見出し画像

人間臨終図鑑:人間は死ねば生きてるやつに何をされても無抵抗である

山田風太郎『人間臨終図鑑』を読んだ。
寝っ転がって、完全に無責任に他人の死に方を覗き見た。 

古今東西の有名人の死が、死んだ時の年齢順に並べられている。
若い世代の予想外の死よりも、よれよれになってからの死のほうがしみじみとする。
こんなに生きてきて、後世に名を残し、最後に心配することは何か。
死を恐れながら、望ましい死に方を妄想し、準備をする、その真剣さ滑稽さ切なさ。

86歳で死んだ明治の軍人は、晩年、身体が不自由となり最後に望んだこと「死んだら墓は縦にしないで横にしてくれ。死んでまでこんな体で立っているのはつらい」
この望みはかなえられ、墓は横になっているという。
よかった、よかった。

志賀直哉は88歳で死んだ。きたない骨壺に入れられることを嫌がり、益子焼の陶工浜田庄司に骨壺を焼いてもらった。
ふだんは砂糖壺として使い、死んでから望み通りその中に入ったが、後に骨壺は盗まれてしまったという。
いやはや。

そっと死なせてほしい、死後、何もしてくれるなと望む人は多い。

親鸞は89歳で死んだ「それがし閉眼せば賀茂川に入れて魚に与うべし」
永井荷風は80歳で死んだ「余死する時葬式無用なり。死体は普通の自動車に載せ直ちに火葬場に送り骨は拾うに及ばず、墓石建立亦無用なり」
二宮尊徳は69歳で死んだ「葬るに分を越ゆるなかれ、墓や碑をたてるなかれ、ただ土を盛り、そのわきに松か杉を一本植えれば足る 」
しかし、大抵は思い通りにはならなかった。
親鸞を魚の餌にできるはずもなく、永井荷風の葬儀は行われ墓も作られた。
尊徳が知ったら卒倒するほどの数の尊徳像が設置された。

カントは80歳で死んだ「早朝ひそかに、ただ少数の食事友達だけに見送られて埋葬されたい 」と書き残していたが、みたこともないような荘厳さに満ちた大掛かりな葬儀が行われた。

風太郎氏「死んでしまえば徹底的無抵抗の物体と化すよりほかない」
静かに死んだつもりでも、こうして、死について明らかにされ、興味本位で万の他人にいつまでもあれこれ無責任に言われても文句は言えないのである。

死顔を見せたくない人は多い。
笠置シズ子は71歳で死んだ。知人が駆けつけた時には、すでに棺には釘が打たれていたという。
私も死顔をのぞき込まれるのは耐え難い。
内側から自分で釘を打ちたいくらいだ。

梅原竜三郎は98歳で死んだ 「死んでからずっとあとになって、ああ、あれは去年なくなりました、というふうにしたい」
私も、これがベストと思う。

サルトルは75歳で死んだ「絞首台でとりみださないようにあらゆる配慮をめぐらしているのに、スペイン風邪でぽっくりやられる死刑囚、それがわれわれだ」

準備はほどほどにしときなさいよ、どうせ思い通りにはいかないから、ということか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?