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『時代』 中島みゆき


【私の音楽履歴書】 # 37  中島みゆき


今はこんなに悲しくて 涙も枯れ果てて
もう二度と笑顔には なれそうもないけど

『時代』


先日、私が推している櫻坂46の東京ドーム公演のため上京した。
その際、所沢にある「ところざわサクラタウン」にまで足を延ばした。
ここは、櫻坂46のシングル『何歳の頃に戻りたいのか?』のMVロケ地であり、いわゆるオタクの「聖地巡礼」というやつである。

角川武蔵野ミュージアム

折角、都心から時間を割いて行くのだから〜と下調べをしていたら、同所内の施設「角川武蔵野ミュージアム」で『中島みゆき展』が開催されているとのことでチケットを事前購入して、そちらにも訪れることとした。

このマガジンでは”私の音楽履歴書“と題して不定期ではあるが、主に、私の若かりし頃に影響を受けた音楽やミュージシャンを取り上げている。
ただ、今回取り上げる中島みゆきに関しては、それほど積極的に聴いてきたわけではない。
むしろ私は、中島と何かにつけて比較される松任谷由実の方に圧倒的に重きを置いてきた。
さらに言えば、彼女の作風はやや苦手と感じてしまうところもあり、作品の表現とは裏腹なオールナイトニッポンでの高揚したトークも、失礼ながら私を敬遠させるものでもあった。
昔、知人が(友人というほどの関係ではない…)が「夜会」のパンフレットを持って、彼女の魅力を力説していたことがあった。私としては「へ〜そうなんだ〜」くらいの感想しかなかった…

とにかく”嫌いではないけれど苦手な人“はこの世間様には何人かいるものだが、中島に関しては、言わば食わず嫌いのところは多分にあったのだろう。
さらに言えば、女性の感情をむき出しにしてぶつけられる感覚や生々しさは、“女の怖さ”を意識させ、私が女性に対して持っている、ある種のコンプレックスをいたく刺激した。言わば「本能的な防御作用」
が働いたのかも知れない。
ただ、私とて彼女の作品の良さを理解し嗜む柔軟性は持ち合わせてはいる。で、なければわざわざお金を払ってまで展覧会には行かない。

今回のタイトル楽曲とした『時代』は、まさに”時代を超えた名曲“であると思うし、長きに渡り活躍してきた彼女の足跡を、この機会に辿るのも悪くはない…と思ったからだ。

そこで今回は、私が感じていた中島みゆきとその“時代”を、雑駁ではあるが辿る形としたい。
尚、現在、中島みゆき作品は、過去発売したシングルのみを、サブスクの対象にしている。そこからアルバムやライブに誘導しようという狙いであるのは明らかだろう。だから、YouTubeでの違法動画投稿には特に毅然と対処していると見受けられる。
そのため本稿での彼女自身が唄う楽曲動画の紹介(リンク)は、公式チャンネルのものに限定している。

75年9月に『アザミ嬢のララバイ』でデビューした中島は、続く『時代』で、ヤマハ主催の世界歌謡祭のグランプリを獲得し、中央でのメディア進出を果たした。
私は、この一連の流れがヤマハが準備した用意周到な売出しのプランだな…と子供ごころに感じてはいたが、その『時代』は、妙に懐かしいメランコリックな唄だなぁ…とも思ってもいた。
この曲は、自身もいくつかのバージョンがあるし、多くのアーティストにカヴァーもされている。
しかし私は、船山基紀編曲の最初のシングルオリジナルバージョンが一番好みである。

その後の、ポプコン〜世界歌謡祭グランプリからデビューの流れは、主催者ヤマハによるオーディションイベントに矮小化され、辛辣な言い方になるが、いわゆる話題先行の「一発屋」を粗製乱造する形になったな…と冷ややかにとらえていた。
当時、アイドルオーディション番組のトップとして「スター誕生」があったが、ポプコンはフォーク•ロック(ニューミュージック)界のスタ誕的なものに実質収まっていった。
ただ、結果的に長く活動出来たのは、中島みゆきとチャゲ&飛鳥(Chage&ASUKA)ぐらいのものか。
それでも、そのヤマハの功績は称えられて然るべきだ〜とは思うが…

