はっぴいえんど after はっぴいえんど

いきなりですがクイズです。はっぴいえんどのメンバーがはっぴいえんど解散後に全員参加した楽曲があります。その曲のタイトルは?

――答えは「雨のウェンズデイ」です。大滝詠一『A LONG VACATION』に収録されている名曲です。

大滝詠一(ボーカル、作編曲)、松本隆(作詞)、細野晴臣(ベース)、鈴木茂(ギター)という形での擬似的な"はっぴいえんどリユニオン"といえます。

なぜはっぴいえんどの4人が全員参加したのか。川原伸司の著書『ジョージ・マーティンになりたくて~プロデューサー川原伸司、素顔の仕事録~』にはこう書かれています。

『A LONG VACATION』の制作を始めたときに、「松本隆さんは同じバンドのメンバーだったんだから、詞は松本さんが書くのがいちばんいい」と提案したんです。【中略】ベースも細野さんにお願いしよう、と。全部じゃなくていいから、1曲でもはっぴいえんどが再結成しているというのを暗に匂わせようと。だから茂くんも、もちろんギターで入っているんですよ。そう、リンゴ・スターのソロアルバム『リンゴ』('73年)も、「アルバムの中でビートルズが再結成する」というふれこみで大ベストセラーになったので、それを踏まえて考えたわけです。

『ジョージ・マーティンになりたくて~プロデューサー川原伸司、素顔の仕事録~』
(川原伸司 著、シンコーミュージック、89頁)

『A LONG VACATION』で細野晴臣がベースを弾いたのは「雨のウェンズデイ」1曲だけでした。『NIAGARA TRIANGLE VOL.2』にも『EACH TIME』にも細野晴臣は参加しませんでした。つまり”はっぴいえんどリユニオン”はこの1曲だけです。

では、はっぴいえんどのメンバー4人のうち3人が参加した曲となるとどんな曲があるのでしょうか?というのが今回のお話です。


南佳孝『摩天楼のヒロイン』(1973年)

1973年9月21日に文京公会堂で「CITY-Last Time Around」が開催されました。一般的にははっぴいえんどの解散コンサートと言われていますが、実際にははっぴいえんどは既に解散状態であり、一夜限りの再結成コンサートかつ、はっぴいえんど以降の活動を披露するライブだったそうです。

同日に松本隆がプロデュースした南佳孝の1stアルバム『摩天楼のヒロイン』がリリースされました。

このアルバムのレコーディングには細野晴臣と鈴木茂も参加しています。松本隆も全曲ではないもののドラムを叩いています。

ですが、細野晴臣ではなく小原礼がベースを弾いている曲もあり、どの曲で誰が演奏しているか詳細なクレジットがありません。どの曲が大瀧詠一抜きの3人はっぴいえんどか特定することはできませんでした。

小坂忠『ほうろう』(1975年)

1975年にリリースされた小坂忠の名盤『ほうろう』は細野晴臣と小坂忠の共同プロデュースで、演奏をティン・パン・アレーがつとめました。全ての曲で細野晴臣がベースを弾き、鈴木茂がギターを弾いています。

松本隆が作詞した曲が「氷雨月のスケッチ」「しらけちまうぜ」「流星都市」と3曲収録されています。「氷雨月のスケッチ」ははっぴいえんどのカバーです。「流星都市」はエイプリル・フールの唯一のアルバムに収録された「タンジール」に新たな歌詞を書いたものです。

エイプリル・フール解散後に小坂忠がミュージカル「ヘアー」の仕事があったため参加できず、はっぴいえんどのボーカルは大瀧詠一になったといういきさつがありました。

「氷雨月のスケッチ」「しらけちまうぜ」「流星都市」の3曲は(ドラムは松本隆ではありませんが)大瀧詠一抜きの3人はっぴいえんどであり、もしボーカルが小坂忠だったらという"ifのはっぴいえんど"とも言えます。

大滝詠一『NIAGARA MOON』(1975年)

大滝詠一がナイアガラレコードを設立してリリースした2ndソロアルバムが『NIAGARA MOON』です。

このアルバムはよくティン・パン・アレーが演奏していると書かれています。たしかに細野晴臣、林立夫、鈴木茂、松任谷正隆の4人がレコーディングに参加していますが、松任谷正隆はほとんどの曲でオーバーダビングを担当しており、4人が一同に介してのレコーディングはなかったそうです。

細野晴臣と鈴木茂が共に参加している曲は「論寒牛男」「ロックン・ロール・マーチ」「恋はメレンゲ」「福生ストラット(パートII)」「シャックリ・ママさん」の5曲となります。

