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妄想旅 <3> 死語の世界へ

近年、世の中の言葉に対する感度が落ちているような気がしていた所、コメントでアリエルさんが、”言葉の認知、理解力の低下”というテーマを与えてくれた。

そこで言葉と意識について探ってみたいと思い、色々漁っている内に”ディスレクシア”という言語の処理における障害がある事を知った。

脳における言葉の処理を行う領域が、通常の人とディスレクシアの人とでは違う領域を使っているようだ、という事で、言葉を脳がどういう仕組みで処理しているのかを調べてみた。

結果、言語中枢における処理の仕組みに未解明な部分が多く、言葉を処理する為の脳内の経路について未発見の経路がまだまだあるはずだ、という、つまりはまだよくわかってないという所へ乗り上げた。

要は座礁した。

そんなわけで、脳に対する妄想はこれからも続けるとして、一旦脳から離れてみようと思う。

旅の原点に戻り言葉と意識について、とりわけその変遷を辿る、という事をしてみたい。

例えば”死語”というものがあるが、それが何故死語になったのか?

昔、カップルの事を”アベック”と言っていたが、今”アベック”という言葉を使う人は50~60代以下ではほとんどいないと思われる。

死語と言っていいだろう。なぜ死語になったのだろうか?

語源は昭和2年らしい。当時まだ珍しかった男女共学の「文化学院」という学校の生徒が、男女が腕を組んで歩く様子を”アベック”と表現したという。

生徒が表現したというのが、校内新聞とか学校の文集の中でそう表現したのか、新聞への投書の中とかでそう表現したのか、よくわからない。

この話は、大岡昇平氏の『アベック語源考』という評論の中で述べられているという事で、1960年代後半に大岡氏によって著されたこの評論を読むとすれば『大岡昇平全集』の16に収録されているのだが、これがお高い。

古本屋を漁れば廉価で手に入るかも知れないので、詳しい内容はその時に、という事で。

ともかく、その大岡氏の『アベック語源考』の内容をかいつまんだ複数のweb記事によれば、昭和2年(1927年)に文化学院の生徒が、腕を組んで歩く男女の事をしゃれた表現として、当時流行していたフランス語で、<一緒に(英語で言うwith)>という意味のavecをあてはめたのが、”アベック”の嚆矢だという。

それは、若い学生の清い交際を表す言葉として誕生したわけだが、次第に淫靡さを伴った表現になっていったそうだ。

記事によってバラつきがあるが、アベックという表現が使われるようになってから3年ほどで、この表現は大人の交際として”同伴”という意味合いを持つようになっていき、1930年代後半には、”人目を忍んで逢瀬を重ねる男女”というイメージになり、これも死語と言えると思うが、”連れ込み宿”の事を「アベックホテル」とか「アベック旅館」と呼ぶようになったとか。

アベックと言えば”いやらしい関係の男女”を指すようになったそうな。

なぜそうなったのか、大岡氏もその理由を解き明かせずに終わっている、とウィキに書かれている。(妄想魂がうずくのぉ・・)

ところで、この大岡昇平氏だがこのお方、非常な興味をそそられる。

「ケンカ大岡」と呼ばれるほど論戦の多い作家・評論家・フランス文学者で、『レイテ戦記』『野火』・・・etcといった小説を書いたり、スタンダールの『恋愛論』『パルムの僧院』等の翻訳を手掛けたりされている。  (いずれも題名だけ知っていて未読だが)

1988年に79歳で鬼籍に入られているが、1972年に日本芸術院会員に選ばれた時、「捕虜になった過去があるから」と言って辞退。この記者会見後、「うまいだろ」と言って傍にいた知人に舌をぺろりと出した(皮肉をこめた国家への抵抗との見方がある)といった話や、関係のある人物として陸奥宗光の名前があったり、自分の担当編集者・坂本一亀氏が坂本龍一の父親と知って「げっ!」となったという話など、興味がつきない。

