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生まれかた 死にかた ミドルケアラーの愚痴

 「産めよ 増えよ 地に満ちよ」神の祝福の言葉だ。現在地球上にいる人類の殆ど全員がこの祝福の言葉・思想の下、増殖を続けている。

 女性が子供を産むという事は大変な事だというのは小生はオトコだけど解るつもりだ。という事ではあるけど、産み育てるという事はある程度パターン化する事が可能だと思う。人が死ぬ時よりは。
 子育てもいつかは終わりが来る。終わりが見える。出口が見える。ことが多いと思う。子育てに終わりが見えるという事は「先に光が見える」のと大体同意だ。子育てから解放された後の事はあるけど。

 小生は4人いる祖父母と両親2人の計6人を看ている。初めは1993年、母型の祖父が亡くなった。病院には数か月お世話になってからの渡虹橋(なんて読むんでしょうね^^)だったらしい。

 以降、母方の祖母は認知症が進んで行った。

 一方で父方の祖父の様子がどんどん悪くなって行った。祖父は血を見るのが苦手だったらしいけど、ある時怪我をきっかけにどんどん子供返りをして行った。最後は病院で孫子供達に見守られて昇天した。これは大往生だ。

 やがて父方の祖母も持病が悪化して行った。人生最後のパチンコ・当たりを引かせてあげようと祖母をパチンコ屋へ連れて行ったのは小生だ。
 病院にお世話になり、当時自己負担ゼロだった介護保険制度を利用し、医療給食を食べてもらって祖母をお世話したのは一年位だっただろうか。

 親父は一日で逝った。前日まで自分で風呂に入り翌朝病院で逝った。思うところ色々ある訳だが、その潔さと遺品の少なさは関心するほどだった。

 その間、その後は長い事施設へ入れた母方の祖母、その面会に向かう母の運転手を20年以上も続けた。片道35キロ程度の道のりを週一で母を乗せて面会を続け、1000回以上も往復しただろうか。数年前に見送り、この間母方の墓じまいも済ませた。

 そして今、最後に残ったのは母。ここにちょろりと綴っている訳なのだけど、施設入居。心不全の再発では延命をしないとの同意書は書いてあるけど我が家で寝ていれば心不全は起きうるが、空調の効いた施設。これは長丁場になりそうだ。

 人を産み育てる事は先の楽しみを見るようなものだと思う。
 だが、上述見送る事ばかりしている人間の心情も神には解って欲しい。

 生。産み育てる事はパターン化が出来るし、終わりも見える。
 基本的になんだかんだ言っても産み育てる事は喜びに満ちているだろう。

 死。いつその時が来るのか解らないし、介護の終わりは先が見えない。寂しい。哀しい。今の所ウチは何とかなっているが、カネが尽きるか寿命が尽きるかという経済的な問題もある。取りあえず母を施設に入れた後に小生が「介護うつ」だった事が判明した。カネはかかるけど、すごく気持ちが楽になった。

 拙ブログ既出だけど、人類はもう 地に満ちた と思う。
 神のそれぞれのお告げには、期限がある(Byクルアーン)。

 人も物も片付けなければ。小生の場合ね。

 この先、少子高齢化は進む。両親が長男長女である子供が激増する。
 という事は小生のような人間が激増する事も忘れてはならない。

 まだ現在進行形だけど、ここまで約30年かかった。小生はアナログ人間だけど、少子高齢化の最先端を走っているのかもしれないと。

 あと一つ予言しておこうと思うのはイマドキの若い人。
 「スマホ認知症」が激増するかもしれないという事。

 と思いながら今日の晩御飯も一個25円(税別)のコロッケを二つ乗っけて卵を落としたコロッケ丼ときゅうり一本かサラダを食べようか。

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