はっぴいえんどだと大瀧詠一が歌詞を書いた「いらいら」や「颱風」の系譜に連なる曲だと言えます。

ティン・パン・アレー「ソバカスのある少女」(1975年)

ティン・パン・アレーの1stアルバムには松本隆が作詞した曲が2曲収録されています。「はあどぼいるど町」と「ソバカスのある少女」です。どちらもボーカルと作曲は鈴木茂です。

「はあどぼいるど町」のベースは田中章弘なので、大瀧詠一抜きの3人はっぴいえんどと言えるのは細野晴臣がベースを弾いている「ソバカスのある少女」の1曲だけになります。

鈴木茂が作曲しリードボーカルをとった「花いちもんめ」「氷雨月のスケッチ」「明日あたりはきっと春」「さよなら通り3番地」の系譜に連なる曲です。

沢田研二「あの娘に御用心」(1975年)

大瀧詠一による沢田研二への提供曲「あの娘に御用心」のレコーディングに鈴木茂と細野晴臣が参加しています。

ボーカルを2テイク録音しましたが、誤ってリハーサル・テイクのボーカルでミックスしてしまい、それがアルバム『いくつかの場面』に収録されています。

吉田美奈子「夢で逢えたら」(1976年)

吉田美奈子の「夢で逢えたら」は作詞・作曲を大瀧詠一が手掛けた曲として有名です。そしてベースを細野晴臣が弾き、ギターを鈴木茂が弾いています。

松本隆抜きの3人はっぴいえんどと言えなくもないのですが、女性ボーカルだとはっぴいえんど感はあまりありません。むしろはっぴいえんど活動時に大瀧詠一がプロデュースした金延幸子(註:シングルのクレジットは平仮名で"かねのぶさちこ")のシングル「時にまかせて」の系譜といえます。

大瀧詠一はフィル・スペクターに憧れガールポップをプロデュースしたいと思っていました。その第一弾が金延幸子の「時にまかせて」であり、第二弾が吉田美奈子の「夢で逢えたら」なのです。

森山良子『日付のないカレンダー』(1976年)

森山良子『日付のないカレンダー』は全曲松本隆が作詞を手掛けたアルバムです。細野晴臣が作曲した曲が1曲あり、それが「DISNEY MORNING」です。そしてレコーディングには鈴木茂も参加しています。

鈴木茂『LAGOON』(1976年)

鈴木茂の1stアルバム『BAND WAGON』もはっぴいえんどの香りがするのですが、アメリカ録音なので細野晴臣がベースを弾いている曲は1曲もありません。ですので、今回の3人はっぴいえんどのレギュレーションに該当する曲はありません。

2ndアルバム『LAGOON』には小原礼がベースを弾いた1曲を除き細野晴臣がベースを弾いています。インストゥルメンタルの3曲を除いた「LADY PINK PANTHER」「TOKYO・ハーバー・ライン」「走れラビット」「コルドバの夜」「8分音符の詩」の5曲が大瀧詠一抜きの3人はっぴいえんどと言えるでしょう。

特にはっぴいえんど時代を回想したような歌詞の「8分音符の詩」ははっぴいえんど度が高いです。

大滝詠一「ホルモン小唄~元気でチャチャチャ」(2023年)

1976年末に細野晴臣が小林旭のアルバムをプロデュースするという企画がありました。細野晴臣は大滝詠一に楽曲提供を依頼しました。星野哲郎の書いた詞に大滝詠一が曲をつけてできたのが「ホルモン小唄」です。

「ホルモン小唄」は細野晴臣、林立夫、鈴木茂の演奏で録音され大滝詠一が仮歌を歌い、あとは小林旭のボーカル録音を残すだけとなりました。

しかしその頃「昔の名前で出ています」がヒットの兆しを見せていたことで、細野晴臣がプロデュースする小林旭のアルバムはオクラ入りとなります。ついに小林旭がボーカルを録音することはありませんでした。

長い間「ホルモン小唄」は大滝詠一ファンの間で"幻の曲"として語り継がれていました。大滝詠一の逝去後、2023年になって『大滝詠一 NOVELTY SONG BOOK』に収録されて世に出ました。

小坂忠『モーニング』(1977年)

小坂忠のアルバム『モーニング』に松本隆は2曲作詞しています。「フライングソーサー」と「フォーカスラブ」です。どちらも作曲は佐藤博です。

両曲とも鈴木茂(ギター)、細野晴臣(ベース)、林立夫(ドラム)、佐藤博(キーボード)という編成でレコーディングされています。

ドラムは松本隆ではありませんが、大瀧詠一抜きの3人はっぴいえんどであり、もしボーカルが小坂忠だったらという"ifのはっぴいえんど"とも言えます。


やまがたすみこ『FLYING』(1977年)

