『スーホの白い馬』への道
柳原由香(Sop)、滝 千春(Vn)、丹羽紗絵(Vn)の3人が新たに立ち上げたクラシック・プロジェクト 《Ensemble Creation》 が目指す音楽表現とは?
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2023年2月23日(木・祝)、《Ensemble Creation》第1弾プロデュース公演の題材として彼らが取り上げたのは、誰もがよく知る絵本『スーホの白い馬』。
なぜ『スーホの白い馬』だったのか?
彼らがその答えに行き着くまでのプロセスから、《Ensemble Creation》という稀有なプロジェクトのコンセプトを紐解きます。
(以下、文責:滝 千春)
ヴァイオリン2台とソプラノという特殊な組み合わせであるが、この編成を生み出したのは「クラシック音楽」のあり方について、長く深く考えてきた者同士の強い引き寄せであった。この特殊な編成は、不安定ではあるが、その不安定さが私達に様々なアイディアを与えてくれる。そしてあくまで、3人で音楽を”create”することが主な目的であり、3人だけで仲良くコンサートをすることに全くフォーカスしていない。
ヨーロッパとアメリカで様々な文化や音楽の営みに触れてきた私達は、日本においての「クラシック音楽」の立ち位置やそのイメージを変えたいという強い想いがある。そしてその先に見据えているものはもっとスケールの大きいものである。
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私達が生活している中で触れている物、人、物事に関して、想像以上に「イメージ」に縛られていることに気づく。滝は特にこの「クラシック音楽」のイメージには特別な想いがある。
幼少期の頃、友人が家に遊びに来た時一番にしたことは、ヴァイオリンケースを見えない場所に隠すことだった。誰に何を言われたわけでもない。ただヴァイオリンを習っている事実を知られる何かしらの恐怖を感じていた。知らない間に植え付けられたそのイメージというものは恐ろしい。
さあ、その「イメージ」はなぜ「難しい」のか、「敷居が高い」のか、そして「退屈」なのか。
美術館の絵に置き換えると分かりやすく感じる。
クラシック音楽(バロック音楽も含まれると考えて)が宗教が絡んでいることも多いことから「共感」の意味では確かに私達日本人を遠ざける大きな要因とはなるだろう。でも私達は宗教画を見て何を思うだろうか。当時の職人たちが生み出したその作品の美しさには素直に息を呑むものがある。勿論「光輪」の意味であったり、「アトリビュート」を知ることだったり、知識を増やしその理解を深めることでより一層楽しめるのは間違いない。ただ、「美しい」と思うその感覚を持ち合わせているならば、それは全員に与えられた権利で、そこに「敷居」は必要ないはずだ。
宗教画は聖書の役割となり、字が読めない人々にキリストの教えを伝えていた。言葉を持たないその絵から学びを得るという、現代の私たちにとって想像し難い部分もあるが、崇拝する者のメッセージをその絵から汲み取り、自身の解釈で自らに宿す。
これが「イマジネーション」で、人々の「芸術」の営みの第一歩目になったとは考えられないだろうか。なぜなら「絵」が持つ力が「心」に直接届くことがここで証明されているからだ。
伝え方を間違えると、そこに工夫をこなすことを惜しむと、多くのことは「退屈」になり得る。
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日本の「クラシック音楽」が「芸術」と結びつきにくいのは、日本の「教育」の在り方が大きな要因の一つとしてある。
中学時代の音楽の授業を振り返っても、取り上げられる題材はパターン化され、ありふれたバックグラウンドのような音楽しか存在していないかのように現場では紹介され、そこに芸術が本来持つ「深み」までどうしても届かない。「音楽鑑賞会」と題され、数少ない生の音楽会に触れる貴重な機会でさえ、「聴いたことある」音楽だけ聴かされて終わる。有名でないと楽しめないであろうと、子どもに対しての無意識な偏見が最優先され、なおかつその作曲家に対してすら、工夫や配慮にも欠けているように思えた。
大人達自らも実は気づいていない「本気でない」行いは、感受性が高い年齢の当時の中学生の私達に何も残すことは無かった。そして、その中学生達は今の「大人達」である。
