なぜ今回の告知方法に異論が出たのか?
櫻坂46 7thシングル『承認欲求』のMV公開を前に、一連の発売関連告知のあり方に賛否が分かれた。
先に申せば、私は「否」の立場である。そして、このことについて、ここで敢えて触れておきたい。
7thへの期待とは、また別な見解として読み進めてもらえば幸いである。
明らかに賛否が分かれた、この7th期の事前のプロモート〜告知のあり方について考えてみた。
私は「新せ界」開催期間中にその場を活用して情報発信していくと言うのは一定、理解するものではある。
そして今回の7thシングル発売に関する告知とMV公開の日程を、展示物として提示する方法をとってきた。
このことは、かなり以前から7thのタイムテーブルとして固めていたことは想像に難くない。今回はこれで推し進めるのであろう。
しかし、シングル発売という絶対的で重要な機会をそこにだけに先行して委ねるという判断は(それも数度にわたり)どうにも違和感があり、いささか納得しかねるところがあった。
このことで情報共有の公平性が担保されないというのは甚だ問題だと言わざるを得ない。新せ界は独立した別の企画の場だとしても「公式」の場であることに何ら変わりはない。
情報拡散に期待し、結果その狙い通りで関係者は満足なのかも知れないが、蚊帳の外に置かれた者にとっては、余り愉快なことではない。このことが一定のBuddiesのモチベーションにも影響することがあるとしたら由々しき問題だ。
テクニックに傾斜する余り、本質を見失うことがあってはならないのではないか?
では、なぜこのような声が出てきたのか?
ライブにおいて予告なく何かを発表することは決して珍しいことではない。今回の件はそれと同様、もしくはさほど変わらないことなのではないか?なぜ異論が出るのか不思議でならない〜との声がいくつかあった。
なるほどライブでのそれについては驚きや羨望の声はあっても、非難・批判する声は余り〜というかほとんど聞かない。
では、なぜ今回は「異議あり」との声が挙がったのか?そこに意見の相違が出てきたヒントがあるように思えた。
これまでのTOURでは、サプライズで「流れ弾」「その日まで」のMV初披露や「Start over!」ティザー映像公開や新せ界の開催発表などあったではないか?今回の新せ界での対応も、それとさほど違いはないのでは?とのことである。
それについて私はこう思っている。
ライブはその日、その場限りのことである。その場にいれば「ラッキー」いなければ「あっいいなぁ〜羨ましいなぁ〜」で完結する話だ。つまり、事後ではどうしようもないことだから分別、割り切りのつく話である。
また、一定数の観客とは言え、同じ時に同じ空間で情報を共有することが出来る。全体のファンの範囲からすればそれは一部には違いないが、そこからの情報拡散で意識の高揚も伴い、話題性も生まれる。
その過程への認知がすでに共通してあるということだ。
しかし、今回の「一定の期間のある展覧会での一定の期間の発信」は意味合いが少し違うのではないかと思う。ましてや、シングル発売に関する事項は、もっと丁寧に扱うべきではないのかとも。
新せ界の場での発信は、あくまで特定の個人が、それぞれの条件の中で情報を得る機会に予期せず恵まれたということであり、その後、それを知った条件の許された者が、あらためて確認に行くことが出来る。あるいは出来ない。何か発表がもしかしてあるかも、いや、ないかも…と期待を持って参加するライブとの絶対的な違いが存在する。
また、今回はタイミングも悪かった。
冠番組『そこ曲がったら櫻坂?』のVR SQUAREでの見逃し配信終了が発表された直後で、契約の関係ではあるのだろうが、その後の対応についての発表がなかったために、地方勢は不満と不信と不安がないまぜになっている状態であったからだ。
そこに、今回の事例が重なると「地方軽視」の声が挙がるのも無理はないと思う。
私は「新せ界」には8月上旬に行ってきた。当然、期間内に展示物やレイアウトの追加・変更が行われることは想定内でそのこと自体は当然だと思うし批判もしないし、また、されるべきものでもないと思っている。
展覧会開会直後から主に「10プ」に関する話題で盛り上がった。それは当初、集客を加速させる効果が十分にあったと思う。
そして、そこで今回につながる手法が結果的に明らかにもなったわけだった。
だが、今回の7thに関しては別物だろう。やはり全て腹にストンと落ちて納得する事案ではないし、いささか首を傾げざるを得ないのだ。
「物理的に(東京に)行くこと」は、多くの、そして地方勢Buddiesにとっては、現実問題そう簡単な話じゃない。そんなにフットワーク軽く行けるほど容易なことではないのだ〜地方民からすれば、その辺りのもどかしさがあるからこそ、不満の声も出てくるのは理解してもらいたいと思う。
一部の「(新せ界に)行かないのは推す努力、気持ちが足りない」などとの発言は、見解の相違、置かれた条件の違い〜で済む話を、わざわざ攻撃的に非難しており、全くもってなにおかいわんや…である。
これは「ライブに行かないのは〜」「ミーグリを積まないのは〜」との声とも共通しており、「俺は行ってんだから文句があるならお前も行ったらいいじゃないか」という議論のすり替えにも辟易とする。これでは議論が噛み合うはずもない。
そして、このことで分断が発生するのならなんのためのプロモートなのか、まさに本末転倒と言わざるを得ない。
賛否が分かれて侃々諤々やり取りをするも、結局、今回の「承認欲求」のテーマに沿ったもの〜みんな踊らされていること〜との意見はごもっともなんだが、一方でそんな消費対象者を弄ぶことはいかがなものか…とも思う。
繰り返すが、手法としては一定理解する。しかし、これがベストな方法なのか?と言えば、NOと声を挙げざるを得ない。
疑問に思い、納得しかねるからこそ、こんなやり方はあくまで展覧会期間中の特例として、今回限りにしていただきたい〜と言うのが私の想いだ。
いづれにしても、色々な意見があるということを前提として、議論を交わすのならともかく、一方を批判的に断じて(一部の)自分の意に沿わない発言を排除するかのような姿勢はいかがなものか〜と、少し、いや大いに疑問に感じたので、敢えて記しておきたい。
あるFFさんが会期終了後、せめて今回の議論の対象となった素材等を公開、開放すればよい〜との意見は、なるほどもっともなことだと思った。
運営は、投げっ放しではなく、その辺の丁寧さをより徹底してほしいと思う。
発売前に水を差すようなことを言うな〜とお叱りを受けるのは承知の上で述べてみた。
これも承認欲求ということになるのだろうか…
【付記】
TL上で、匿名の文句を言っても生産性がないとの意見も拝見しているが、今回の件で運営に意見具申していることも付け加えておきたい。
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