河瀬直美監督の東京大学入学式祝辞を読み解く
あまりに浅はかな読解により、多数の国際政治学者や言論人に腐された河瀬直美監督の祝辞。
なぜそんな阿呆な読み方ができるのか。なぜ阿呆な読み方を鵜呑みにして多数の人がTwitter上で激烈に彼女を批判するのか。恐怖すら覚えた。
そしてこの集団ヒステリーにより、彼女が伝える主に金峯山寺にまつわる描写がまったく理解されていないことにももどかしさがあった。
このまま放っておくのはあまりに惜しく、河瀬直美監督の作品と金峯山寺の成り立ちや建築を少しは知っている者として、彼女の祝辞の解説を書いて残すことにした。
ぜひ、多くの人に読んでいただきたい。
そして、もし河瀬直美監督にも読んでいただけるならとても嬉しいし、公でもこっそりでも、答え合わせをしていただければ本望だ。
さて、文章構造と素材、両面から解説する。
文章を分解して理解しよう
多くの識者が誤読し、誤読に基づいて非難している件は、「例えば」ではじまる部分である。
この部分の表現が誤読を許す甘さがあった。「その国の正義」が、ロシアにもいくらかは分があると読まれてしまった。
このテキスト、後半部分の捉え方を整理しよう。主要な表現は、この赤く色づけした部分だ。
例えばの部分など、主張の骨格ではない部分は、地の色に近づけて目立たないようにした。
論旨をすんなり理解できるように、順番を入れ替えるとこうなる。
「( )」は筆者が補足した。
私は固有名詞を叫び、世界を存在させていった
名前をつけるということは、世界にそれらを存在させることだ
「あれらの国の名前を言わへんようにしとんや」(→存在させたくない)
「悪」を存在させることで(名前を言うことで)、私は安心していないだろうか?
(私・河瀬直美は)それ(悪)を拒否することを選択したい
おばあちゃんの肌触りを直接感じている主観的な私と、冷静にファインダー越しにおばあちゃんを見つめる客観的な私、表現者としてふたつの存在を認識する力が必要である。
ただし、「悪」を「悪」と客観的に認識するだけでなく、私は「悪」を主体的に拒否する、という論旨だと思うのだ。
世の識者たちが決めつけた内容とは全く別物だ。
参考までに、こちらは、先にあげた国際政治学者氏のツイートに対する、実際に祝辞を聞いた友人の感想を聞いた東大生のリプライ。
さて、ここで問題。
問1 河瀬直美氏の祝辞から抜き出した部分(図1)の要旨として、どちらが適切か選びなさい。
① ウクライナに正義があるのと同様、ロシアにも正義があり、ぶつかりあっているのでどっちもどっちである。
② 名前を付けるというとこは、世界に存在させるということだ。「悪」を存在させたなら、自制心を持って「悪」を拒否したい。
誰にむけての祝辞か確認しよう
この祝辞は、2022年度に東京大学の学部の新入生、約3,100人にむけられた言葉である。
東京大学は、河合塾のWebサイト東大塾によると、偏差値は67.5。医学部以外の学部では日本のトップレベル。共通テスト志願者数、53,0367人のなかのほぼ上位、3100人である。しかも、彼らはつい数ヶ月前に受験したばかり。受験勉強に関しては、キレッキレの状態である。社会経験は少ないが、知識レベル、読解レベルは同じ世代の日本人のトップの3,100人である。巷間、高名な学者さん達が指摘したような誤読を彼らがすることは、そもそも考えにくい。
一方、そんな彼らに興味をもって聞いて貰うにはそれなりの専門性とそれに基づく見識が必要だ。ここで河瀬直美さんが持ってきた素材は、「金峯山寺とその管長のひとこと」である。
一般的には、金峯山寺に関しては、知らない、そもそも読めない人が多いだろう。
Twitterで聞いてみたところ、母数がすくなくて恐縮だが、存在も読み方も知っている人は半数だった。