家紋があの大岡越前と同紋で、先祖は紀伊和歌山藩・初代藩主の徳川頼宣が駿河にいた頃からの家臣で、主の和歌山移封に随伴した後、帰農したと伝わっているらしい。

著作を読んでみたいと思うと共に人物像に強く魅かれる。

話を戻そう。

1930年代後半頃、アベックと言えば”いやらしい関係の男女”を指すようになってから、その後の戦後混乱期(大体1945年頃から1952年頃あたり。GHQ占領下の頃を指すらしい)に、性風俗や犯罪を扱うカストリ雑誌にアベックという言葉が使われたりした事で、いやらしいイメージが一層定着してしまったという。

ところが、1950年代以降、アベックは密室の男女の交際という日陰のイメージから、公共の場において明るく交際する男女を指す言葉へと返り咲きを果たすのである。

この理由もウィキは不明としている。(うずく・・うずくのぉ・・)

ウィキ含めた複数のWeb記事に、返り咲きへの影響が強かった事として共通して書かれていたのが、1962年から1968年までテレビで放送された『アベック歌合戦』という番組だった。

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テレビという晴れ舞台で、しかも明るい内容の番組名として取り扱われた事でそれまでの淫靡なイメージを刷新できた、という事だろうか?

言葉と意識の変遷に強い影響を及ぼすものとして、テレビや雑誌などのメディアの影響力はやはり大きい、と思わされる事例だ。

話は飛ぶが、”アベック”が死語となり、代わって交際している男女を表す言葉として登場したのが、”カップル”だという。

概ね1990年代に入れ替わったとみられている。

この”カップル”という言葉の一般的認知度を高めた要因の一つとして、『翔んだカップル』という柳沢きみお氏の漫画作品をあげている記事もある。

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テレビドラマ化、映画化もされ全国的な人気となったこの作品の連載開始は1978年だ。映画では薬師丸ひろ子さんがヒロイン役をやったようだが、私的には今はなき(死んでないが)あのプッツン女優(これも死語だ・・)が出ていたのを、漫画雑誌の特集で読んだ覚えがあって、そっちの印象の方が強い。(映画は未見)

漫画の方は連載開始当初は夢中で読んでいたのだが、途中からどうでも良くなって読まなくなったので、結末は知らない。

だが、流行っていたのは間違いない。周りの友人達は皆読んでいた。まだアベックという言葉の方が使われていたように記憶しているが、カップルという言葉が徐々に市民権を得つつある時代だったと言える。

1975年から全国で放送されていた『プロポーズ大作戦』の人気コーナー、「フィーリングカップル5vs5」もカップル市民権獲得への影響力大という事で取り上げている記事もあった。

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これも人気番組だったはずだ。番組名とこのコーナー名だけはよく覚えている。私も多分、何十回と見ていたはずだ。内容は全く覚えてないが。

こうしたメディアによる影響力含め、”アベック”という言葉の誕生から死語までを、意識がどのように変遷してそうなったか、妄想してみたいと思う。

ちなみにアベックが死語になったのは、カップルという言葉の、市民権を得た後の勢い(要は若者がこっちを使うようになり、追随する人が多くなった、という事なのだが)に押されて使われなくなったから、という事らしいが、それだけではアベックが気の毒ではないか。

清い交際から一時は密室の交際へと日陰の身となり、そこから返り咲いたという、かなり劇的な経過を辿り、”アベックホームラン”や”アベック優勝”といったスポーツの世界でも使われるまでになった言葉である。

(ただ2021年11月のバドミントンの記事でも”アベック優勝”という表現が使われているので、厳密に言えばまだ死語にはなり切っていないとも言える。未だに使われている事に驚くが)

追悼の意を込めて(まだ死んでいないが)、”アベック”を例に、言葉と意識がどのような変遷を辿ったか、次回以降お時間があれば、またお付き合い頂きたく。


最後までお読み頂いた方、本当にありがとうございます。

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