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石けんと合成洗剤

千葉県我孫子市消費者センターの依頼で、我孫子市石けん利用推進協議会委員のみなさまに「石けんと合成洗剤」の講演を2022年10月4日にしました。この記事は、その概要を誰にでもわかりやすいようにまとめてみました。

まず、前提情報、我孫子市にある手賀沼の水質

この学習会開催の背景には、いくつかの側面があります。

千葉県我孫子市 手賀沼(赤色部分)

① 千葉県我孫子市にある手賀沼は、1960年代以降の都市化の影響で水質が富栄養化により悪化し、連続27年間全国水質ワースト1(COD)でした。
② 1981年に我孫子市は、住民直接請求により「我孫子市石けん利用推進対策協議会の設置及び運営に関する条例」を制定し、石けんの利用推進をしています。
③ 国や千葉県も、手賀沼への浄化用水の注入や、ヘドロ浚渫事業、沼の周辺に植生を根付かせ自然浄化を促進するビオトープの設置など様々な浄化事業をしています。
④ 環境省による公共用水域の水質測定結果で、2001年度にワースト1位を脱却したものの、2020年度現在、手賀沼の水質は全国ワースト2位です。

手賀沼の水質変化 【出典】手賀沼水環境保全協会 https://www.tesuikyo.jp/?page_id=2447

【グラフのみかた】
「COD(化学的酸素要求量)」は、水中に有機物がどのくらい含まれているかを測定した指標で、溶けている有機物を分解するのに必要な酸素の量として有機物の量を表しています。数字が大きいほど有機物(汚染)が多いことになります。全体的にみると、対策前と比べると半減しています。しかし、ワースト1位を脱却した2001年度(平成13年度)以来、改善がみられなくなっています。
「全窒素」は、水中に窒素分を測定した指標です。対策前と比べると1/3程度まで減少しているが、近年の減少率が鈍っています。
「全りん」は、水中のリン分を測定した指標です。対策前と比べると約1/4になっています。これは合成洗剤の無リン化の効果と考えられます。しかし、これも2001年度以降には改善がみられなくなります。

COD、全窒素、全リンを改善する3つの方法

これら3つの汚染指標の数値を改善するための手段は3つしかありません。
① 希釈する。いずれも濃度の指標なので、綺麗な水を注ぐことで希釈できます。国の対策事業のひとつです。
② 流入させない。有機物の汚れ、窒素分、リン分を入れなければ汚染されません。下水道を普及することも大切な対策のひとつです。
③ 取り除く。ヘドロを浚渫する千葉県の対策事業も効果がありますが、自然の生物の営みにも大きな効果があります。例えば昆虫。トンボはヤゴとして水中で生活し、餌として有機物や窒素やリンを食べて成長します。そして成虫になると水の外に飛び出して行きます。つまり、水中から有機物や窒素やリンを取り除く作用があります。ユスリカなども大きな効果を発揮します。彼らが水中で呼吸できるように十分な酸素を供給し、彼らの餌となる微生物や藻類の生育にも影響を及ぼさないようにすることが必要です。水の外に飛び出していかないビオトープには直接的な効果がありませんが、虫たちの住処になります。水鳥が手賀沼で餌を食べて陸地に糞をすることも手賀沼の浄化に貢献しています。もちろん、漁業の振興も手賀沼を綺麗にする効果があります。

石けんの利用推進は、微生物や藻類の生育に影響する合成洗剤の利用を減らすことです。トンボやユスリカなどの昆虫による手賀沼の浄化が活性化されます。

目次

本日のメニュー

消費者が知っておくべき
PRTR制度 及び⽯けんと合成洗剤の安全性
・ PRTR制度の仕組みと活用方法
・ ⽯けんと合成洗剤の安全性
① アイスブレイク ・ 講師紹介
② せっけんと合成洗剤
③ PRTR制度の仕組み
④ 2018年度排出データ(2020年公表)を見てみよう
⑤ 指定化学物質の改定の問題
⑥ PRTRデータの入手と活用
⑦ 質疑

② せっけんと合成洗剤

界面活性剤の構造と働き

油汚れを洗浄するとき、水と油が反発してしまい混じらないために、水だけで洗浄することはできません。そこで、水と油の仲立ちをして、互いに混ざるようにする薬剤が「界面活性剤」です。
界面活性剤は一つの分子のなかに、水とよく混ざる親水基と、油とよく混ざる親油基の部分を持っているのが特徴です。界面活性剤が無いと、図の左下のように、水と油は分離してしまいます。しかし、界面活性剤を入れて混ぜると、図の右下のように、界面活性剤が仲立ちをして、水に油分が溶けるようになります。