やまがたすみこ『FLYING』は松本隆がプロデュースを手掛けたアルバムです。11曲中10曲の作詞もしています。

鈴木茂はサウンド・クリエイターとクレジットされています。11曲中5曲を作曲し、11曲中10曲を編曲しています。ミュージシャンのクレジットはありませんが、おそらくほとんどの曲でギターも弾いているはずです。

細野晴臣が作曲した曲が1曲収あり、それが「夢色グライダー」です。

太田裕美「さらばシベリア鉄道」(1980年)

『A LONG VACATION』のディレクターだった白川隆三は太田裕美のディレクターも務めていました。

「さらばシベリア鉄道」の男女の一人称が交互に出てくる歌詞から「木綿のハンカチーフ」を思い浮かべた大滝詠一は、この曲を太田裕美が歌ったらいいのではないかと白川隆三に持ちかけます。

白川 '80年当時、僕は裕美さんと並行して大瀧詠一さんを担当していました。9月半ばの深夜に、いつものようにスタジオで一人籠もって歌の録音をしていた大瀧さんから、自宅に電話がかかってきた。「今録音した曲は太田裕美に合っていると思うんだけど、どうかな?」と受話器越しに聴かされた。それが『さらばシベリア鉄道』です。

https://gendai.media/articles/-/70872?page=2

大滝詠一のバージョンも太田裕美のバージョンもギターソロは鈴木茂が弾いています。

鈴木 僕もこの曲でギターを弾かせてもらっているけど、ずっと不思議に思っていたことがありました。先に大瀧詠一さんのアルバム『A LONG VACATION』に収録される曲として『さらばシベリア鉄道』のギターを弾いたんだけど、その発売の前に太田裕美バージョンでまたやってくれと依頼が来た。

https://gendai.media/articles/-/70872?page=2

大滝詠一『A LONG VACATION』(1981年)

先述の通り「雨のウェンズデイ」ははっぴいえんどの4人が全員参加している数少ない楽曲です。

「君は天然色」「我が心のピンボール」「スピーチ・バルーン」「さらばシベリア鉄道」の4曲は作詞が松本隆でギターが鈴木茂です。つまり細野晴臣抜きの3人はっぴいえんどと言えます。

松田聖子『風立ちぬ』(1981年)

大滝詠一は松田聖子のアルバム『風立ちぬ』のA面5曲をプロデュースします。5曲すべての歌詞を松本隆が書き、ギターを鈴木茂が弾いています。

1970年代に大滝詠一は金延幸子や吉田美奈子といったシンガーソングライターへの曲提供でフィル・スペクターのようなガール・ポップをやろうとしていました。ここにきて遂に本物のアイドルでそれを実現することになります。

薬師丸ひろ子「探偵物語 / すこしだけ やさしく」(1983年)

作詞:松本隆、作曲:大瀧詠一というコンビで薬師丸ひろ子主演の映画「探偵物語」主題歌を手掛けます。

はじめは「すこしだけ やさしく」が「探偵物語」というタイトルで、最終的に「探偵物語」として発表された曲は「海のスケッチ」というタイトルだったそうです。

さて、この日録音された曲は大滝のなかでは「探偵物語」という曲名で制作していたのだが、最終的には「すこしだけやさしく」に変更となった。大滝の弁をまとめると、“もともと2曲作ってほしいという依頼で、「探偵物語」と「海のスケッチ」という曲を制作した。ところが薬師丸側からの要望で、「海のスケッチ」の方が映画テーマに相応しいということになり、題名を「探偵物語」とし、もともとの「探偵物語」を「すこしだけやさしく」に改題した”とのこと。

『大滝詠一 レコーディング・ダイアリー VOL.3』
(堀内久彦著、リットーミュージック、74頁)

『大滝詠一 レコーディング・ダイアリー VOL.3』によると両曲とも鈴木茂がギターをダビングしています。

松田聖子「天国のキッス」(1983年)

作詞:松本隆、作曲:細野晴臣のコンビも松田聖子に楽曲を提供しています。「天国のキッス」のギターは鈴木茂が弾いています。

B面の「わがままな片想い」も作詞:松本隆、作曲:細野晴臣ですが、アルバム『ユートピア』に収録されておらずレコーディングメンバーのクレジットがわかりません。

大滝詠一『EACH TIME』(1984年)

