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右上からのメッセージ

常識をうたがえ


以前の記事で、思考以外のインスピレーションが右側やや上空からくると書いたことがある。

完全に思考に同一化していて、しかも現実的でネガティブなグルグル思考状態のときに、どこからともなく突拍子もなく全く関係なく「自ら光れ」というインスピレーションというかワードのようなものが、不意に浮かんだことがあった。

それまで考えていた思考の内容とあまりにもかけ離れた言葉で、まるで突然誰かに囁かれたみたいだったので、驚いて「なんだ、今の?」とキョロキョロしたのを覚えてる。

ちょうど、このパンデミック騒ぎがはじまって世相の雰囲気が悪くなってた頃で、不安と恐れの真っ只中。しかも私は少しエンパス気味なところがあって、ネガティブが増幅していたときに、なんだかやけにポジティブなその言葉は、その意味を素直に受けとるよりも、むしろ言葉の出どころの方が気になっていた。

自分の身体の右やや上あたりに、その言葉が閃いた感じ。右脳の辺りかなあって思っているんだけど?

その後もたまに似たような閃き(言葉のようなものが降りてくる感じ)があった。数ヶ月して次に来たのが「常識をうたがえ」だった。右上の囁きだ。

常識をうたがえ。そのワードは何度かきた。

そう言われて、改めて「常識」について考えてもよくわからない。とりあえず、私が「これが私の住んでいる世界」について、知ってることを示しているのだろうか、と考えた。

2年ほど前にその時も突然「この世界の黒幕っているんじゃないか」と思って戦後日本史とかパレスチナ問題とかを調べていたことがあった。

別に生活に問題があるわけでもない、なのに何かおかしいと直感してた。こんなに便利な世の中になったのに、やることが増えて心にゆとりがない。窮屈さを感じる。一億総ビジネスマンみたいなこの考え方はなんだ。経済拡大のために人類が生きているわけではなかろうに。

人類がどこに向かっているのかわからない。どこか方向が間違っているような気がして。

で、とりあえず「フィクサー」で検索を始めていったら、なんかいろいろ行きついた。

そしたら、事実は小説よりも奇なり。すでにQアノンなる集団がアメリカでかなりの数の支持者を集めていた。ウイグルでは多くの人たちが強制労働させられていて、それに有名企業が多数関わっていた。人身臓器売買、バチカンの闇、ムーンショット計画、火星移住計画、人口増化問題、想像より深刻な環境汚染、宇宙人コンタクト、核保有問題、教育制度の偏り、メディア情報の偏向、歴史の改ざん、重大な経済格差、利権獲得や経済拡大のためのおざなりの戦争。

おいおいなんだそりゃな問題ばかりだった。

でも何より驚いたのは正義の無さ。いや、愛の無さ。

私はそれまで、人類はそれなりに進歩していて、人権やは公平な正義に守られていると思っていた。愛があると思っていた。

でも実際はいつの間にか人類は人為的に作られた「経済活動」という大きな潮流を最優先事項としていて、まるで自然災害のように人権や人命を簡単に飲みこんでいくのを普通のこととして容認していた。もはや経済という名のモンスター。愛なんかない。

私もどこかそう思っていた。負け犬になってはならない、必死で生きなければならない、死ぬほど頑張らなければ生きていけないんだ、と思いこんでいた。

しかし。

なんか違うんじゃないのかね、それらはそもそも人類が発展していくための、人間の決めたただのルールでしょう。愛はどこにいったんだよ。



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真逆だよ、真逆


自分では人類は平和で進歩的で、人命・人権・治安が愛と正義の「法」で守られているのだと信じていて、そっちが現実的で常識的な世界だと信じていた。

もっともっと人類は理性的な生き物だと信じていたし、それまで、小説や映画やアニメに出てくるの破壊的なストーリーは、ただのノンフィクションで想像力豊かなエンタメとして捉えていた。

都市伝説も興味があったけど、ほぼエンタメとして捉えていたし、もし事実があったとしても平和な日本にはあまり関係ないと思っていた。

でも、今ある数々の問題ってほとんどが戦後作られた法律だったりする。金融システムを確立するために第一次世界大戦のあたりから少しづつはじまって、第二次世界大戦の後に多くの協定がとりきめられ、その時に世界均衡を保つために調和的な法律が各国で定められた。その古い法律と慣習に縛られて、さらにルールをつけたしてがんじがらめに縛られて身動きとれなくなっているドMな現代人。

欲にまみれて、簡単に我を失う文明を持っただけの原始人だった。それがさらに利器を駆使して、

そうか、私はこんな世界を常識と思っていて、それに置いてけぼりにならないように必死でしがみついていたんだなと気づいた。現代社会の洗脳にかかっていたんだな。そこに気づいて目覚めろっていうインスピレーションだったのか。常識をうたがえってこういうことだったのか。

そしたらまた、例の右上の囁きが。

真逆だ。

それまで私が思っていた常識をうたがって、信じていたものが崩れはじめたのもショックだったし、今まで何やってたんだ?感が拭えきれていないのに、さらにまた追い打ちをかけるように、まだまだだ、まだ抜け出してない、もっと思っているより真実は真逆だというインスピレーション。さすがによくわからない。

攻殻機動隊の例のセリフで言うのなら「ゴーストが囁く」感じ。よくわからないけど無視できない感じの声。

真逆ってことは、全てひっくり返せってことだろうか。これ以上何をうたがえっていうんだ。

真逆ってことは何、信じていたものはことごとく嘘?

常識をうたがって知ったのは、人類は愛も正義も平和もなく、進歩も発展もなく、安心もなかったってこと。歴史もあやふやな物語に仕立てられていて、情報にも信憑性はない。無理。理解不能。もう勘弁してほしい。

でも「真逆」という囁きがちょくちょくくる。

信念どころか、概念そのものをひっくり返せってことだろうか。

概念そのものをひっくり返す?と思ったときに「存在」をうたがった。どうやって世界は創られたのだろうか。

そもそも世界は存在しているのだろうか。私は何を見ているのだろうか。私は存在しているのだろうか。

まさか、ね。

いまだにそれが真実とは思い切ることができない。じゃあこれまでの日常は?生活は?過去の記憶は?今まで生きてきた証拠が自分なのに、証拠そのものが証明できなくなってきた。パラドックス。

まさか。

でも、多分その「まさか」なんだろう。おそらく。一度自分の持っている概念が崩壊する。何が見えてくるのかわからないけど崩壊して残ったもの。あるいは新たに再生されるもの。

そして、だんだんそこに気づいていく人が増えていくのだと思う。百匹目の猿のように同時多発かもしれない。その時、人類にどんな変化が訪れるのだろう。


◆なんかわけのわからない記事になってしまいました。右上からの囁き(インスピレーション)はいつも思考の外から急にくる感じなので、なんだかほっとくわけにもいかず。






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