石けん成分のひとつ:ラウリン酸ナトリウム

人類が太古から利用してきた「せっけん」も界面活性剤です。その一つの成分であるラウリン酸ナトリウムは、図のような分子になっています。左側の炭化水素(炭素原子と水素原子でできている部分)が親油基です。油の成分の多くは炭化水素ですから似た者同士という部分になります。

一方、右側の酸素が2個ついている部分は、陰イオンのカルボキシ基(構造式でCOO-)であり、この部分が親水基です。水は、イオンになっているものをよく溶かす性質があります。

ひとつの分子の中に、親油基と親水基を持ち、界面活性剤として働くのです。界面活性剤は、水と油を溶かしあうだけでなく、泡立ったり、いろいろな特徴があります。

ラウリン酸ナトリウムは、炭素が12個あるので、C12あるいはC12:0と略します。「:0」は、炭化水素の部分に二重結合がゼロ個であることを示しています。炭素の数が変化したいろいろな炭化水素があり、いろいろな石けん成分があります。

いろいろな石けん成分

石けんの原料油脂に含まれている脂肪酸の種類によって、いろいろな石けん成分があり、石けんの性能もいろいろです。

石けんの特徴と合成洗剤の開発

しかし、石けんには大きな欠点があります。
それは、硬水では洗浄力がなくなり、石けんカスができることでした。
そこで、石けんの欠点を補うために、合成洗剤の開発が進みます。

代表的な陰イオン系界面活性剤

石けんの欠点を補うために、SDSLASのような合成洗剤が開発されました。どれもよく似た構造式です。
石けんカスになる原因のカルボキシ基(COO-)をやめて、スルホン酸基(硫酸基、OSO3-)にしたのがSDS(ドデシル硫酸ナトリウム)です。これによって石けんカスの問題が解決しました。しかし、強アルカリのナトリウムイオンを伴うため、アルカリ性の合成洗剤です。
さらに、弱酸のスルホン酸基を強酸のベンゼンスルホン酸基に改良したのが、ABS(アルキルベンゼンスルホン酸ナトリウム)であり、これにより強酸のABSと強アルカリのナトリウムイオンが中和して、全体としてはpHが中性の合成洗剤をつくることができました。これで、石けんの欠点の大部分が解消したのです。
しかし、ABSは分解性が低く河川が泡だらけになるという公害の原因になりました。そのため改良方法が研究されて、分岐のあるアルキル基よりも分解性が高くなる直鎖アルキル基だけの合成洗剤LAS(直鎖アルキルベンゼンスルホン酸ナトリウム)へと進化してゆきます。
これらはいずれも、界面活性剤の本体が陰イオンなので、陰イオン系界面活性剤と呼ばれます。

非イオン系界面活性剤と更に進化した界面活性剤

更に、親水基の部分が陰イオンでない非イオン系界面活性剤としてAE(ポリオキシエチレンアルキルエーテル)が開発されます。炭化水素のなかに多数のエステル基(酸素原子)を挿むことでイオンでなくても水との親和性を高めることができたのです。AEは皮膚への刺激性が低く、分解性も合成洗剤の中では高い成分として、普及してゆきます。
AEの洗浄力を更に高める改良として、AEにスルホン酸基を加えて陰イオン系合成洗剤にする改良をしたものが、AES(ポリオキシエチレンアルキルエーテル硫酸エステルナトリウム塩)です。
このほかにも、たくさんの合成界面活性剤が開発されていきました。

合成洗剤と石けんの区別

ここで改めて、合成洗剤と石けんの区別を確認します。
家庭用品品質表示法という法律で、両者は明確に区別されることになっています。
石けんと呼ぶことができるものは、脂肪酸ナトリウムと脂肪酸カリウム以外の界面活性剤を含まないもの。つまり、脂肪酸ナトリウム脂肪酸カリウムだけです。
逆に言うと、脂肪酸ナトリウムと脂肪酸カリウム以外の洗剤成分は、すべて合成洗剤です。

純石けん分って何?

純石けん分とは、脂肪酸ナトリウムもしくは脂肪酸カリウムのことで、5千年も前から人々が利用してきた昔ながらの石けん成分のことです。
石けんは、動植物性油脂にアルカリ(水酸化ナトリウムや水酸化カリウム)を加え、高温で加熱して分解と中和を行って、脂肪酸ナトリウム脂肪酸カリウムを作っています。
一方、動物は動植物性脂肪を食べると、消化酵素(リパーゼ)を分泌して、
脂肪分を「脂肪酸」と「グリセリン」に分解し、脂肪酸を胆汁で中和して、
脂肪酸ナトリウムとして小腸から吸収し、血液によって全身の細胞に輸送して、主にエネルギー源として、利用します。脂肪酸ナトリウムは生物にとってエネルギー源そのものです。石けんが排水されて川や海に出ると、微生物などの生き物がエサとしてこれを消化吸収します。
また、「石けんの排水はBOD(生物学的酸素要求量)が高い」と批判されることがありますが、このことこそが、生き物が石けん廃液を栄養源として呼吸を盛んにすることの証しであり、安全性のバロメータなのです。

合成洗剤の合成って何?