だが、ここでも、東京大学の新入生が聴衆だということを忘れてはいけない。一般の受験生は、空海・真言宗・金剛峯寺、最澄・天台宗・比叡山延暦寺レベルの知識止まりが殆どだと思うが、東大の新入生のうち日本史を選択した受験生は、弘仁/貞観文化の用語として触れられている、修験道、山岳信仰、役小角、金峰山を理解しているものが多いと思われる。奈良、世界遺産、役小角、金峯山寺というキーワードで吉野の山々と修験道を想起しただろう。
さて、ここで問題。
問2 つぎの単語に読み仮名を振ってください。
① 役小角 → ( )
② 金峯山寺→ ( )
世界遺産の構成要素・金峯山寺を知ろう
金峯山寺はきんぷせんじ、と読む。
奈良県吉野郡吉野町にあり、世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の登録資産である。
7世紀後半、飛鳥時代(古墳時代終末期)に、役小角(えんのおづぬ)という呪術者によって創立された、修験道の根本寺院(修行の中心となる場所)である。
役小角には、前鬼(ぜんき)・後鬼(ごき)という人に災いをなしていた夫婦の鬼を捕縛し、改心させて、弟子、従者としたというエピソードがある。「鬼はウチ、福はウチ」という節分のかけ声は、この話に由来する。
「鬼はウチ、福はウチ」と発声する寺社は他にもあるという指摘をみたが、その殆どが金峯山寺のしきたりに由来すると思われる。奈良県の下北山村の前鬼というところには、この鬼の末裔を名乗る一族が今もお住まいで、宿坊を営まれている。
また一方で、役小角は一言主という神が他の神と同様に働かなかったので、神であるにもかかわらず折檻して責め立てたというエピソードも持つ。
金峯山寺は神仏習合の特異な寺院、修験道信仰、山岳信仰の中心地であるものの、その後天台宗の一派として再興され、太平洋戦争後に天台宗から独立し、現在の金峰山修験本宗となり金峯山寺は同宗の総本山となっている。
祝辞の中で「金峯山寺というお寺の管長様」として言及されているが、正確に言うと金峰山修験本宗の代表としての肩書きが「管長」であり、金峯山寺の代表としての肩書きは「管領(かんれい)」である。現在は五條良知師が、金峯山修験本宗第5代管長・総本山金峯山寺第31世管領である。
なぜ、細かく言及したかというと「和尚さんの法話をそのまま書いとけばいいのに」という指摘があったから。その辺のお寺の和尚さんとは次元が違う人だということを知ってもらいたい。五條良知師は、平成8年に100日回峰行満行、平成28年に八千枚大護摩供満行、現在も世界遺産に「大峯奥駆道(おおみねおくがけみち)」として登録された道を駆ける東南院大峯奥駆修行の大先達(だいせんだつ)を毎年勤める方なのである。この五條良知師がふともらした言葉は、なにかしら深い意味あるのではないかと思うのもうなずけるのである。おそらく、聴衆の東大生の中にはこの師のことを想起した人もいたに違いない。
問3 「金峯山寺というお寺の管長様」の説明として適切なものを選びなさい。
① その辺のお寺の和尚さん
② 現在も大先達として奥駆修行を続ける金峯山修験本宗第5代管長・総本山金峯山寺第31世管領の五條良知師
金峯山寺・蔵王堂の木材の多様性について
いかにももっともらしく読めるけれども、きちんと読むと、非難せんがための文章が比較的多くの読者を獲得している。この記事を参照しながら蔵王堂の木材の多様性について説明したい。
「山から伐ってきたまま」という表現の解釈について
皮を剥がずに、言葉通り伐採したままの木をお堂の建築に使うことなど、そもそもありえない。
ここは、一般的常識的にも、文脈、実際の蔵王堂からも、『「山から伐ってきたまま」と表現していることがおかしい』という人のほうがおかしい。
ここでは、自然木、もしくは白木のまま使っているという意味で「山から伐ってきたまま」と表現されたのだろう。
白木とは精選版 日本国語大辞典によると
とある。山野に自生している木々を製材せずに使っているという意味であり、建築物に使うので当然、枝打ち、剥皮、乾燥はされている前提だ。
様々な樹種が使われていることの意味について
蔵王堂の柱の多様性について語るには、やはり実物をみてほしい。見ることが出来ないのであれば、もう少し丁寧に事実確認をしてほしいものである。
