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昭和の映画

また市川崑の金田一シリーズを観出した。病院坂の首縊りの家、悪魔の手毬唄。やっぱり良い。

最近は明るいレンズで背景をボカすのを、シネマティックというらしい。しかし本来映画らしいシーンは、ひいて人物を小さく配するのが映画っぽい。大きなスクリーンだからこそ小さな人物が生きる。雄大な画になる。黒澤明作品でも多用されている。
市川崑もひきの画が素晴らしい。映画を観ている気分になる。
カメラがひくと映る範囲も広くなる。ロケでもセットでも造り込みが大変だ。そういう意味でも映画らしい。
録音も大変だろう。
ボケ味のあるシーンは逆に周辺を整理しやすい。お手軽とも言える。映り込む範囲も狭い。多用するとテレビ的になる。

照明も大事だ。どうも最近の日本映画はテレビの照明っぽい。バラエティ番組の様に、出演者が何処で映っても良い様な照明。ノッペリとした映像になりがち。市川崑作品は陰影のある美しい映像だ。戦後間もない雰囲気を破綻なく創り上げている。結構複雑な照明だと思う。照明を探るヒントは演者の瞳にある。写り込む光で照明の位置と数が分かる。

どうも最近の日本映画は昔ながらの映画技術が、テレビの技術に駆逐されているような気がする。
映画は脚本も大事だと思うが、映画を映画たらしめるのは映像の力だ。嘘も映像が本当の話にしてしまう。
年寄の戯言。

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