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15年目の5月2日に 忌野清志郎さんについての思い出 個人的備忘録

今年もこの日が来た
忌野清志郎さんの15年目の命日だ
【推しの命日】
それはこの世で1番あって欲しくない日だと思う
私にとってはいまだに清志郎さんを想う日はむしろ4月2日である
清志郎さんの誕生日は清志郎さんが存命の時からずっと私にとっては特別な日だったから

正直いまのわたしは絶賛スラロス真っ只中
スライダーズの40周年記念公演が終わってしまったロス感からまだまだぜんぜん抜け出せてない
あくまでも一時的な再集結で一旦は終わりが来る物だと覚悟はしてたしコレで終わりと名言されてもいない
むしろ次の「いつか」に期待を持たせてくれる終わり方ではあったと思う
とはいえその「いつか」がいつになるのか分からない状態で暮らしていく日々がこんなにもキツいとは思ってもみなかった

このままではヤバい

気を紛らわしついでにせっかくnoteなんてもんを書き始めてみたし、さっき竹中直人さんのラジオ聴いてたらゲストの岡村靖幸さんがたまたま清志郎さんと同じマンションに住んでいた時期があったとの事で、時々サイクリングウエアにヘルメットを被った清志郎さんをお見かけしていたらしく、実は清志郎さんのファンだった岡村さんだったけど最後までお声をかけることができなかったという話しをされていて猛烈にわたしの思い出のドアがノックされた

今まで特に誰にも共有できたことのなかった私の忌野清志郎さんの思い出を、実際には1分以内に起こった出来事をだらだら書いて残しておいてみようかなと思う

漠然と抱いていた「いつか」
それが永久に叶わなくなってしまった思い出だ

便宜上「推し」という言葉で呼んでみたものの私はRCサクセションのファンではあったけど、バンドの活動を停止してからはチャボさんのソロワークの方に心酔していき、清志郎さんのソロワークに関しては『HAVE MERCY』以降長いこと離れてしまっていた

そんな私が久しぶりに手に入れた清志郎さんのソロアルバムが『GOD』だった
めちゃくちゃ良いアルバムで大好きだけど1曲だけいまだに「ママもうやめて」を聴くとモヤモヤするよ
児童虐待がテーマの歌で、ちょうどその頃有名な秋田の事件があったからテレビとかでも頻繁にかかったと思うけどぜったいに虐待という問題においてはママだけが悪者じゃないしママをそうさせたバックグラウンドにも言及してほしい
育児期間のナーバスな頃はあの曲は飛ばしてたw
それはさておきなぜ久しぶりに清志郎さんのアルバムを買ってみようと思ったかというと、めちゃくちゃ久しぶりに清志郎さんのステージを見た時に出てた最新のアルバムだったからだ

そのステージというのが2005年4月24日
代々木公園野外ステージで行われたアースデイ東京のチャリティーイベントだ
ステージイベントの他に出店ブースがあって、私はそこに作品を出品していた友人の手伝いとしてイベントに参加していた
清志郎さんのステージがある事は分かっていたので、その時間だけ抜けさせてもらえるように頼んであった

当時わたしは上の子がお腹にできたばかりで、子育てするならやっぱり田舎が良いかなと10年暮らした東京を離れる決意をしていた
爆裂に重かった悪阻が落ち着き、やっと少し外を動き回れるようになってきた頃だった

ブースを離れるのに少し手間取っていたらステージから爆音で「Rock Me Baby 」が流れてきた
急いでステージに向かうも、既にものすごい人が押し寄せていた
出遅れたけど頑張ってぐんぐん前にいく
もちろんお腹の子は心配だったけど少しでも前で見たいという衝動が止められなかった
流石に最前あたりはちょっと身の危険を感じるほどの観衆だったので中ほどでステージを見守る
GOD
トランジスタ・ラジオ

