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〇 ディアンジェロ・ライヴ・アット・ジ・アポロ(アーカイヴ映像、セットリスト付き)

〇 ディアンジェロ・ライヴ・アット・ジ・アポロ

【D’Angelo Live At The Apollo Theater With Verzuz】

(本文は値段がついていますが、最後まで無料で読めます。読後サポートしてもよいと思われた場合、購読などでサポートしていただければ幸いです。この本文は約10000字。「黙読」ゆっくり1分500字、「速読」1分1000字換算すると、20分から10分。いわゆる「音読」(アナウンサー1分300字)だと33分くらいの至福のひと時です。ただしリンク記事を読んだり、音源などを聴くと、もう少しさらに長いお時間楽しめます。お楽しみください)

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1.ディアンジェロ・ライヴ@アポロ・シアター

〇ディアンジェロ・ライヴ@アポロ・シアター

【D’Angelo Live At The Apollo Theater With Verzuz】

ヴァ―サス。

インターネット上で「ヴァーサス」という音楽プログラムがある。不定期に行われているが、ライヴァル的存在の二組のアーティストをステージにあげ、お互い競い合ってパフォーマンスを見せるというもの。

その特別版としてディアンジェロの単独ライヴがアポロ・シアターで行われ、その様子がインスタ・ライヴなどで配信された。

日本時間で11時開始だったが、遅れること約50分でDが登場した。

会場はアポロの劇場のステージではなく、廊下のようなエリアにステージを作ったという。

基本は、キーボードとトラックにディアンジェロが歌うスタイルで聴かせた。生ゲストでH.E.R.、トランペットのキーヨン・ハロルド、ラッパーが2人(レッドマンとメソッドマン)が参加。

これは、元々「ヴァーサス(対決)」という番組で、ディアンジェロ・ヴァーサス・マックスウェルという企画で、2月14日のヴァレンタイン・デイに企画された。だが、ディアンジェロの準備が整わず、キャンセルとなり、ディアンジェロはマックスウェルとのヴァーサスも断り、ディアンジェロ単独のものにしたという。番組のプロデューサー、スイスビーツとティンバランドがそれを彼のインスタで明かした。

https://www.revolt.tv/news/2021/2/28/22305587/dangelo-maxwell-in-verzuz-swizz-beatz-reveals

アーカイヴ(約2時間24分)


https://www.instagram.com/tv/CL01oHIDifN/?utm_source=ig_web_copy_link

レポート→



https://www.vibe.com/2021/02/dangelo-friends-verzuz-recap

キーヨン・ハロルドを迎えたおそらく新曲(「ラヴ・イズ・ザ・シング・メイクス・ザ・ワールド・ゴー・ラウンド」)から始まった。

アーカイヴを見ると、録音音源を使っているのかと思われる作品もあった。

通常だと「ヴァ―サス」という番組なので、二組がでるところをディアンジェロ単独でやっているところが、いつもと違う点。

2.セットリスト


-■セットリスト

D'Angelo and Friends Set List : 2/27/2021
“Solo Verzus”
D appeared 9:52pm (2/28/2021 11:52am Japan Time)
00. Shine Light On ‘Em (CD)
01. (Love Is The Thing Makes The World Go Around)?? (feat. Keyon Harrold)
02. Cruisin’ [Smokey Robinson]
03. Alright
04. Lady
05. Me and Those Dreamin’ Eyes of Mine
06. Left and Right (feat. Method Man and Redman)
07. Method Man's “Break Ups 2 Make Ups”
08. 1000 Deaths
09. Back to the Future, Part. 1
10. Sugah Daddy
11. Devil’s Pie
12. One Mo’ Gin
13. Chicken Grease
14. Feel Like Makin’ Love [Roberta Flack, Marlena Shaw]
15. Jonz in My Bonz
16. Really Love
17. Another Life
18. Send It On
19. Spanish Joint
20. H.E.R.'s Best Part
21. Nothing Even Matters (feat. H.E.R.)
22. The Root
23. Brown Sugar
24. Untitled (How Does It Feel)
Show ended 23:24 pm(NYT) (1:24pm=JST)