また、オリジナルコンフィデンス(オリコン)が隆盛を極め始めていた当時「オリコン一位」の称号を得るのは、とても名誉なことであった。(そのデータ集計の裏側•実態はともかくとして…)
中島みゆきもデビュー後しばらくして、研ナオコに提供した『あばよ』(76年9月)で注目を受けて、自身は、翌77年9月発売の『わかれうた』でオリコン一位に輝くことになる。
それは以前、荒井由実(松任谷由実)がバンバンの『いちご白書をもう一度』で注目を集め、自身の『あの日にかえりたい』で脚光を浴びた構図によく似ていた。
その後、桜田淳子をはじめ、アイドル歌手への楽曲提供が続き、特に80年代は柏原よしえや工藤静香への提供曲がヒットチャートを賑わすことになる。

そんな中島だが、私が彼女を強く意識したのは、やはり「3年B組金八先生」第2シリーズの佳境で、挿入歌として流れた『世情』である。
第1シリーズでは、オフコースの『さよなら』を挿入歌として取り上げるなど、少々「ベタ」な演出をするこのドラマであったが、当時の田舎暮らしのガキには、中々刺激の強い歌詞とメロディーだった。

彼女が学生運動や安保闘争に、どの程度関わりや興味が有ったのかは知る由もないが、主にマスコミが意図的に掲げる労働運動での「ストライキ迷惑」論や、街頭での「デモ不要」論は当時からあった。
その影響をモロに受けていた田舎育ちのガキは、”シュプレヒコール“という言葉も、何やらおどろおどろしい響きを含んだものとして捉えていた。そして、それはある意味、逆に新鮮で刺激的なものでもあった。

『中島みゆき』展での歌詞タペストリー

初期〜と言っていいのかどうかわからないが、彼女の作品では、80年代前後のものが私の好みのようである。
ここでは、そのうちの6曲を紹介したい。

りばいばる (79.09.21)

やっと恨みも嘘も うすれた頃
忘れられない歌が もう一度はやる

『わかれうた』の大ヒットから続く一連のシングル作をよく聴いていたし、今でもこの時期の曲に特に思い入れがあることに気づく。
演歌調のイントロからアコギの音。それに続くピアノとドラム、エレキギターの響き…
そして何より淡々とした中島の歌声が、それ故に心に響いてくる。

あした天気になれ (81.03.21)

宝くじを買うときは
当たるはずなどないと言いながら買います
そのくせ誰かがかつて
一等賞をもらった店で 買うんです

いわゆる「です•ます」調の敬体の歌詞は、フォーク隆盛の時代には多くあり、それが主流であったとさえ言える。
この歌を聴くと連想するのは、井上陽水の『御免』だ。彼女がボブ・ディランや吉田拓郎から多大な影響を受けている〜とは周知の事実だろうが、もう一人の“大物”井上陽水にも畏敬の念を抱いていたのでは…と、勝手に推測している。
また、すでに、時代は「フォーク」から「ニューミュージック」へと呼称も変わるフェーズに移行していたが、彼女の音楽は、そんな流れには一定の距離を置いていたかの様な自然体でもあった。
星勝のアレンジがハマっている。

誘惑

ガラスの靴を女は 隠して持っています
紙飛行機を男は 隠して持っています

船山基紀のアレンジで、珍しく歌謡曲調に”甘くカワイイ“発声で唄っている。
「女と男」「子供と大人」「夢と現実」〜それぞれの間で揺れ動く人の心と姿を「誘惑」という言葉をキーワードにして、その歌声とは裏腹な世界を表しているのだろうか?


