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物語の始まり〜私と櫻坂46 ①

何を笑うかでその人のなりが判るという。そして、どんな音楽が好きなのかもその判断の一つなると思っている。

今、私は櫻坂46を推している。よもや、この歳になってアイドルグループが気になりだすとは... 我ながら何とも不思議な気持ちで、人生は、人の心は不確かなものだとつくづく思っている。

私自身は「けやかけ.そこさく」MCの澤部さんが時に口にする"ボキャブラ世代"にあたる。これまで色んな音楽を聴いてきた。そして、名曲とは詩・曲・アレンジ・演奏の主要素が高い次元で相まって構成されるものと認識している。そこに個人の好みが加味されての、それぞれの音楽遍歴だと思っている。私の「こんな音楽を聴いてきた…」は今後、折りにふれ語ることになるかも知れない。

さて、櫻坂についてである。欅坂時代に遡ることになる。実を言うと私はそんなに熱心な欅ファンではなかった。そう打ち明けざるを得ない。デビューが決まって幾つかの雑誌媒体で紹介される垢抜けない彼女達を見て「あぁ乃木のオルタナティブだな」程度の感想しかなかった。デビュー曲の『サイレントマジョリティー』はセンセーショナルにとり上げられ、歌詞もティーンに訴えるものではあるんだろうなぁ…くらいの認識だった。続く『世界には愛しかない』はなるほどこんな世界観もありか、悪くないな…と興味は強まった。MVの青い傘は、梱包の芸術家クリストのアンブレラをも連想した。

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そして『二人セゾン』

かつて山下達郎は自身の作品はメロディありきで歌詞に重きを置いていない〜と語ったことを記憶している。稀代のメロディメーカーの興味深い発言だった。しかし、商業作家たる作詞家はそうはいかない。正にプロの仕事が求められる。ただ私はシンガーソングライターの詞には意味を見出すが、職業作詞家のテクニカルな作風は偏見と知りつつ多くはどうにも馴染めないのだ。阿久悠も、そして松本隆も然り…当然にして、秋元康も…

だがこの作品は違った。彼のくどいほどの比喩表現は余り好みではないのだが、ここではいつもの「上手く言っただろう」感はない。曲もアレンジも振り付けもMVもいいときている。思いは上記のTweetの通りだ。そして、より欅坂46を意識するようになるわけだが…

だが、私にとって欅としての意識のピークはこのあたりだったのかも知れない。以降の表題曲こそ欅の真骨頂だという声は否定しない。事実その通りだろう。ただソリッドに極限まで削ぎ落として命まで削らんかの様なパフォーマンスは見ていてとても苦しかった。確かにカッコいいし息をのむ。しかし注視はしていたものの意識として一定の距離はあった。決して熱いものでもなかった。やや斜め後ろからの冷めた一面もあったのも否めない。

また、欅を巡る重苦しい空気に触れつつ気持ちを保つのは私には厳しすぎた。先のSRで渡邉理佐と齋藤冬優花が「ファンはよく付いてきてくれたよ」としみじみと語る場面があった。私には胸を張って自分がそうだろうという気持ちは流石に持ち合わせてはいなかった。

一端心が折れ途切れてしまったらフェードアウトは時間の問題だ。しかし、そうもならなかった。何故だ?

それは二期生の加入によるところが大きい…

         〜続きはまた暫くして…


【補記】

渡邉理佐の卒業を期に自身の気持ちを書き記したいと思い始めた。時間軸が行ったり来たりの記録となろうが、今、整理しておく必要があると判断した。回りくどい表現は村上春樹の影響を受けているんだな…とご容赦願いたい。


                     №001

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