出演

ディアンジェロ (ヴォーカル、キーボード)
DJスクラッチ
ゲスト:
H.E.R.
メソッドマン
レッドマン

3. 過去関連ディアンジェロ記事

〇ディアンジェロがインターネット・ラジオ番組『レディオ・アワー・ウィズ・ディアンジェロ』をスタート~BGMを含めたセットリスト
2021/01/22

 
https://note.com/ebs/n/nb737d1231552

「魂(ソウル)のトランぺッター」キーヨン・ハロルド・ライヴ~パート1~マジシャンの如く七変化
2018年02月12日(月)


https://ameblo.jp/soulsearchin/entry-12351016830.html

ディアンジェロ、7か月ぶりのライヴはサイズダウンしたバンドで
2016年03月30日(水)


https://ameblo.jp/soulsearchin/entry-12144521852.html

■ディアンジェロ関連記事

アイザイア・シャーキー、ディアンジェロとの出会いを語る
2016年03月21日(月)


http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-12141237540.html

「ソウル・サーチン・ラウンジ第6回」満員御礼レポート(パート3)~ラルフのトーク絶好調
2016年03月20日(日)


http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-12140363681.html
(ディアンジェロ1995年初ツアーのドラマー、ラルフ・ロールがディアンジェロのデビューについて語る)

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4.なぜディアンジェロの開演は43分遅れたのか (パート1 of  2)

なぜディアンジェロの開演は43分遅れたのか (パート1 of  2)
2015年10月09日(金)


http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-12081901171.html

なぜディアンジェロの開演は43分遅れたのか (パート1 of  2 パーツ)

【The Reason Why D’Angelo’s Show Delayed 43 Minutes (Part 1 of 2 Parts)】

遅れ。

2015年8月18日(火)、ディアンジェロ(以下D)がお台場のゼップ東京で単独ライヴを敢行した。この日は夜7時半開演予定だったが、Dはなかなかステージに顔を出さなかった。BGMとしてDとも関連のあるJディラの作品がずっと流れていて、曲が終わり一瞬の静寂が訪れるたびに、観客は歓声をあげ、今度こそDの登場かと興奮した。それが何度か繰り返され、すぐには出てこなかった。結局、Dがステージに登場したのは、19時30分の開演予定から43分後の8時13分だった。

確かに時間にルーズだという話は流れていたが、その前のサマーソニックのライヴは大阪も東京もほぼ定時にスタートしていた。海外のアーティストでのライヴの開演遅れは珍しくはない。スティーヴィー・ワンダーなど平気で30分以上遅れるのだが…。

普通に気まぐれで遅れているのかとみな思ったことだろう。

だがこの43分遅れにはこんな秘話があった。2回にわたってお送りする。

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アンコール。

この日会場にいた方は、Dがアンコールでそれまでと違うギターを持ってでてきたことに気づかれたと思う。そのときは紹介されなかったが、後に、ティーム・ディアンジェロのツイートなどでこのギターがジミ・ヘンドリックスのギターだったことが紹介された。

なぜ、この日Dがヘンドリックスのギターを弾くことになったのか。これは彼の持ち物ではない。とある日本人(Kさん)が個人的に持っているギターを彼に貸し、Dが気に入り、プレイしたのだ。

Kさんは都内で楽器店を経営、個人でもギターなどの楽器を多数所有している。その中にこのヘンドリックスが使ったギターがある。彼がどのようにしてこのギターを入手したかは、後半(パート2)で詳しくご紹介する。

彼はコレクターとしては内外のミュージシャンの間では有名で、いろいろなミュージシャンが来日すると何々のギターがあるかなど問い合わせや連絡が来る。今回はディアンジェロのバンド、ザ・ヴァンガードのベース奏者ピノが以前からの友人でジミヘンのギターでも持って遊びに来ないかということになり、当日これを持ってお台場に出向いた。

3時過ぎに来てピノと旧交を温めているとジェシー・ジョンソンがこのギターを弾きたいと言い出した。ご存じの通り、ジェシーは大のジミー・ヘンドリックス・ファンだ。プリンスももちろん同じくヘンドリックス・ファン。

この日Dは4時過ぎからのサウンドチェックに現れなかった。そのリハのとき、ジェシーはこのギターをずっと弾いていた。それも、すべてジミ・ヘンドリックスの曲ばかりだ。どれほど、ジェシーがジミのことが好きで、このギターを弾くことが気に入ったかがわかるようなプレイだったという。

6時過ぎ、Dがかなり遅れて楽屋入りをした。

ちなみにDの楽屋に近づけるのは、セキュリティー、ヘア、スタイリストらと音楽ディレクターのジェシー・ジョンソンくらいだそうだ。音楽的指示などは、Dからジェシーへ、そして、ジェシーから各メンバーへ伝えられる。他のメンバーはDの楽屋にはなかなか入れない。