クォリティ以前に「メッセージ性」がないことの恐ろしさに気づくのは、海外に行ってしばらく経ってからだ。そんな「教育」を受けて育った大人達が今、「クラシック音楽」に興味が向きづらいのはごく当たり前のことである。そしてその工夫と配慮の足りなさはこの業界にはずっと蔓延していて、皆どこかで「諦め」ることに疑問を持たず、足踏み状態にあると感じてしまうのは私達だけであろうか。コンテンツとしても「クール」に成長していかないのは、そこに原因があるからではないだろうか。
難しいなら、簡単にすればいい、というのも私達の中では意に反する。芸術に対してのリスペクトを大事にしたいからだ。
「芸術とは何か」を問うならば、ひとつは「答えがないもの」もしくは「答えが無数にあるもの」と定義したい。提供する側が答えを聴衆に与えることが芸術でなく、両者がその先にあるであろう「何か」を、それぞれの心に持ち帰ること。聴衆をただの受け身にさせることではない。
「何か」が心の奥底にある感情や想像力を掻き立たせ、時に人生と重ね合わせ共鳴させたり、時に触発されて新しい何かが生まれたり。受け取る側次第で変わる「余白」をどれだけ輝かせることができるか、それが提供する側の役割であると捉えている。
ここでようやく、今回の『スーホの白い馬』の話をしたい。
活動のスタートとして、3人だけで出来る何かをまず考えた。私達の強みのひとつは、柳原が持つ、言葉に魂を宿す力だった。そこで「物語」を探してみることにした。そこで丹羽が注目したのが、以前から好きだという『スーホの白い馬』だった。モンゴルという舞台が民族的要素を持ち、「喜怒哀楽」全ての感情がこの物語では感じることができる。ヴァイオリンの先祖とされる「馬頭琴」が出てくることも決して見逃せないポイントだ。
では音楽はどうするか。「民族性」で注目したのはバルトークであった。彼は民族音楽の収集で長い時間をかけ旅をしていた。トルコにまで手を伸ばしていたが、モンゴルまで行ったという記録はない。ただ、多数の国で生まれた民族音楽の不思議な共通点は、バルトーク自らが発見している。
期待以上にバルトークの生み出した民族的響きは、モンゴルの「スーホの白い馬」の民族性に綺麗にハマってくれた。2本のヴァイオリンという編成と、曲一つ一つが短い事での物語との絡みやすさ、これらの奇跡にも大きく助けられた。
バルトークという作曲家の視点から話をすると、彼は決して「親しみのある」作曲家ではないのだろう。『ルーマニア民俗舞曲』は唯一万人が知っていると言えるほど有名だが、それがバルトークの作品であると、どれくらいの人が知っているであろう。今回は、この物語と合わせることで、普通のコンサートでは数曲しか演奏されるチャンスがない『44のヴァイオリン二重奏曲』のほとんどの曲を制覇し、説明じみた表現を避け、作品の魅力を伝える事に成功した。
『スーホの白い馬』のメッセージは多様に捉えることができるが、私達は「不条理に大切なものを失った憤りや悲しみに対して、どう前に進んでいくか」、そして「愛」がテーマとして強く浮かび上がるように感じている。「生と死」は永遠の大きなテーマであるが、耐え難い「死」をも、愛によって新たな「生」に形を変える。そんな見解は柳原の言葉と歌に乗せて聴衆に伝えたいと思った。
国は大きく変わるが、ゲーテの詩によるチャイコフスキーの『ただ憧れを知るものだけが』を通し、少し大人な「愛」に触れてみる。日本語とドイツ語で柳原はその歌詞を読み聞かせるが、それ以上の説明は不要だ。「孤独」「憧れ」そして「憤り」。大人ではあるが「スーホの白い馬」から伝わる「愛」と決して遠くない愛の形だ。さまざまな葛藤の壁を乗り越えてきた大人達には深く刺さることもあるだろう。その美しいメロディーは当然子ども達にも違和感なく染み込んでいく。
この物語に触れて、この音楽に触れて、この詩に触れて、聴衆が実際何を持ち帰るかは、私達は知る由もない。そこに答えがないからだ。
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この『スーホの白い馬』は単なる子どもターゲットのプロジェクトに収まっていない。今回に関しては、私達はあえて「子ども」という言葉を使うが、本来は子どもも含めた「次世代」の人達を意識しており、これからもその「次世代」を含めた多くの人達に芸術の素晴らしさを伝える活動を継続的に行なっていきたい。
その正しい伝え方を、私達は知っていると自負している。
