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『VISTERS』佐野元春

【私の音楽履歴書】 #13 佐野元春


84年5月21日、佐野元春は一枚のアルバムを発表した。『VISTERS』(訪問者) と名付けられたその作品は、前年5月に渡米しニューヨークに在住し制作されたものだ。発売前から大いに話題となっていた。
当然にして、当時のニューヨークの音楽シーンに触発された作品になると容易に想像はできた。そして彼が提供してきたのは“ラップ”だった。ここまでは事前の情報も入って来ていたし、当然の帰結だろうとも思った。
賛否両論が溢れた。とてもチャレンジングで彼の音楽の新しい領域を提示していた。ただ私自身は評価については態度を保留していた。それだけ私にも早計に評価出来ない「問題作」だったのだ。
LLクールJ、ビースティ・ボーイズ、ランDMC等のグループが台頭してきたのは、この頃か、むしろこれより後だ。当時はヒップホップという文化的表現はまだ一般的でなかったと認識している。ラップという歌唱スタイルが先鋭的に注目され出した時期で彼はかなり早い段階でこれに挑んだ。
かつて日本語ロック論争を引き起こした「はっぴいえんど」の大瀧詠一に見出されて『ナイアガラ・トライアングルVol.2』に参加した佐野が、今度は日本語ラップ論争の渦中の人になったのである。

青春の彷徨者、佐野元春

私が彼に特に注目したのは前述の通り大瀧詠一、杉真理とのプロジェクト『ナイアガラ・トライアングルVol.2』(82.3/21)への参加からだが、彼の作品については、デビュー当初からそれなりに聴いていた。
が、本格的に聴き出したのは、この作品や『SOMEDAY』(82.5/21) 以降からだ。遡って聴いたデビューアルバム『BACK TO THE STREET』(80.4/21) では「情けない週末」が飛び抜けている。
後年、山崎まさよしが「One more time one more chance」(1997) という佳曲を発表するが、私が勝手に名付けた青春彷徨歌という世界観は、遡ればこの佐野作品に到達すると思っている。そしてその原型はもっと遡る事になるが、敢えてここでは記さない。


沢田研二と渡辺プロダクションはこの時期、素晴らしい音楽的アプローチをしている。一つは、井上陽水作品へのアプローチ。シングル「背中まで45分」(83.1/1)

そして、佐野元春作品の起用だ。アルバム『GS I LOVE YOU』(80.12/23) での「彼女はデリケート」「I,M IN BLUE」「THE VANITY FACTORY」の三曲は何れも、後に佐野によりセルフカバーされている。

いわゆる佐野元春の世界をこの三年間で築き上げた彼は前述の通り、渡米して制作したアルバム『VISTERS』を世に突きつけた。
そして私は前述の通り作品への評価を保留した。有り体に言うと「戸惑った」のだ。傑作に違いない。そう判断して差し支えない。だが、そうたやすく評価(傑作だと断ずることを)していい作品だとも思わなかった。これは、かなり時間が経過した今も変わらない。
そして私はこのアルバムで聴くべきは最初と最後の2曲に尽きると思っている。
「COMPRICATION SHAKEDOWN」「NEW AGE」この2曲がこのアルバムの作品の方向性を定めている。そして、この2曲は今聴いても、その新鮮さと衝撃の度合いは色褪せない。


帰国後も精力的に作品を発表していく佐野ではあるが、それは揺り戻しとも言っていい作品の回帰でもあった。世界青年年とやらのテーマソングでやたらとNHKで流れまくった「Young Bloods」などは彼らしい作品と言えばそうなんだが、何だか大人の都合で商業ベースに引き戻された感が強くて正直面白くなかった。アルバム『Cafe' Bohemia』(86.12/1) はその延長線上にあって私自身の評価は低い。彼の新しい方向性を予感或いは確信するのは、次の『ナポレオンフィッシュと泳ぐ日』(89.6/1)まで待つことになるのだった。


最後に非常に興味深い記事(2017年当時) を紹介してこの稿を終えたい。


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