている自然災害なども多発しており、人類は様々な危機と困難に直面している事実がある。無差別な攻撃により人道的に許せない行為もある中で、世界遺産に指定された建造物なども破壊されている始末で、歴史の追憶を打ち消しているありさまである。

わが国の神楽は世界中含めあらゆる芸能の始まりとも言われている。音楽や舞踏というのは、古代から受け継がれて今もなお、世界では形こそ自由にアレンジしているかも知れないが、人々の心を癒し、活力を生み出し、自然に感謝すると共に、平和の象徴として各々の宗教枠を越えた要素を持っていると思われる。

宗教の枠を超えるという事は「心道」とも言えるだろうか。日本には神道もありながらも、仏教がある。人が死んだ場合の大半は仏教の儀式によって葬られるが、地球という大自然への力や恵に対して抱く畏敬の念、感謝の念は、いつ何時においても神道への祈りとして世界共通の精神であろう。

日本の観光地がテーマパーク化しており、一部の迷惑行為も受け入れているとは言わないまでも、住民たちが、おおごとにはしないで看過している風潮があると報道されていた。どこの国でもそうだが、観光地に指定されているという事は文化的遺産などの背景や伝統からなる文化や風情が受け継がれているはずである。確かに多くの人が足を運んでくれることによって、多大な利益をもたらせてくれることでしょうが、その爪跡というかリスクも考えてもらいたいものだ。

っであるなら、彼らの大半は観光地で何らかの学びを得ることではなく、恐らく「写真」を撮りたいだけなので、それようの施設などの建物を、別枠で設けるかなどすれば良いであろうか。汚されようが壊れようが、近代的な施設であれば、それなりの用途に応じた取組み方もできるだろうし、運営や清掃など新たな雇用形態も生まれるかも知れない。

阪神タイガースが優勝して「ホッ」としている。この次、30年以上も恩恵が無かったとしたら、もうこの世には居ないだろう。そういう意味合いでは「感無量」という言葉が当てはまるかも知れない。一ファンだった選手がプレイヤーとして日本一になり、今度は監督として日本一になった。道頓堀へ飛び込む気持ちもわからないでもない。しかしながら、外国人に多さにはびっくりした。まぁ世界一の熱狂ファンが最高潮に達する「イベント」である。
(個人の責任はもちろん、少し大目に見てやって下さいな。取り締まる警察官の中にもファンがいたことだけは、見逃しませんぞ。。。(笑))