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エヴァンゲリオンは間違いなく私の人生に影響を与えている【破】ラストエリクサー症候群

 例えばこんなことはないだろうか。予備としてバックに入れているポケットティッシュやマスク、いざという時でももったいない気がして使わえない。使わずに我慢する。私は間違いなくこの手の人間だ。ファイナルファンタジーならラストエリクサー、ドラクエならばせかいじゅのしずく。ポケモンならマスターボール。貴重アイテムの使いどきがわからず、結局クリアするまで使えない。これらをまとめてラストエリクサー症候群と呼ぶらしい。この先もっと大変なことが起こるかもしれないから、もっと必要な場面に出くわすかもしれないから。そう思って躊躇する。私の人生もいつもそうだった。なんならただのやくそうレベルでもなんとなく使えなかった。数年前、ポケモンでふしぎなあめやえいようドリンクを全く使用できずに保管していたところ、それを見た妻から「馬鹿じゃね」と嘲笑われた。妻はゲットした瞬間使う真逆のタイプだった。


 エヴァは妻と同じで躊躇しない。シンジ君やミサトさんたちは使徒が何体来るのか知らないからかもしれないが、これが最後だと思って、初手から全部出し切る。温存はしない。使徒とのバトルも簡潔だ。下手な駆け引きはない。そのときの全力でぶつかり、最後の切り札を最初に使う。やくそうひとつで戸惑う私は、ダメだったら次どうするのかヒヤヒヤするも、なりふり構わないその姿に憧れを持ってしまう。


 思い返せば高校時代、明日のことは考えずに、その日その日を体力がゼロになるまで勉強していた友人を羨ましく思っていた。明日の授業のためにと頃合いを見て寝ていた授業中心主義(山東の定義とは違う)の私。どちらの方が成果が出るかの話ではない。振り切れない自分が悔しかったのだ。


 エヴァを見て以来(妻にバカにされて以来?)、ゲームの中では貴重アイテムは速攻で使えるようになった。現実の世界ではどうか?この後がどうなるかを心配する必要なんてない。全てを出し切れ。今の自分は出し切れているのか?切り札を残してはいないか?そう自分に問いかけながらも余力を残している自分に今日も苛立っている。

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