樹種を統一できなかった、もしくは、当時の建築技術ならそこまで必要でなかったと記述されているが、蔵王堂の柱の多様性は、そんな単純なものではないのだ。
蔵王堂の説明板には、こう記されている。
樹種が揃わないにしても、太さは同じにできるのではないか。
そこをあえて、素材・自然木のまま使用しているのである。
この方のブログに先細りの柱や曲がった柱の写真が掲載されているが、これはあえて自然木の素材そのままを活かしたいという施主あるいは宮大工の意図が強く伝わる。
私が2年前に撮った蔵王堂の写真。
正面の「蔵王堂」と書かれた赤い提灯の左、白い「講賑会」と書かれた白い提灯の左下に「名木 つゝじの柱」という木札があるのが見えるだろうか。
堂内は撮影不可なのだが、こんな風に柱に樹種が書かれているのである。
堂内には「梨」と書かれた柱もある。
いくら樹種が揃わないからと言って、つつじや梨の木を使うだろうか。
それ以前に、あなたは、つつじや梨でこれだけ立派な太さの柱をみたことがあるだろうか。
これは、揃わないから仕方なしにつかったというよりは、あえて変わった樹種も揃えてみたのではないだろうか。
樹樹日記というブログの「蔵王堂の柱」の記事でも「ツツジと伝わる柱を奈良女子大学の教授が調査したところ、チャンチンだったそうです。中国原産のセンダン科の樹木で、日本の野山には自生しません。おそらく中国から寄進されたのでしょう。」と記述されている。
こちらの書籍にも、金峯山寺蔵王堂のチャンチン材について言及がある。
通説では、チャンチンは日本には徳川時代に渡来し、西日本の各地に植えられた樹種とされている。蔵王堂が再建された天正20年(1592)年の時点では、蔵王堂で使われているサイズのチャンチンは日本で植えられたというより、中国から運んできた木材と考えるほうが自然だろう。樹種が揃わなかったから仕方なしにという見方は、非常に浅はかだと考えざるを得ない。
問4 金峯山寺本堂・蔵王堂の堂内の柱は「全部で68本あり、1本として同じ太さのものはなく、すべて自然木を素材のまま使用している。柱の材質も様々で、杉、桧、欅の他にも梨やツツジの柱もあり一定しない。」。
この理由として考えられるのは、以下のうちどちらか。
① 秀吉の権力で大径木を調達できたものの樹種を統一することはかなわなかった、あるいは当時の建築技術ならそこまで必要がなかった、という実際的な事情。
② あえて先細りや曲がった自然木を採用し、チャンチンや梨などの当時としては一般的でない樹種を利用していることは、宗教的な意図とは言い切れない物の、施主や宮大工のなにがしかの想いがあったのだろう。
樹種の多様性と自然木を活かした建築の意図とは
以上の樹種の多様性と自然木の利用、2つのことから考えるに、一定の木材が揃えにくいという状況はあったにせよ、施主と宮大工が、あえて、多様な樹種を自然木のままで堂宇を建立しようとしたのはほぼ間違いないだろう。
そこにどんな意図を持たせたかったのかは、今となっては不明ではあるが。それは、国宝に認定され、世界遺産の中核資産としても登録されている、高さ34m、木造古建築としては東大寺大仏殿に次ぐ大きさの堂を建造する際の制約事項とするにはあまりにもチャレンジングな試みであり、なにかしらの想いがあったであろうことは想像に難くない。
このような傍証が得られるにもかかわらず、それを否定してみせ、「偽史のすすめ」とまで揶揄する「河瀬直美氏による蔵王堂の木材の解釈について」は、あまりにも浅薄な知見に基づき、河瀬直美氏を批判せんがための文章さと言わざるを得ない。
まとめ
まだ、東大寺・法相宗のおしえの話や、河瀬直美監督の実質的なデビュー作かつての西吉野村で撮影した「萌の朱雀」に関しても言及したいところであるが、取り急ぎここまでにとどめる。
テキストがテキストのまま、誤読されずに読まれることを切に願う。
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