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【軽井沢】自然豊かなところで子育てしたい、のはなぜか?(2)

都会が悪いわけじゃない

つい半年ほど前まで、都心と言われる場所に住んでいました。

今、私たち家族が住む軽井沢に比べたら、たしかに緑は少ないし空気も悪い。それでも、都会にいながら自然を感じて暮らすこともできます。

東京にも自然は息づいていて、私自身も、ビルの間に落ちていく夕陽や、商店街にやってくるツバメ、駐車場の片隅で咲くタンポポに心癒されていました。都会だから自然とふれ合えないわけではない。むしろ人間に圧倒されながらも輝く、強い自然の姿に出会うことができます。

↓都心部に住んでいたころ。子どもと一緒に河原に通いつめるうちに、潮の満ち引きで水位が変わることに気づいた。河口に近いからかな?緑の木々が目にやさしい

東京は自然環境へのアクセス良好

「自然の中で子どもをのびのび遊ばせたい」のであれば、東京には自然豊かな場所へのアクセスが良いというメリットがある。

東京を拠点にしたら、飛行機や新幹線で国内外のあらゆる場所にアクセスしやすい。浜松町から船に乗れば、私が以前住んでいた伊豆諸島や小笠原にも行ける(島暮らしのことも、そのうち書きますね)

軽井沢は自然豊かな場所ですが、海はない。「沖縄のきれいな海で子どもたちを遊ばせたい」と思ったら、いったん上京して羽田まで行くことになりますね…遠い。あちこちの自然を体験させたいなら、東京に暮らすのは悪くない。

それでも自然豊かな場所で子育てしたい

でも都会か田舎という選択肢があるのなら、私はより自然豊かな田舎を選ぶでしょう。

子どもたちに、自然を見る目を養ってほしいから。

東京に暮らしていたころ、大きな幹線道路沿いにタンポポを見つけた。近づいてよく見ると、それはニホンタンポポ。ニホンタンポポはセイヨウタンポポに比べると繁殖力が弱いとされています。都心エリアで見かけたのは初めてでした。力強く生きている姿が凛々しかった。

ニホンタンポポとセイヨウタンポポには、一見大きな違いはありません。ニホンタンポポのほうがほっそりとして小さいような印象がありますが、街の風景の中では「タンポポ」と大別されてしまうのではないでしょうか。ただしガクを見れば形状が違うので、見分けは簡単です。

私が「あれ?」と立ち止まってタンポポを確認したのは、タンポポを見る機会が多い自然豊かなところで育ち、暮らしてきたからだと思う。

タンポポを見る目が育っているので、何となくの印象で見分けることができる。東京でツツジの植栽の中に、白いタンポポを発見したときも嬉しかった。それは埋もれるように咲いていましたが、どうも目が合うのです。

私が東京で小さな自然と出会うことができたのは、それまでに自然とふれ合う機会がたくさんあって、自然に関する知識やアンテナをもっていたからだと思う。

知らない人を探すことができないように、自然を知らなければ東京で自然と出会うことは難しい。

だから子どもには、成長する過程でたくさん自然とふれ合って、たくさん自然を知ってほしい。自然を見る目をつくること、それは回りまわって、心豊かな生き方につながっていくと思うから。

地球上のどこにいても、自然の息吹を感じることはできるはず。例え人工物に囲まれていても、ひとつ空の下、地を踏んで暮らしているのだから。

駅から夕日が見えたときに、美しいものに感動する心を取り戻す。大きな自然と比べたら自分の抱える問題はたいしたことないと思えたり、小さな季節の変化に気づける観察力は、そのまま生きる力に直結していくと思います。あくまで、私がそんな自然の力に助けられたな…という体験に基づいた話ですが。

自然に対する感度を上げてほしい。だから、私は自然豊かなところで子育てしたい。

↓晩秋の軽井沢。カラマツの葉が積もった森で、ポツンと綿毛を広げていたタンポポ

【おまけの話】
コンクリートの隙間で排ガスを浴びながらも花を咲かせていたニホンタンポポ。受粉せず自分のクローンを作りだせるセイヨウタンポポと比べると、ニホンタンポポは他家受粉で増えるため、他の株から花粉を運んでくる昆虫の手助けが必要です。だから繁殖力を比較すると弱いタンポポと言われてしまうのですが、他家受粉をするからこそ多様な個体が生まれ、環境変化には強い種とも言えるそうです。

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