人類の次元認識
たまには真面目に小生の研究を認めておくのも・・・だが手短に。
とは言えど話せば長い。拙ブログ既出か、前のブログだったっけか。
幼い子供に「絵を描いて」と言うと「おかあさんの かお」と称して正面顔を描く子供が多いと思う。これが小学生くらいになると横顔を描くようになる。やがて斜め顔を描けるようになるのだけど、これが多分出来ない人が結構いるような気がする。
例えば、80歳くらいのおじいさんやおばあさんを集めて絵を描いてもらうとすると、斜め描写の出来ない人が結構いるのではないかと思う。
古代文明を漁っていると、エジプトのレリーフあたりから文明の臭いがしてくるが、これらは全部横顔だ。ちなみに文明すらまだない古代洞窟壁画などを漁ると「棒人間」が登場する。
一方で、動きを表現したと思われるラスコー洞窟の動物達のように4本ではなく何本も足を描いた壁画も存在する。
横顔しか描けない「それは信仰だった」と人は言うかもしれない。けど。
そもそも斜め顔を描けなかったのではないだろうか
というのが小生の研究中の仮説である。
その代わり彼等は現代人とは違う何かを見る目を持っていたのではと。
エジプトで一神教のヒーローであるモーセが活躍した時代、エジプトでは横顔レリーフではなくエブ・アメンの壁画のように斜め顔が登場する(要考証ですけど)。イエスキリストの後のグレコ・ローマン時代あたりから現代のような見事な斜め描写が出現して来るようには見えないだろうか。
となるとモーセやジーザス・クライストは人類の意識進化の共時性的キーマンであるという事にはならないだろうか。
そして現代、ピカソやエッシャーのように次元を超越した絵を描く画家が誕生した。これは次元遷移・意識進化の何かの兆候ではないだろうかとか。
エッシャーの作品の中に「ものみの塔」というものがあるのは有名だ。
何度も言うけど小生はグノーシス主義ですけど。
取りとめもまとまりも無い短い文章ですけど、こんな「次元を超えた人類の意識」について・宗教・思想などを思考実験しています。
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