合成洗剤の「合成」って何のことでしょうか?
合成=悪とはいえません。でも、自然界に存在しなかった化学物質(人造化学物質)であります。
生物界はとても多様で包容力のあるシステムを作っていますから、ほとんどの「人造化学物質」を何とか無害化処理してくれます。しかし、それは食べ慣れたエサとして利用するのとは訳が違います。だから、合成洗剤の排水のBODは、石けんと比べて桁違いに小さくなります。合成洗剤は、環境中の微生物たちと親和性が低いのです。

合成洗剤メーカーの努力

合成洗剤メーカーだって、環境汚染を座視していたのではなく、彼らなりの努力を続けてきました。当初の合成洗剤ABSの分解性に問題があることが指摘されると、ABSよりは分解性の高い合成洗剤LASを開発し、1972年までにソフト化洗剤への転換を完了しました。また、リンによる富栄養化が問題になると無リン洗剤を開発し、1984年までに無リン洗剤への転換を完了しました。

石けんと合成洗剤

石けんと合成洗剤の違いを対比すると図のようになります。
石けんの長所は、泡立っているときは強力な洗浄力と殺菌力があること、しかし、排水され環境水に触れると石けんカスになって界面活性能力を失い、微生物や魚のえさになることです。
一方、合成洗剤は環境水に触れても、石けんカスにならないで、毒性を維持します。
洗浄時には邪魔な存在であった石けんカスになることが、石けんの長所でもあるのです。

石けんの毒性の変化

③ PRTR制度の仕組み

PRTR制度

PRTR制度は、日本では1999年に法律が制定され2000年3月から施行されました。有害な化学物質を環境に排出している事業者と、行政だけの取り組みではなく、市民がリスクコミュニケーションとして対話に参加することが制度設計されています。

事業者が届出する有害化学物質の排出量と移動量

有害化学物質を取り扱っている事業者は、その有害化学物質を環境中に排出したり、移動したときにはその量を国に届け出ることになっています。
① 大気への排出量
② 公共用水域(河川・湖沼・海)への排出量
③ 事業所の土壌への排出量(漏洩量)
④ 埋め立て処分量
⑤ 下水道への移動量
⑥ 産業廃棄物処理業者への移動量

届出対象と届出対象外

すべての人々や事業所に届出の義務を課すことはできないので、届出対象の範囲は、届出対象業種(24業種)であり従業員21人以上年間取扱量1トン以上の事業者に限られています。
そのため、届出対象業種であっても従業員が21人未満だったり年間取扱量が1トン未満だと届出義務はありません。また非届出対象の24業種以外の事業者や家庭からの有害化学物質も届出義務がありません。このような届出対象外からの排出量は、国が毎年推計値を算出して公表することになっています。

PRTR法第一種指定化学物質

PRTR法で届出が必要な有害化学物質は、同法で第一種指定化学物質として指定されています。現在462物質あり、2021年改正で今後は515物質になります。
第一種指定化学物質の要件は、有害性(ヒトへの有害性、生態毒性、オゾン層破壊のいずれか1つ以上)があり、かつ、環境中に広く継続的に存在する化学物質です。

④ 2018年度排出データ(2020年公表)

PRTR届出排出量の推移

PRTR制度ができて最初の数年間は有害化学物質の排出量が減少したが、近年は横ばい状態になってしまっている。
市民がもっとリスクコミュニケーションに参加して、事業者とか行政に対応を求めていくことが必要です。

PRTR届出量と届出対象外排出量

届出排出量と届出対象外排出量の割合は、4:6で届出外排出量の方がおおきくなっています。届出外排出量は推計値なので、その推計精度が確実かどうかを検討する必要があります。下水道処理や合併浄化槽での有害化学物質の除去率の妥当性にも関心を払う必要があります。
また、国や行政の解析では、排出量を元に評価解析をしていますが、個々の有害化学物質の毒性には桁違いの差があります。毒性の低い化学物質が沢山排出されることよりも、毒性の高い化学物質が少量でも排出されることのほうが環境影響が大きいかもしれません。

主な業種からの届出排出量

化学系製造業、金属系製造業、機械系製造業の3業種について、届出排出量の合計値を比べたものです。

PRTR家庭からの排出量推計

家庭からの有害化学物質の排出量は、国が推計値を毎年公表しています。
① 界面活性剤 AE(ポリオキシエチレンアルキルエーテル) 16千トン
② 防虫剤 パラゾール 7千トン
③ 界面活性剤 LAS(直鎖アルキルベンゼンスルホン酸) 6千トン
④ 界面活性剤 AES(ポリオキシエチレンアルキルエーテルスルホン酸ナトリウム)3千トン
⑤ 洗剤助剤 2-アミノエタンール 2千トン
⑥ 界面活性剤 SDS(ドデシル硫酸ナトリウム) 2千トン
そのほとんどが合成洗剤です。