Ensemble Creation
柳原由香
滝 千春
丹羽紗絵
Ensemble Creation(アンサンブル・クリエイション)
柳原由香(ソプラノ)、滝 千春(ヴァイオリン)、丹羽紗絵(ヴァイオリン)。ヨーロッパとアメリカ、それぞれのフィールドでグローバルに活動してきた3人によるクラシック・プロジェクト。情報が蔓延し、不安が渦巻く生きづらい世の中だからこそ、〈芸術〉によって人間が誰しも生まれ持つ〈想像する力〉を呼び覚ますことが、音楽家の果たすべき社会的使命であるとの思いで2022年活動をスタート。日本の、そして世界の気鋭の音楽家たちとの協働にも積極的に取り組み、アーティストと聴衆が共に創造し、共感し合える新たな音楽表現活動を展開予定。
柳原由香(ソプラノ)
Yuka Yanagihara, soprano
沖縄県立芸術大学音楽学部音楽学科声楽専攻卒業。明治安田クオリティオブライフ文化財団海外音楽研修生として、ハンス・アイスラー音楽大学ベルリンに留学。ドイツ・ベルリンを拠点とし、演出家D.マルトン、S.ホルムと共に、現代音楽オペラ、Musiktheaterでヨーロッパの劇場で活躍。2015年日生劇場『ドン・ジョヴァンニ』でドンナ・エルヴィーラ、18年にはリヨン歌劇場で同オペラのツェルリーナとしてデビュー、France3でも放映され好評を得る。19年には、ルクセンブルクで初演された日本の昔話『桃太郎』(演出:菅尾 友、作曲:M.F.ラング)でタイトルロール、21年から東京で開催されている「サラダ音楽祭」で、子供の為のオペラ『ゴールド!』(作曲:L.エヴァース)の日本初演で1人4役を演じ好評を得る。今までに、読売日本交響楽団、東京フィルハーモニー交響楽団、京都フィルハーモニー室内合奏団、セントラル愛知交響楽団、エストニア・タルトゥ交響楽団、タリン室内楽オーケストラ、リヨン国立歌劇場管弦楽団と共演。
滝 千春(ヴァイオリン)
Chiharu Taki, violin
ユーディ・メニューイン国際コンクール第1位など数々の国際コンクールに入賞。国内外ソロリサイタルをはじめ、各地主要オーケストラにおいて、ユベール・スダーン、ゲルト・アルブレヒト、小澤征爾など、数多くの指揮者と共演。スイスのアニマート・オーケストラにコンサートミストレスとしてヨーロッパ各地の著名なホールで好演後、スイスのダボス国際音楽祭に招かれ、同年にはベルリン・フィルハーモニーにて新ベルリン交響楽団と共演。3年間ピクテ・ジャパン株式会社の「ピクテ・パトロネージュ・プロジェクト」アーティストとして活動。デビュー10周年記念で開催した「オール・プロコフィエフプログラム」は好評を博し、翌年フランスのムジカ・ニゲラ音楽祭に招かれ大好評を得た。2019年1月にミュンヘン放送管弦楽団のコンサートミストレスに短期就任。東京オペラシティの「B→C」では過去最多の共演者、楽器、ジャンルで話題となる。22年9月にはブダペストFar Eastern Classic Music Festivalに招待され好評を得た。23年5月にアルバム「Prokofiev」発売予定。
丹羽紗絵(ヴァイオリン)
Sae Niwa, violin
全日本学生音楽コンクールにて第2位を受賞。ストラディバリウス国際コンクール、スウェーデン国際デュオ・コンクールにて入賞。桐朋女子高等学校音楽科卒業後、全額奨学金を得てニューイングランド音楽院にて、ドナルド・ワーレンシュタイン氏より師事。ジャスパー弦楽四重奏団のヴァイオリニストとしてディスペカー・アーティストと契約し、11年間アメリカ国内外の著名なコンサートホールでの演奏会、アウトリーチ等、年に100本を超える演奏活動を行う。コールマンを始め、数々の室内楽コンクールにて最優秀賞、観客賞を受賞。ニューヨークカーネギーホール、ロンドンウィグモア・ホールなどでデビューし、共に満席となり好評を得る。カーネギーホールではその後も6公演行う。オーバリン音楽院、テンプル大学、スワフモア大学にて講師の教職兼任の客員レジデント・カルテットを務める。ソノ・ルミナス社からCDを5枚リリース、『UNBOUND』はアカデミー賞にノミネートされる。2021年、20年のアメリカ生活を終え日本に本帰国し、銀座・王子ホールにて凱旋リサイタルを行い、満席となり好評を得る。その後、室内楽を始め、NHK交響楽団の第1ヴァイオリンや読売日本交響楽団の第2ヴァイオリン首席客演奏者として呼ばれるなど、今後の日本での活躍が期待されている。