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老障介護。努力したくない、がんばりたくもない。ぼーっとしていたい。

毎日、障害のある長女のスケジュールに合わせて、私の生活が回っている。それは私が介護者であるからという立場から見ると、あたりまえのこと。朝6時に起こし、着替え、朝食、服薬、洗面、トイレ、通所の支度をして、8時に出かける。

そのひとつひとつが、「ヤダー」のヤダさん到来とか、「なんかないの。」の無茶ぶりさん変化とかあって、スムーズにいかないのが毎日。そこを何とか切り抜け、「行ってらっしゃい」をして初めて、自分自身になれる。

ここまで2時間、ぐたーとなって、ぐでたま状態。長女の、ヤダさん攻撃や、無茶ぶり攻撃が過激な日は、体力ばかりか、メンタルもへこんでしまい、立ち直るのに数時間かかることもある。

今日は、へこんでいる。

いや、へこんでいるのでなくて、もしかして、私、正直な心を出しているのかも。

やたら面倒くさい長女の儀式や、ややこしいスケジュールや、躁転の予感の不安などから解放されたい。

こころのびのび、悠々自適な老後を送りたい。一人で気ままな暮らしをしたい。

レスパイトケアなどは期限付きだし、グループホームに入所しても、週末は帰って来るし、そういうのじゃなくて。楽がしたい。

と思う今日。こういう時は疲れているとき。心も体も疲れているのだから、ゆっくりして、好きな時間を過ごせば、また、いつもの自分に戻れるだろう。そう、けなげに考える自分も嫌だ。

わがまま放題してみたい。自分のしたい放題してみたい。人に合わせる生活はもう嫌だ。

せめて、長女が帰ってくるまでは、わがままをしよう。こういうこと、人前では言わないし、ゆったり暮らしているふりしているけど、本当はギリギリのメンタルの母。たまには本音を出してしまおう。

だけどね、やっぱり、長女との暮らしは、楽しいこともあるし、日々の発見もあるし、たくさんの人たちとのつながりもあるし、貴重なもの。

この貴重な生活は、健常者だけの生活で、障害者のことを他人ごとだと思って生きているだけでは、得られないもの。障害のある長女と暮らしているから見えてくるもの、考えさせられることは、とても大事なことばかり。

そう思うと、私の世界を広げてくれている長女との生活は、私一人での生活では得られなかったものだと思う。

だからね、長女との生活は、大変なこともすごーく多くて、めげてしまうこともあるけど、ものすごーく、貴重な体験や知識が得られる、すばらしい生活なんだろう。

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