そこでDは、ジェシーからこのヘンドリックスのギターの存在を知り、弾いてみたいと思ったという。

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練習。

ただDはキーボードほどギターを得意というわけではない。さらに、ヘンドリックスは左利き。彼は右利き用のギターを左利き用に弦を張って使っていた。そこで、急遽右利き用に弦を張り替え練習をした。そのあたりで慣れるのに時間がかかったのだろう。

そこで、Dは、自身の楽屋に引きこもり、ひたすらこのジミ・ヘンドリックスのギターを練習し始めたという。ひたすら練習をしていた。それは周囲の人間は誰もわからなかったようだ。関係者も19時半開演の時刻を過ぎてもなかなか楽屋からでてこないDに徐々に焦り始めたらしい。5分10分程度の「押し」ならよくあるが、15分、25分、30分を過ぎると、さすがに周りは焦る。開場からずっと立ちっぱなしで開演を待っている一階のファンは、BGMで流れるJディラの曲が終わるたびに「やっとスタートか」と歓声を上げるようになっていた。

そして、約40分すぎてやっと、Dは納得いったのか、楽屋から出てきた。メンバーに声がかかりステージに進む。最後にDがステージに出て、観客席からはこれまでにない歓声が巻き起こった。それは開演予定時刻から43分遅れた8時13分のことだった。

つまり、40分以上登場が遅れたのは、Dが楽屋でひたすらジミ・ヘンドリックスのギターを練習していたからだったのだ。

本編が終わり、ミュージシャンたちが舞台そでに引き上げる。万雷の拍手がゼップにこだまする。しばらくして彼らが歓喜を受けながらアンコールのために戻る。

そしてDの手元には、そのジミ・ヘンドリックスの黒のストラトキャスターがあった。

(この項明日に続く)

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5.なぜディアンジェロの開演は43分遅れたのか (パート2 of  2)

なぜディアンジェロの開演は43分遅れたのか (パート2 of  2)
2015年10月10日(土)


http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-12082126042.html

謝礼。

2015年8月18日、ゼップ東京のディアンジェロ・コンサートのアンコールで使われた40年以上の歴史を持つジミ・ヘンドリックスのギター。その練習のために大幅に遅れた開演。

では、このジミ・ヘンドリックスのギターはどのような過程を経てKさんのもとにやってきたのか。その歴史を辿ってみる。

このジミ・ヘンドリックスのギターは、ジミ本人からミュージシャン、アル・クーパーがもらったものだ。

アル・クーパーは1944年2月5日ニューヨーク・ブルックリンに生まれたアーティスト。ギター、ベース、ハモンド・オルガン、キーボード、マンドリンまで弾くというマルチ・アーティストだ。ボブ・ディランのレコーディングに参加したり、ブラス・ロック・グループ、ブラッド・スエット&ティアーズを作った人物。のちに南部のロック・グループ、レイナード・スキナードを発掘する音楽業界での重鎮でもある。

アル・クーパーとジミ・ヘンドリックスは1960年代後期、お互いニューヨーク12丁目界隈に住み、よく会っていた。ライヴハウスはもちろんのこと、路上などでもばったり会うようなご近所さん同士だったのだ。

ジミ・ヘンドリックス(1942年11月27日ワシントン州シアトル生まれ)は、1967年7月から1968年8月まで1年以上かけて「ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンス」名義で通算3枚目、そして結果的に最後のアルバムとなる『エレクトリック・レディーランド』(2枚組)を録音する。このアルバムは2枚組ということでかなりの量の曲がレコーディングされた。

この録音セッション中アル・クーパーは、「ロング・ホット・サマー・ナイト」という曲でピアノを弾く。ヘンドリックスはクーパーに、感謝の気持ちでそのときこのアルバムを録音するために弾いていた黒のストラトキャスターのギターをプレゼントすると言った。クーパーはこれを遠慮するが、ヘンドリックスは翌日クーパーのアパートに送りつけてきたというのだ。正確な日付はわからないが、こうしてクーパーは1968年8月までにヘンドリックスのギター、黒のストラトキャスターを手に入れた。