大滝詠一の最後のオリジナルアルバムになった『EACH TIME』は全曲の作詞を松本隆が手掛けています。

『大滝詠一 レコーディング・ダイアリー VOL.3』によると『EACH TIME』収録曲で鈴木茂がギターを弾いているのは「銀色のジェット」「1969年のドラッグレース」「ガラス壜の中の船」の3曲です。

他に「恋のナックルボール (1st Recording Version)」「夏のペーパーバック (2nd Recording Version)」のレコーディングでもギターを弾きましたがアルバムには収録されませんでした。

はっぴいえんど結成前に松本隆、細野晴臣、大瀧詠一の3人で旅行したエピソードが元になっている「1969年のドラッグレース」は特にはっぴいえんど度の高い曲です。

松田聖子「ピンクのモーツァルト」(1984年)

作詞:松本隆、作曲:細野晴臣のコンビによる松田聖子のシングルとしては第三弾になります。この曲でも鈴木茂がギターを弾いています。

B面の「硝子のプリズム」も作詞:松本隆、作曲:細野晴臣ですが、アルバム『Windy Shadow』に収録されておらずレコーディングメンバーのクレジットがわかりません。

裕木奈江『旬』(1993年)

裕木奈江のアルバム『旬』に作詞:松本隆、作曲:細野晴臣の楽曲が2曲収録されています。それが「青空挽歌」と「いたずらがき」です。両曲とも鈴木茂がギターを弾いています。

Chappie「七夕の夜、君に逢いたい」(1999年)

Chappieが何者なのかは公式サイトの説明を引用したいと思います。

chappie(チャッピー)とは、1994年にデザインスタジオgroovisions(グルーヴィジョンズ)が製作した、人型のグラフィックデザイン/システムです。 【中略】1999年には、ソニーミュージック・エンタテインメントより歌手としてCDデビューを果たし、シングル3枚、アルバム1枚を発表しました。

https://groovisions.com/chappie/

2次元のキャラクターが歌を歌うというとアニソンがありますが、アニソンとの大きな違いはChappieには特定の声優がいないことです。「七夕の夜、君に逢いたい」は森高千里が歌っています。

作詞は松本隆、作曲は細野晴臣、演奏はティン・パン・アレーが手掛けました。つまり鈴木茂がギターを弾いています。。

Tin Pan「Hand Clapping Rhumba 2000」(2000年)

細野晴臣、林立夫、鈴木茂の3人はティン・パンとしてアルバムをリリースします。松任谷正隆抜きのティン・パン・アレーです。

今回、なぜ松任谷正隆さんをメンバーに加えなかったのですか?

それも、誤解されている方も多いと思うので(笑)、ハッキリ説明しておかないとね。マンタ(松任谷)とは相変わらず仲良いんで(笑)。今回、なぜ3人にしたかと言うと、要するに4人ではない世界を作りたかったんですよ。それは、結果的に細野さんも林君も同じ考えに至ったと思うんですけど、きっかけは、僕がどうしても3人でやりたいと言ったんです。細野さんは最初、モッ君(浜口茂外也)とか、いろんな人を入れたらどうかという案を出していたんですけど、でも僕は、リズム・トラックのレコーディングに関しては、とにかく3人でやりたいと主張したんです。それはなぜかと言うと、コミュニケーションを録りながらものを作っていく場合に、リーダーがいて、その人の指示に従ってやるという方法の時には人数が多くても問題ないんですけど、素材だけがある、もしくはまったくない状態で集まって何かを作り上げるという方法を取った時には、やっぱり少ない人数の方がやりやすいんですよ。で、3人と4人というのは、ひとりの違いですけど、物凄く大きな違いなんです。20年前ぐらいにティンパンを作る時にも、僕はそういうことを考えていて、あの時も正直言うと、3人でやりたかったんですよ。

大滝詠一にもゲストボーカルとしての参加を要請したそうですが、断られ代わりに「ハンド・クラッピング・ルンバ」のボーカルトラックを提供されたそうです。

僕たち3人の中で、大瀧さんには参加してもらいたいなという気持ちがあって、参加してほしいと頼んだんだけども、あんまり人前に出たくないらしくて(笑)。それでも、ティンパンはすごく好きだからということで、「ハンド・クラッピング・ルンバ」のボーカル音源だけを持って来てくれたんです。

細野晴臣「驟雨の街」(2015年)

「驟雨の街」ははっぴいえんど時代の未発表曲です。2014年にデモ音源が発掘されました。

「驟雨の街」は細野晴臣、松本隆、鈴木茂の3人でレコーディングされ『風街であひませう』に収録されました。

2013年末に逝去した大瀧詠一はレコーディングに参加していませんし、はっぴいえんど名義ではありませんが、実質はっぴいえんどの再結成といっていいでしょう。