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VS Part 3

キャリア最大の一戦になる

試合前、そう語ったというノニト・ドネア。
コンディションはキャリア最高の出来、とも言っていたという。

2022年6月7日さいたまスーパーアリーナ、井上尚弥vsノニト・ドネア
世界タイトル3団体(WBA、IBF、WBC)統一戦。

39歳という年齢からは想像できないほど、動きが(特にフットワークが)シャープになり、体全体の連動が、体幹から両肩、肘、股関節から大腿、下腿へとより滑らかになっている。

1R前半のつばぜり合い、フットワークの間もパンチのタイミングの取り方も、井上選手に全くひけをとらなかった。

ドラマにするつもりはない。圧倒して、KOで勝つ。

そういってリングに上がった井上選手は、入場の時から尋常でない殺気を漂わせていると私には映った。

その顔つきからは、2年前の対戦で、接戦に近い内容で判定となった事が許せない、と言っているように思えた。

アメリカの2大名物リングアナウンサーの一人、ジミー・レノン・ジュニアの選手紹介を、静かな殺気をはらんだ目で待っている井上選手。
その視線はドネアをじっと見据えているように見える。
あるいは、ドネアを通して2年前の自分を見据えた目線だったのか。
リングアナの紹介に、手を上げて応える井上尚弥選手。

試合は2R1分24秒で終わった。
あっけなく、と言える終わり方だったかも知れない。

だが、試合内容の濃密さは、井上選手とドネア選手が何万回と打ってきたパンチやステップワークやロープワーク、何千キロと走ってきたロードワーク、それらを積み重ねて来た何百、何千という時間を4分24秒に凝縮した極上のエスプレッソだったと感じる。

気の遠くなるような長い積み重ねの先に、井上選手はミラクルという果実を、試合の中で確実にもたらす。

モンスターと言われるようになったのは、試合の中で必ずミラクルを、確実に起こせるようになった頃と重なっているのではないか、と私は見ている。

2年前の対戦で、9R、ドネアは右ストレートのカウンターで井上選手をダウン寸前にまで追い込んだ。
井上選手の左ジャブを右へヘッドスリップしてかわし、右ストレートを井上選手の顔面に叩き込んだのだ。

ダメージを受けた井上選手はたまらずクリンチに逃げ、何とかピンチを切り抜けた。

2年前のこの事がドネアの記憶にはあったと思われる。
それもかなり鮮明にあったのではないか。

だがあの右ストレート・カウンターの記憶は、ドネアにだけあったわけではあるまい。
2戦目の第1ラウンドを13ラウンド目だと言った井上選手の方が、倒されかけただけにより鮮明だったのではないか。

ただし井上選手の方は、鮮明だったのは記憶ではなく、記憶に対する対策を鮮明に描いてリングに上がっていたのではないか、と思われる。
2022年6月7日のこの試合、1R前半。
(以下は私が観戦して個人的に感じた事です)

あの時の右ストレートのカウンターを打ってみろ、と言わんばかりに左ジャブを突き刺してくる井上に対し、ドネアは右足のステップバックで交わすとすぐにステップインしてパンチのヒットポイントを伺う。

出入りのフットワークのスピードとシャープさは、井上よりもドネアの方が勝っているように思えた。
しかしこの間、井上は見事なフェイントワークを見せる。

重心をやや下げてドネアのボディに左ジャブをヒットさせると、しばらくしてまた井上は重心をやや下げる。

またボディにくると察したドネアも重心をやや下げると、ボディを目指す軌道で打ち出された井上の左ジャブは、途中から軌道を上昇させ、それが重心を下げていたドネアの顔面をとらえると、バランスを崩されたドネアが大きくのけぞり、満員の観衆のどよめきが会場一杯に広がる。

その後も井上はフェイントを交えた左ジャブを何度となく、ドネアのボディと顔面に放ち、いくつかをクリーンヒットさせながら、ヒットの精度を高めていく。

ドネアも負けじと左フックを返し、井上も左フックを返すと、クリーンヒットの応酬となり、会場が沸きたつ。

そして1R終盤、井上がミラクルを起こす

井上選手の放った右ストレートが、ドネア選手の左テンプルを捕らえ、ドネアがダウン。
拮抗していた2つの渦が、一瞬にして決定的に井上選手の方へ奔流となって流れ出した瞬間だった。
1Rラスト10数秒。