ジミ・ヘンドリックスがかの『ウッドストック』に出演するのは1969年8月18日なのでその1年以上前のことになる。

そして、それから約1年後の1970年9月18日、ヘンドリックスはロンドンで死去する。27歳だった。

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価値。

アル・クーパーは多彩な楽器をプレイするがメインはやはりキーボード系、ただギターも弾くので、彼がツアーにでるときは、しばしばこのヘンドリックスのギターを持っていったという。けっこう気に入っていて、ステージでもよくプレイしていたそうだ。

クーパーはこの頃までに、ロスの自宅に何度か泥棒に入いられたことがあり、都会の喧騒から落ち着いた治安のよい環境に移りたかった。そこで1990年春にアメリカ南部テネシー州ナッシュヴィルにいい一軒家を見つけ引っ越し、そこに機材などを置き、新しい生活を始めた。

引っ越して3か月くらいしたある夜、初めて友人たちと夜中まで飲んで帰ってくると、窓が割れ、扉が少し開いていた。「泥棒にでも入られたか」と恐る恐る中に入り、誰もいないことを確かめると一目散にヘンドリックスのギターを置いていた場所に走った。すると、はたせるかなギターは無事だった。いくつかキッチンのものがなくなっていたようだったが、金目のものは盗まれていないようだった。ところが一週間ほど留守をしていた奥さんが戻ってくると、なんと彼女の宝石がなくなっていることがわかった。

その地域は一見安全そうな地域だったが、すぐにアラームをつけた。しかし、その後も裏庭にあったものがなくなったりして、見た目ほど治安はよくないようだった。そしてクーパーはいてもたってもいられなくなった。

そのときは、ヘンドリックスのギターは被害を免れた。しかし、彼は「もし自分がそのとき家にいたらどうなっただろうか」「ひょっとして強盗に殺されていたかもしれない」などと考えるようになり、自分が持っているコレクションを処分しようと考えた。

そこで、クーパーは親しいロス・アンジェルスの楽器ディーラーにこのヘンドリックスのギターを手放してもいいので仲介役になってくれと頼んだ。これより先に、ヘンドリックスの別のギターをジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスのドラマー、ミッチ・ミッチェルが25万ドル(仮に1990年として、当時のレート1ドル150円とすると約3750万円)で売却していたことが知られていた。推定でもそれくらいの値段が見積もられた。

それほど貴重な価値あるギターだったら、警備の厳重な倉庫に置いておいたらどうかという意見もあった。だが、クーパーは「このようなギターは、倉庫に置いといてもオウナーにとっては嬉しくない。これをいつでもプレイできて、しかも安全に身近に置いておきたい。それができないなら、手放す」という考えだった。「ミッチがあんな値段で売ったんで、このギターは悪い奴らを引き寄せるような気がしてきたんだ」という。

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放出。

そして、そのディーラーと個人的に付き合いのある日本のKさんのところに「アル・クーパーが持っているジミヘンのギターを手放してもいいと言ってる」という話が来た。さすがにそれほどの大金は用立てできなかったが、それでもなんとしてでも欲しかった。そこでいろいろ考え、ジミ・ヘンドリックスのストラトと相応するギター・コレクション・プラス・アルファと交換ならどうだろうということでやりとりをした。

様々な交渉の末、ジミヘンのギターとの交換が成立した。一応、信ぴょう性を得るためにアル・クーパー本人のビデオ証明をもらったという。

こうしてこのジミ・ヘンドリックスのストラトキャスターがKさんのものになった。1990年代初期のことだという。

この黒のストラトは、ジミ・ヘンドリックス→アル・クーパー→(仲介人を経て)Kさん、ということで、Kさんが3代目のオウナーということになる。

ちなみに、ジミ・ヘンドリックスは割と気前よくギターを友人に上げることもあったという。その中で有名なものは、ヘンドリックスがウッドストックでプレイした白のストラトで、前述した通り、これをジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスのドラマー、ミッチ・ミッチェルにあげたという。

その後ミッチがイタリア人のコレクターに25万ドルで譲り、それをビル・ゲイツ(マイクロソフト=本社シアトル)のパートナー、ポール・アレンが購入した。アレンは十代の頃から趣味でギターをプレイ、その後、ビジネスマンと成功してからもソニー・レガシーからアルバムを出すほどのギター好きだ。このポール・アレンは2000年、シアトルにポップ・カルチャーの物を集め展示するEMPミュージアムを設立。現在はそのジミ・ヘンドリックスのギターやその他の価値のあるギターなどが同博物館に展示され、誰でも見られるようになっている。

