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ジミー・ジェームス83歳で死去~日本でもディスコで「ポイント・ハッスル」「ディスコ・フィーヴァー」などがヒット

ジミー・ジェームス83歳で死去~日本でもディスコで「ポイント・ハッスル」「ディスコ・フィーヴァー」などがヒット
 
【Jimmy James (Of The Vagabonds) Dies At 83】
 
訃報
 
ジミー・ジェームス Jimmy James が2024年5月14日、ロンドンのノースウィック・パーク病院で死去。83歳。家族が発表した。家族によると、パーキンソン病に罹患しており、心臓の状態がよくなく、昨年、事実上引退していた。ジャマイカ出身、ロンドンを本拠に活躍してきたソウル・シンガー。1960年代からジミー・ジェームス&ザ・ヴァガボンズでヒットを出した。
 
1940年9月13日ジャマイカのセント・アン、ブラウンズ・タウンに生まれ、1950年代終わり頃、キングストンに移住。ここでミュージシャンとして活動、同地のプロデューサー、リンドン・ポッティンガー、クレメント・ドッドなどの元でレコードを制作。そこでオリジナル版のバラード「カム・トゥ・ミー・ソフトリー」を録音。その後、同地のヴァガボンズのリード・ヴォーカルに抜擢された。このヴァガボンズはベース奏者、コルストン・チェン、そのいとこフィル・チェンがいた。フィル・チェンはさらに後にロッド・スチュワート・バンドのベース奏者になる。
 
さらに、1960年代ヴァアボンズの一員としてレコードがイギリスでヒットしたため、イギリスツアーが組まれ、1964年イギリスに行ったところ、そのまま移住。
 
ヴァガボンズはファンキーなダンス・グループとしてロンドンのクラブでも人気を博し、70年代に入り日本でもいくつかのディスコ・ヒットを放った。
 
Jimmy James obituary
Garth Cartwright
Thu 16 May 2024 14.59 BST

 
 
Jimmy James, 84, passes away
 

 

 

 
(どちらの記事も死去年齢を84としているが、正しくは誕生日前なので、83)
 
インド出身、ロンドンをベースに活躍していたプロデューサー、ビドゥーがてがけるようになってヒットが出るようになった。
 
ビドゥー・プロデュースの「I Am Somebody」には当時発売元のテイチクが日本のディスコではやり始めていたステップ「ポイント・ハッスル」という邦題を付け、これが大ヒットした。
 

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他に「カム・ソフトリー」「アイル・ゴー・ホエア・ユア・ミュージック・テイクス・ミー」「ディスコ・フィーヴァー」などのヒットも。
 

 
ビドゥーはほかに、ティナ・チャールズなどもプロデュース。またビドゥー自身もビドゥー・オーケストラなどの自己名義アルバムをだした。
 
ジミー・ジェームス Jimmy James ジミー・ジェームスはその後ソロに転じたり、別メンバーを集いグループを再開したりした。迫力あるジェームス・ブラウン張りのソウルフルな歌唱が魅力。こんなテレビライヴ映像も「Now Is The Time」→
 

 
ジミー・ジェームスは妻ポーラ、5人の息子、2人の娘、孫、2人の姉妹、甥姪らによって送られる。
 
 
 
OBITUARY>James, Jimmy 9/13/1940 – by 5/14/2024, 83 years old
 
 

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