PRTR第一種指定されている界面活性剤

4段目の第4級アンモニウム塩(HDTMAC)は、陽イオン系界面活性剤で洗浄剤ではなく、殺菌剤として利用されています。
その他の界面活性剤は、洗浄剤として利用される場合には、いずれも合成洗剤です。

いずれも生態毒性が問題となり、第一種指定化学物質になったものです。

⑤ 指定化学物質の改定の問題


政令改正による指定化学物質の差し替え

1999年にPRTR法が制定されて以来、2008年と2021年に政令の改正があり、指定化学物質の大規模な差し替えが行われています。
2021年改訂では、第一種指定化学物質462物質に対して、142物質が削除され、188物質が追加される大改正になりました。

石けんの主成分が指定されそうになった

この改正検討の過程で、石けんの主成分が第一種指定化学物質として指定されそうになりました。2020年末のパブコメに4101件の反対意見が寄せられて、今回の改正では、石けんの主成分(脂肪酸ナトリウム、脂肪酸カリウム)の指定は見送られました。
以下、パブコメ意見と環境省回答を見比べてみましょう。

脂肪酸塩の半減期

石けん成分の一部(C8,C10,C12)について、河川水中の石けん成分の半減期が1日以下になるという論文が反対意見により示された結果、環境省の回答が「今回の政令改正では脂肪酸塩の指定を行わないこととしました」となりました。
このことは逆に10年後の次の改定時には、指定する可能性を残しています。

石けんカスの水溶解度

石けんの安全性の説明として、これまでは「石けんは環境水中のカルシウムやマグネシウムと結合して不溶性の金属石けん(=石けんカス=脂肪酸カルシウムや脂肪酸マグネシウム)になるため毒性を発揮しない。」としてきましたが、環境省からステアリン酸カルシウムの水溶解度が40mg/Lであるという報告が示されました。
生態毒性の指標であるミジンコの無影響濃度(NOEC)が、ステアリン酸で0.11mg/Lしかないために、有害性が否定できないとされました。
これらの実験報告の報告書や論文を改めて確認評価する必要があります。また、同じ条件での合成洗剤の無影響濃度(NOEC)との比較も必要です。

脱塩素水道水

石けん成分であるオレイン酸ナトリウムの無影響濃度(NOEC)を求める実験に使用した水が蒸留水ではないかという推測があったが、環境省からこの実験に使用した脱塩素水道水の硬度が80~85mg/Lであったことが示された。

合併浄化槽除去率・下水道普及率除去率

石けん成分である脂肪酸塩の評価では、合併浄化槽除去率・下水道普及率除去率を評価していないため除去率ゼロで毒性評価をしていることがパブコメ反対意見で指摘されました。これに対する環境省回答は、「今後の施策の参考にさせていただきます。」となっている。
一方で、PRTR法(化管法)とは別の法律(化審法)によって、脂肪酸ナトリウム塩と脂肪酸カリウム塩が「優先評価化学物質」に指定されていることが環境省から回答されました。

まとめ

・ 石けんと合成洗剤を比較して、石けんの長所短所、合成洗剤の長所短所を比べました。
・ 石けんは、石けんカスが出ることが短所ですが、環境水中では直ちに石けんカスになることによって界面活性作用を失い洗浄力も毒性もなくなるという長所でもあります。石けんは、ミジンコや藻類などの微生物の成長を妨げず、これらの微生物が生育することで昆虫生態系が維持され、湖沼の水質浄化が進んでいくことになります。
・ 一方、合成洗剤は、石けんカスにならないために、環境水中でも界面活性作用を保ち続けて、毒性を維持する懸念があります。その毒性は、ミジンコや藻類などの微生物に対する毒性であり、湖沼の水質浄化を妨げる恐れがあるために、PRTR法第一種指定化学物質になっています。家庭からの第一種指定化学物質の排出量推定の大部分は、合成洗剤なので家庭での利用を考え直す必要があります。
・ 最近の政令改正で、石けんを第一種指定化学物質にする提案がありましたが、パブコメでの多数の反対意見があって取り下げられた経過があります。今後も石けんの生態毒性の研究成果に注目するとともに、同じ条件で合成洗剤の生態毒性と比較する研究が必要です。

界面活性剤の毒性:カイワレ大根発芽試験

合成洗剤と石けんの毒性をカイワレ大根の発芽試験で確認したものです。
合成洗剤を希釈した水では、カイワレ大根の種が発芽しませんでしたが、石けん水では、水と同様にカイワレ大根が発芽しています。


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