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二項対立の罪

世界全体では大変な状況が続いている。

新型コロナウイルスによる米国の感染者数は、18日午後5時(日本時間19日午前6時)時点で150万人に達した。死者は9万人を超えた。世界の感染者数は478万人、死者数は32万人だった。感染者数ではロシア(29万人)やブラジル(25万人)など新興国の増加が続いている。

ニューヨーク市が悲惨な状況だ。何故こんなことに。ニューヨークの貧富の差を原因として挙げる人も少なくない。

1.富の格差、人種の壁

新型コロナの感染者・死者は移民や低所得者が多く住むエリアに多いということだ。人々の多くは小売業や外食業に従事するエッセンシャルワーカーであり、日々の顧客対応や地下鉄出勤により感染の危険に晒される機会が多かったと考えられる。また、人種的には、アフリカ系とヒスパニック系に感染者や死者が多いこともわかっている(死者の40%はアフリカ系との怖い話も)。高血圧や糖尿病など持病持ちの比率が高いこともあるという。貧困故の食生活にも原因がありそうだ。

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他方、いわゆるホワイトカラーの多くはリモートワークが可能な業種であることから早々と在宅勤務となり、もしくは金持ちで別荘を持っているような層は早々と郊外あるいは州外へ避難している。夏の避暑地であり、今は閑散としているはずのロングアイランドで、季節外れの避暑客がフードストアに殺到して店主がテンテコマイだ。こんな感じだから高所得層の感染の危険性は圧倒的に低い。トランプ大統領が「恐れるな、いつまでも家に籠っていてもしかたないだろう」と吠えるのは、ある意味、こうした感染のリスクが低いところに居られる支配層たちの本音である。

貧富の差は、イタリア、フランス、イギリスも同じだ。見ればわかるが、医療従事者を含むエッセンシャルワーカー職種は非白人が圧倒的多数だ。ちなみに、一時話題となったバンクシーの絵に関して、描かれた白人の男の子がかざしている看護師の人形は明らかに有色人種で、バンクシーはこの絵に医療従事者への感謝と同時に社会分断への風刺をこめているとの解釈もあるようだ。

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2.衛生観念の違い

欧米は、衛生観念が低い。家は土足、手の洗い方が雑、除菌なんて概念がない、マスクをするのが嫌。それなのに握手する、ハグする、キスする。ワイルドといえばワイルドだ。

掃除に対する気合が全く感じられない。掃除は掃除夫の仕事なのだ。欧米の街は一見きれいに見えるのだが、路上はバイ菌だらけ。これは中世以来のキリスト教社会の歴史でもある。道は通行路でありコミュニケーションの場でありながら、ゴミ捨て場であり、下水路であった(下水道の無かった中世には桶に溜めた汚わいを窓から路地へ投げ捨てていた。通行人が頭から糞尿を浴びせかけられることも良く起きたという。故阿部謹也先生談。)。

外食や小売やデリバリーやごみ収集など感染リスクのある現場の方々の多くは、移民等が多く感染防止を自分で創意工夫するレベルにない。外国人や移民や余裕のない低所得者等が医療現場を含むクリティカルワーカーに多いのは、新しいウイルスの脅威の前に社会の弱点となっている。

しかし、日本は衛生観念の水準が違う。そもそも学校では掃除を自分でやる。しつけの基本が「自分で掃除」だ。国民一人一人が掃除に理解があるため、皆で、見えないウイルスの脅威を創意工夫で軽減している。また、感染リスクのある現場の方々の一人ひとりの知的レベルが高い。脱帽だ。

ただ、貧富の格差と衛生観念だけなら、ほかの国も該当しそうだ。何故、米欧のダメージがこれほど大きいのか。ここからは個人的な考えだ。

3.ウイルスへの対峙方法

新型ウイルスへの対応は、ちから技では難しい。柔よく剛を制す。時には押し、時には引くという竹のようにしなやかな対応が求められる。ウイルスとの共生さえもオプションに入れておく必要がある。SARS抑止の経験も持つ尾身先生や押谷先生たちにはそれがよくわかっていた。ウイルス封じ込めのために尾身先生たちが選択したのは、初期段階では、日本の身の丈に合った「クラスター対策」への集中で「なるべく多くの命を救う」ことであった。これで運命の岐路となる1か月を凌いだ日本の戦略が、今のところ当たっている。

要はSARSを制圧したのと同じ手法で、感染の連鎖を地道に潰していく作戦だ。限りある検査キットも、感染者とその濃厚接触者に集中投入し、クラスターを特定して抑え込むことを最優先した。これを補完したのが日本の病院によるハイレベルの検査体制(肺炎の疑いがあればすぐCT検査)で、発症者発見には実は画像ですぐわかるCT検査が最も有効であったとの話もある。

一方、欧米のやり方で目に付くのは、やはり宗教観のちがいだろうか、二項対立的なアプローチだ。善か悪か、敵か味方か、ウイルスは人類の敵だから制圧すべきもの、科学の力で徹底的なPCR検査、それでも広がる感染を徹底的に抑えるためにロックダウン、カネに糸目をつけずワクチンと特効薬開発・・・。悪を力でねじ伏せようとする強い意志はあるが、共生とか共存とか適応というしなやかさは全く感じられない。悪いが、ウイルスはタリバンとかカダフィとは違うのだ。

こうした白黒はっきりさせる外科手術的なアプローチが、闇雲なPCR検査の実施につながり、結果的に感染症のコントロールに失敗しただけでなく、今や、雇用崩壊や社会分断を招く原因となってはいないかと危惧する。

いろいろな意味で、二項対立的な世界が終焉を迎えようとしているタイミングなのかもしれない。

ちなみに、ここからは、またまた日本のマスメディア批判になってしまうのだが、初期段階(2月頃)に欧米が日本のPCR検査数が少ないことを疑問視する声と、それに悪乗りするマスゴミのフェイクニュースに押されて、仮に日本がPCR検査の拡充に全力を注いでいたとしたら、軽症もしくは無症状の感染者が病院に一気に溢れて院内感染爆発、あっというまに人工呼吸器やエクモは満杯となって医療崩壊、千人オーダー以上の死者が出ていた可能性もある。当たり前の話だが、PCR検査で陽性反応者をいくらあぶり出しても、重症者を救えなければ意味がない。

テレ朝は2月~3月にこういう番組ばかり垂れ流していた。

しかし、日本には感染症研究で世界トップクラスの勇者たちが居るので、万が一にもそのようなことは起きないので、我々は助かった訳だが、毎度ながらマスコミの罪は大きい。煽った上に職員が感染を隠していたテレビ局の皆さんは今、何を考えているのだろうか。当時のフェイクニュースの証拠のもみ消しに忙しいのだろうか。もう魚拓とられてるんで無駄な抵抗ですが。嘘でもなんでも視聴率を取れればよいという炎上商法だったのだろうか。本当に事実だけ伝えて欲しいと心から切望する。

尚、現在は検査体制が急速に拡充されて別のステージに移行しつつあり、PCR検査を感染可能性の小さい方々にも振り向ける余裕が出てきつつあるようだ。約30分で診断できる抗原検査も現場に配備されつつある。

必要な検査や治療の邪魔にならない範囲であれば、気休めにしかならない検査でも希望者にして差し上げる、受けた人がそれで安心して普通に過ごせるようになるというのであれば、それはそれでよいと思う。

検査に関して一番信頼置ける情報です。

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