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ワン・オブ・ア・カインド。

Kさんは、これまでにもこのジミ・ヘンドリックスのギターを何人かのミュージシャンに見せたが、サウンドチェックなどで多くのギタリストが試して弾いた。たとえば、スティーブ・ルカサー、スーザン・テデスキ、デレク・トラックス、ドイル・ブラムホール、ウォーレン・ハインズ、レニー・クラヴィッツ、ディーン・ブラウン(ロバータ・フラックのギタリスト)、ハイラム・ブロック、マイク・スターン、ナイル・ロジャース、ジャック・ブルース、ヴァーノン・リード、スティーヴ・クロッパー、ブライアン・セッツァー、リック・ニールセンなどがいるという。その中で実際に本番、ステージでプレイしたのは、ディアンジェロ、スーザンとウォーレンだけだという。

今回もジェシー・ジョンソンが思い切り気に入って、それもヘンドリックスの曲ばかりをプレイしたことを見られたのは、Dのオープニング(前座)としては最高のものを見せてもらったとKさんは振り返る。

ピノ、アイザイア(いずれも今回のDのツアーメンバー)、そして、ジェシー曰く「このストラトは最高のストラトで、チューニングが狂わない。演奏性が最高でノンストレスでいくらでも弾いていられる」という。ベース奏者のピノは元々ギタリスト希望だったので、ギターもかなり上手だという。

Kさんはこの日、ギターのほかに実際にヘンドリックスが使っていたというワウペダル、ファズフェイス、オクタヴィアも持って行ったが、使われなかったそうだ。そうした電気ものは事前のサウンドチェックを綿密にしておかないと危ないので、当日は使われなかったようだ。

ちなみに、これまでにこのギターを欲しがったアーティストもいた。特にレニー・クラヴィッツはかなり欲しがり、クラヴィッツのものと交換しようと申し出た。だが、Kさんはクラヴィッツのギターとヘンドリックスのギターではちょっと格が違いすぎるということで断った。それはクラヴィッツも十分理解したという。彼は言う。「僕は、ワン・オブ・ゼムではだめだとおもう。ワン・オブ・ア・カインドでなければ」。 

これは実にかっこいいではないか。クラヴィッツはまだ多くの人の中の一人。一方ヘンドリックスは唯一無比。

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43分。

ディアンジェロのライヴ開始を43分も遅らせた一本のギターには47年以上の歴史があった。ジミ・ヘンドリックス→アル・クーパー→Kさん→ディアンジェロ。長い歴史の点と点が線につながった瞬間だった。

音楽、ミュージシャン、楽器。そこには計り知れぬほどの歴史とエピソードが満載だ。そのすべてを知ることは不可能だが、たまたまこうしてその歴史の一部を我々は聞くことができた。それを与えてくれた音楽の神様に感謝だ。

ディアンジェロが43分開演を遅らせてまで練習したジミ・ヘンドリックスのギター。

待たされている間に流されていたJディラの音源を聴くたびに、あの43分のこと、そして、このヘンドリックス・ギターの歴史に思いを馳せることができる我々は幸せだ。

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Kさん、貴重なお話、本当にありがとうございます。

アル・クーパー自伝も参照しました。

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6.過去関連記事さらに

ディアンジェロ・ライヴ@ゼップ(パート1)~リアル・ミュージシャンのリアル・ミュージック~
2015年08月20日(木)


http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-12063447784.html

ディアンジェロ・ライヴ評(パート2)~ライヴでのもっともソウルだった瞬間10
2015年08月21日(金)


http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-12063894114.html

ディアンジェロ・ライヴ評まとめ
2015年08月26日(水)


http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-12065505502.html

上記「ライヴ評まとめ」に、加えて2015年9月30日にアップされたアベハ・マリポッサさんのライヴ・レポート。

これは素晴らしいライヴ・レポート。読み応えたっぷりの長文と美しい写真も。今回のディアンジェロ・ライヴ評で一番読ませます。前座Jディラのセットリストへのリンクも。(本文内) 

サイト: STRONGER THAN PARADISE 踊るシャーデー鑑賞記
筆者:Abeja Mariposa (アベハ・マリポッサ) 踊るシャーデー・ファン。
2015年9月30日公開

http://strongerthanparadise.blog122.fc2.com/blog-entry-513.html

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ディアンジェロが『タヴィス・スマイリー・ショー』に2日にわたり出演(パート1)
2015年09月06日(日)


http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-12069707600.html

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