やまねこ (86.11.21)

こういう詞を書くから中島みゆきは怖いのだ。
だから、怖気づくのだ…

同月に発売されたアルバム『36.5℃』は、甲斐よしひろをサウンド•プロデューサーに迎えて制作された。『やまねこ』はそこからのシングルカット。
アレンジは船山基紀だが、シンセサイザーはじめエレクトリックなサウンド全開なのは甲斐の影響なのか私にはそこまではわからない。
後に瀬尾一三のプロデュースを受けるまで続く、様々なアプローチは自身曰く“御乱心の時代”だとか…

あした (89.03.15)

抱きしめれば2人は なお遠くなるみたい
許し合えば2人は なおわからなくなるみたいだ

KDD(当時)のCMでの、奥貫薫の”泣き“が印象に強いこの歌だ。彼女も今ではすっかり貫禄のある俳優になっている。
ある時、グループで行ったカラオケで、一人の女性が一生懸命、情感を込めて歌っていたのを今でも想い出す。


銀の龍の背に乗って (03.07.23)

銀の龍の背に乗って 届けに行こう 命の砂漠へ
銀の龍の背に乗って 運んで行こう 雨雲の渦を

これまで私が柴咲コウのファンであることを、このnoteマガジンでも幾度か話してきたが、彼女が出演していなかったら見ていないドラマであろう『Dr.コトー診療所』のテーマ曲だ。
「銀の龍の背に乗って」〜とはよく言ったもんだ。
私は海とは離れた内陸部で生まれ育ったから、海に対する憧れと怖れを同時に持っている。
波光きらめく穏やかな海を見ていると落ち着くものがあるけれど、風雨で荒れた猛々しい高波の海を見ると、やはり恐怖を憶える。
そんなことをも意識させる楽曲である。


ご承知のように、中島みゆきは多くの人に楽曲を提供している。
中島みゆきから曲を提供されることは”一種のステイタス“といった捉え方もあっただろう。
そんな数多の作品の中から“敢えての3曲”を。


⚫かもめはかもめ 

かもめはかもめ
ひとりで空をゆくのがお似合い

『LA-LA-LA』(76.06)から中島の楽曲提供を受けた研は『あばよ』(76.09)の大ヒットで歌手としての地位を確立した。しかし、77年9月、大麻取締法違反容疑で起訴猶予処分となり半年の謹慎処分となった。
その復帰作が、この『かもめはかもめ』(78.03)だった。
「私には歌うことしか出来ない〜」とも聞こえるこの歌でカムバックを果たしたが、生来の歌唱力に加え、この楽曲に恵まれたことが彼女にとって救いとなったのではなかろうか。

⚫二雙の舟

おまえの悲鳴が胸にきこえてくるよ
越えてゆけと叫ぶ声が ゆくてを照らすよ
きこえてくるよ どんな時も

かつてポプコンの舞台で競い合った二人が、幾つもの年月を経て邂逅する。
中島の楽曲をカヴァーする人は多いが、やはり「歌が上手い人」が絶対条件だろう。
それから言えば渡辺真知子ほど安心して聴ける歌い手もいない。
今は、時に彼女のヒット曲も聴いたりしている。


⚫永遠の嘘をついてくれ

君よ 永遠の嘘をついてくれ
いつまでもたねあかしをしないでくれ
永遠の嘘をついてくれ
出会わなければよかった人などないと笑ってくれ

中島が、吉田拓郎の依頼を受けて彼に贈った歌がこの曲で、アルバム『Long time no see』(95.06)に収められている。
その後、2006年9月23日に静岡「つま恋」多目的広場で開催された野外コンサート『吉田拓郎&かぐや姫 Concert in つま恋 2006』で、そのステージにサプライズゲストとして登場し、この曲だけを共演し颯爽と去っていく…
NHKでも放送されていたこの映像は、YouTubeにアップされては削除されていく代表的なもので、さすがにそれを観ることを大っぴらに推奨するのは、はばかられるが「いつまでも夢を見させてくれ」と中島から吉田へのエールが”永遠“のものであると言えよう。


中島みゆき展は来月5日から、大阪でも開催されるとのこと。
そして、彼女の一曲を〜と、問われればやはり『時代』だろうな…と、再確認した展覧会でもあった。


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