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サッカー協会とヴィッセル神戸

2023年、ヴィッセル神戸がついに悲願のJ1リーグ優勝を成し遂げました。
ヴィッセル神戸に関わるすべての皆様におかれましては、誠におめでとうございました。苦節ウン十年、正直生きてるうちに優勝見れるとは思いませんでしたよ。。。
今になって振り返ってみれば、就職のタイミングで神戸に移り住み、いつの間にやら30年近くが経過してしまいました。なんの因果かサッカー協会の仕事に携わるようになり、ちょっとPC使えるからという安易な理由で、ヴィッセル神戸の運営に巻き込まれるようになりました。今思い出してもムチャクチャな流れでした。
なんだか単なる自己紹介みたいになってはしまいますが、ヴィッセル神戸と神戸市サッカー協会の関係性について軽く触れたいと思います。(興味がない、知ってる人は回れ右)

どうやって神戸市サッカー協会に入ったのか

元々野球少年でしたが、紆余曲折を経て高校からサッカーを始めることになりまして、周囲のサポートのお陰で、大して上手くはなかったものの県内ではそこそこの成績を残すまでのレベルまで進みました。その成功体験が、楽しいだけではなかったサッカーがライフワークになるキッカケになりました。で、いざ就職となったら氷河期真っ只中。なんとか実家近くでの就職を目論むも叶わず、はるか彼方の兵庫県は、とある重工業(じゃないほう)に勤めることとなりました。仕事なんかそっちのけで、職場の先輩を伝ってサッカー部の門戸を叩き、入社の翌週にはサッカー部に入部していました。

そして入社の翌年、神戸で行われたレコパカップ。この大会運営に神戸市サッカー協会が関わっていたんですが、人手が足りないということで神戸市社会人リーグのチームにお手伝いの声が掛かり、私は紙チケットのカウント係に当てられました。記憶が曖昧ですが、その大会打ち上げの席上でそこそこ上の役職の方に声をかけられ、神戸市サッカー協会 1種委員会でお仕事をすることとなったのです。自分から立候補したとか入れてください!とかではなく、要するに勢いというか一本釣りって感じでした。

神戸市サッカー協会でのお仕事

当時は右も左もわからない状態で協会にブチ込まれましたが、ひとまず修行ということで運営部に組み込まれました。日程策定や試合会場での運営業務などが主なお仕事です。震災からまだ数年、利用できるグランドはまだ少なくて試合会場の確保だけでも大変だったことを覚えています。2,3年ほどしてから、「お前、PC使えるんやったらちょっとヴィッセルの仕事手伝わへんか?」と言われ、はぁまぁやりますけどって回答した翌週にはユニバの電光操作室に放り込まれていました。

天皇杯かな?

よく分からんままに台本を渡され、指示通りにパワポとスコア表示のスポーツコーダーをいじくり、試合を見るのもそこそこにPCに張り付いたまま試合終了。「そこそこ出来るから、今後は電光担当な」ということで、この日を境にJリーグのスケジュールがプライベートに組み込まれるようになりました。この頃から神戸市社会人リーグの運営と並行してJリーグ、天皇杯、ルヴァンカップの運営にも携わるようになりました。2000年頃だったかな。

ヴィッセル神戸関係のお仕事


前述した通り、ヴィッセル神戸の試合のたびに呼ばれるようになりまして、次第に色んなところに手を出すようになりました。試合中のボールパーソン、公式記録員、大会当日のチケット販売などなど。いろんな業務に携わった結果、電光操作室での業務専任になりました。
ノエスタ、ユニバーでの試合前、試合中、試合後の大型映像装置の操作を担うようになりました。主にCM動画の送出、スタメン動画、試合中のスコア表示、選手交代表示などなど。素材自体は制作会社さんが作ったもので、我々はそれを流すだけ。
とはいえ、度々ミスって関係ないものを表示したり選手交代の選手間違えたりなど、スタジアムで目撃した方もおられたかと思います。ごめんなさい、私の仕業かもしれません。

いつかのリーグ戦

そういうミスがあった試合とかで負けたりするたびに、「俺のせいや…」とか落ち込んだりすることもありました。しまいにはJ2降格とかも体験したり。サポーター目線とはちょっと違いますが、ヴィッセル神戸がある意味人生の一部となっていきました。

現在の立ち位置

そんなこんなでヴィッセル神戸に関わり続けて30年近くになりますが、私のサッカー協会内での立場も目まぐるしく変わりまして、それなりの要職を務めさせて頂きました。現在はなんの因果か、全国社会人連盟の依頼を受けて、全国レベルの社会人大会のライブ配信を担当しています。

こんなチャンネルを作って、毎年のように全国行脚するようになりました。
本業に加えてサッカー協会業務、ライブ配信して自チームの運営もあったりして、目まぐるしい毎日を過ごしています。
そんなわけで、ヴィッセルの運営に関しては情報展開・配員スケジュール調整などなどがメインで、ほぼ現場には出ておりません(天皇杯は除く)
なぜ天皇杯は除くかというと、JリーグではなくJFA運営だからです。
JFA運営ということは各都道府県協会が運営の主幹となりますので、必然的に私にお鉢が回ってくるわけです。しかも平日水曜日に.…

大変ではありますが、やりがいもあり楽しく携わらせてもらっています。
指示系統・報酬・労務管理などを鑑みれば、やりがい搾取・ブラック企業そのものと見紛う所もあったりしますが、チームの勝利が最高のご褒美だったりするんですよね。勝った試合の時に見せる充実した表情の楽天スタッフの方々を近くで見ていてヒシヒシと感じます。

今後について

2024年度から、私は協会理事などの要職を離れてこれまでよりも自由な立場になります。とはいえ本業も多忙を極めており、なかなかサッカー一本槍で生きていくわけにもいきません。
ただ、兵庫県にやってきてからこれまで、ヴィッセル神戸とは切っても切れない縁で結びついてきました。様々な人との繋がりで培われた御縁を大事にしながら、様々な形で関わり続けたいと思っております。

いよいよ来年には私も50歳。これまで通り、家庭・仕事・サッカー・otherというプライオリティを維持しながら、面白おかしく過ごしていきたいと思います。これからもリアルでお付き合いのある方、SNS上での関わりのある方におかれましては、温かい目で見守って頂ければ幸甚でございます。

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とりとめもなく書き連ねましたが、もしヴィッセル神戸の業務に携わりたい方で、PC関係に強いなどの特殊技能をお持ちの方がおられましたら、是非とも私までお声がけください。色々と何とかなるかもしれません。

ほな!

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