この時の事を、試合後ホテルに戻ったドネアは、自身の動画チャンネルでこう語っている。

「これは笑える。あのストレート、いいかい?フックか何かで対抗しようとしていたのに、見えなかった、全く見えなかった。何が起こったのかさえ、わからなかった。でもその瞬間、俺はカウンターを狙ったんだよね?きっと。で、急にマットに倒れてた。
で、俺を数えてる男がいたんだ。
これは現実なのか?何が起きたんだ?だろ?
で自分のコーナーを見たら、レイチェルが(※ドネア夫人、チーム・ドネアのリーダーでもある)ファイティングポーズを取らないと終わっちゃうって言ったんだ。
それで、ヤバイ、倒されたんだ俺ってなった。打たれて倒された時、俺はそれに気づかなかった。分からなかったんだ。あのパンチは見えなかったよ。常にカウンターを狙っていたからね。頭が真っ白になった」

その時の様子を見逃し配信で見直してみると、呆然とした表情で夢遊病者のように立ち上がったドネアが、カウントを数えるレフェリーを不可解な顔で見つめ、やがてコーナーを振り返ると、リング下からレイチェル夫人が両の拳を顔の所に上げて、何か叫んでる様子が映っている。

レイチェル夫人を見た後、レフェリーの方を振り返ったドネアは慌ててファイティングポーズを取る。

自身の動画チャンネルでドネアが語っているのだから、あるいはオーディエンス用のリップサービス的なニュアンスも含まれているかとも思ったが、どうもほぼ真相を語っているようだ。

5階級制覇を成し遂げ、“フィリピーノ・フラッシュ(フィリピンの閃光)”と呼ばれているこの男は、母国フィリピンはおろか、世界中のボクシング・ファンが認める伝説的な英雄である。

そのノニト・ドネアの頭の中を真っ白にさせる何を、井上尚弥はやったのか?

2年前の対戦での9R、ドネアは井上の左ジャブを、右へヘッドスリップしてかわし、右ストレートを井上の顔面に叩き込んで、ダウン寸前にまで追い詰めた。

そして2022年6月7日、1R前半、井上は再三、左ジャブをフェイントを交えつつドネアに向けて放ち、何発かクリーンヒットさせた。

これが、結果的に伏線となったような気がする。

1R終盤、リング中央からややロープに寄った位置で、井上は左フックを2発放つ。
2発目は超大振りと言っていい。
井上の両足底が一瞬宙に浮いたように思う。

その左フックの打ち終わりに、ドネアはカウンターを見舞おうと右ストレートを出しかけるが井上が素早く態勢を元に戻して構えた為、ドネアは右ストレートのカウンターをあきらめ、出しかけた右の拳を元の位置に戻す。

ちょっと待ってもらいたい。
これを見た私の感想は、

(何であの大振りの左フックを打って真っ直ぐ立っていられるんだ?どんな体幹強度だ?しかも左フック振り切った後、真っ直ぐ立ってるだけじゃなくて左腕を元に戻すと元のファイティングポーズになっているというのはどういうわけだ?何であんなに早く戻れるんだ?しかもなんでバランスを保ったままいられるんだ?ドネアが一発もパンチを出さずにカウンターをあきらめるなんてシーン初めて見た気がするんですけど・・・)

である。

そして問題の右ストレート(井上が放った右ストレートでドネアがダウンする)のシーンとなる。

最初に井上は、左ジャブのフェイントを出す。対するドネアはそれを右へヘッドスリップして交わそうとする。

左ジャブがフェイントだとわかり、ヘッドスリップしかけた頭の位置をドネアは元に戻す。

ここでドネアは井上の左拳、または左肩しか見ていないように映る。
(井上がパンチ動作を始動すれば動きは必ず肩に表れる)
 
ドネアの視線の反対側面、つまりドネアが目線を配っていないドネアの左側面の視界は開けている。
井上の右ストレートに対しては視界が開けていれば十分だとドネアは判断したのだろう。
 
井上の右ストレートが来れば、いつでもドネアは、やはり井上の左ジャブに対するのと同じく右へヘッドスリップしながら、伝家の宝刀、カウンターの左フックを見舞う事ができる。
 
仮に井上が右フックを打ってきたとすれば、彼の左ジャブに対するのと同じく右ストレートをカウンターで見舞えばよい。
 
曲線の軌道をえがくフックより直線軌道のストレートの方が早く到達する。
目線は、井上の左拳、または左肩に配れば十分なのだ。
(※全部、空蝉の妄想です。間違ってるかもしれないのでご注意を!
 
井上の体の向きから、彼の右ストレートは物理的にドネアの左半身への軌道しか、えがきようがない。
井上が右ストレートを放てば必ずドネアの左側の視界に入る。
 
そして井上の左肩が動いた。左肩が下がり、左拳が大きく下に動いた。
ドネアはカウンターを見舞おうと右ストレートを出そうとする。

2年前の9Rの再現だ、とドネアが思っていたかどうか、右ストレートのカウンターの姿勢となっているドネアには、井上の下がった左拳が左ジャブか、もしくは左フックの予備動作と捉えているように思われ、左側面やや上から飛んでくる井上の右の拳は見えていない。
 
引きの画像でもう一度繰り返させて頂く。
井上選手の体の向きにご注目願いたい。

井上の左ジャブのフェイントを右へヘッドスリップして交しかけたが、フェイントとわかったドネアが頭の位置を元に戻した。

ここから、この体の向きで井上が右ストレートを放てば、必ずドネアの開けた左視界に入る。
そして大きく左拳が下がったのを見てドネアは左ジャブか左フックがくる、と判断した。
もしくはドネアにそう判断させるよう、井上はわざと大き目に左拳を動かしたのかもしれない。

先に載せたアップの画像の3枚目を思い出して頂きたい。
右へとヘッドスリップしながら右ストレートを放とうとするドネアの顎を除いた顔の左側面ががら空きになっている
(顎はさすがドネア、左拳でいつでもガードできる態勢を崩していない)

だが、ここで問題がある。
引きの画像をご覧になるとわかる通り、井上の右肩から背中の右側面がこちらに向いている。

井上がこの体の向きからそのまま右ストレートを放てば、その軌道は右へヘッドスリップしたドネアの顔の左側を通過してしまう。
ドネアが目線を自分の左側に向かって配らなくても大丈夫という判断の根拠でもある。

そしてドネアのこの判断は間違っていないどころか、無駄を省いたコストパフォーマンスに優れている最も適切なものだったと私は思う。

井上がドネアのがら空きとなった顔の左側面に右ストレートを当てようと思ったら、井上の背中は、こちらに右側面ではなく、正面を見せていなければならない。

で、次の画像である。

井上尚弥が何をやったか。
移動しながら右ストレートを打ったのである。
もしくは右ストレートを打ちながら移動したのである。

本来、黄色の線の軌道を描くはずの体の向きから、青の線の軌道を描く右ストレートにする為に、移動しながら右ストレートを打った(もしくは右ストレートを打ちながら移動した)のである。
右ストレートの打ち終わりである次の画像を見ると、よりわかりやすい。

右ストレートとは、ボクシングの基本としては(サウスポーでなくオーソドックスの場合))、体重を左足にかけて放つ為、打ち終わった時、横から見ると右足は左足の後ろに真っ直ぐ伸び、前にある左足に体重が乗った姿勢で、真っ直ぐ打ち出した右腕の先にある拳で、目標を打ち抜く形になるはずである。

本来、右足は、左足よりも後ろの位置へ、右半身の線に沿って真っ直ぐ後ろに伸び、かかとはやや浮いた形であるはずだが、画像では井上の右足は、右半身の線から大きく右に逸れて踏み出され、本来の位置よりもかなり前にきている。

あの大振りの左フックを放ってもバランスを崩さなかった井上が、基本的な右ストレートの打ち終わりの姿勢から大きく逸脱し、前のめりにバランスを崩している。

移動しながら右ストレートを放つという無理をした結果、打ち終わりにバランスを崩さざるを得なかったわけだが、その右を食らったドネアはバランスどころか意識が崩れているのは、先述した動画チャンネルでのドネア自身の試合後のコメントの通りだ。

サッカーで、ブラジルのネイマール選手が昔、ゴールに向かって右方向を向き、右足を右に向けて大きくボールを蹴り出した。
ゴールキーパーは当然、ゴールに向かって右側、自分の左手側に移動してゴールを防ごうとしたが、ボールはゴールの向かって左側(キーパーの右手側)に転がっていく。

(え?)と狐につままれたような顔つきで固まったままのキーパーの遥か右横を、ボールはコロコロと笑うように転がってゴールの向かって左隅のネットを揺らした。

ボールを蹴った時、ネイマール選手は右足の内側の踵でボールをこするように蹴ったという。“あっちむいてホイ”と言われる事もあるネイマール選手のこのゴール。

これと似たような事を井上尚弥選手はやったのだ、と私は思っている。

この右ストレートのダウンの場面、ノニト・ドネアは一つもミスを犯していない。
1R、瞬間瞬間、重ねられたドネアの判断はいずれも無駄を省いた、極めて適切で優れた判断だったと私は思う。

対戦相手の井上尚弥選手が変態なのだ。
そして彼の変態ぶりはこれに留まらない。

すみません、終わりませんでした。Part 4いかせて下さい。
次回、Part 4、2Rでの井上尚弥選手の変態行為について。
それで本当に終わりにします。(・・・多分)

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