「熱いぜBaby!アースデイBaby!200円はらったか?200円払ったか?200円払っただろう?」
(ステージの前に行くには200円以上のカンパを募ったチャリティーだった)
「今年でデ、デ、デ、デビュー35周年を迎えました!みんなのおかげです!じゃあ35年前のデビュー曲をやらせてもらいます!」
宝くじは買わない
「代々木公園yeh ここに出るのが夢でした!
ボ・ガンボスみたいだろう」
仕草
「すごい人だ!ウッドストックみたいだ!」
REMEMBER YOU
JUMP
上を向いて歩こう
雨あがりの夜空に
キモちE
Baby何もかも

「戦争が1番の環境破壊だ」
「この国の憲法九条を知ってるかい?愛と平和だ 日本は戦争に加担しない まるでジョン・レノンの歌みたいじゃないか この素晴らしい法律をみんなもっと世界中に自慢しよう」
曲が進むごとにジャケット、シャツ、衣装をどんどん脱いでいき最終的にはタンクトップ姿になった清志郎さん
なんでこんなに19年前のイベントのこと書けるのかっていうと
この時会場に一緒に来ていた夫がもうすぐ生まれてくる我が子の成長をおさめるべく買ったばかりのホームビデオのカメラを持ってきていてなんと後方から撮影していたのだ

当時まだスマホなんてものはなく、ガラケーのカメラで撮れる動画なんてたかが知れていた
スマホがない時代だからこそ撮影禁止なんていうアナウンスも特になく、めちゃくちゃガチの望遠レンズ付きの一眼レフカメラで撮ってる人がたくさんいたし同じようにホームカメラ持ってる人が他にもたくさん映り込んでるそんな時代
今でも「2005年 アースデイ 忌野清志郎」でググると写真がたくさん出てくるけど動画は結構レアなんじゃないかと思う
ただし途中でカメラの充電が切れて「REMEMBER YOU 」の超良いところで切れてしまう

この時の「仕草」がこれからまさに家族が増えようとしている私にめちゃくちゃ沁みた
今聴いてもめちゃくちゃ沁みる
というか今となってはもう沁みすぎて泣ける

撮影禁止会場での動画撮影やSNSアップについてやいのやいの書いたnoteをついこの間あげたばっかで非っっ常〜〜に恐縮なんだけど所詮わたしは禁止されてなきゃ撮っちゃうのは仕方ないでっしゃろ程度の倫理観でやらしてもろてます
なんたってSNSもなかった時代だし時効であれ
映り込んでる一般の方への配慮と前半わたしがギャーギャー騒いでてうるさすぎるのでさすがに動画は載っけらんないけどちょっとだけ
↓↓↓

Keyは厚見玲衣
ダンナはVOW WOWのファンだったから沸いてた
映ってないけどもちろんギターは三宅伸治
ブルーデイホーンズ
そこには在りし日の片山さんの姿も

そのアースデイのイベントからたぶんわたしの記憶ではほんの2、3週間後、もしかしたら今くらいのちょうど5月の連休あたりだったのかもしれない
遠からずとも2ヶ月以内のある暑い日
わたしはまたその代々木公園から代々木八幡に抜けるある交差点で信号待ちをしていた
すると、ド派手なサイクリングウエアに身を包みロードバイクに跨った人がわたしのすぐ横に止まった
何気なく顔を見る
ヘルメットにサングラスをしているけどあの特徴的な口元の髭ですぐに誰だか分かった
「き、清志郎さん!!!ふぁ、ファンです!!!!」
コンマ5秒で脊髄反射的に口から出ていた
清志郎さんはちょっと恥ずかしそうにサングラスを取って
「うん、あ、どうも」
サングラスを外した目はちょっと怯えたようにチラチラという感じでしっかりとは目が合わない
すぐに信号は青に変わった
「がんばってください!!!!」
なにを?
よくわかんないけどとにかく咄嗟に言葉が出たしなんとわたしは清志郎さんと握手をしていた
今思えばこっちから無理矢理手を掴んでしまっていたのかも知れない
「うん、あなたもがんばって良い赤ちゃんを産んでください」
そう言って清志郎さんは青に変わった信号をあっという間に自転車で渡っていった

時間にしてたぶん数秒間の出来事
確かに私は妊娠中だったけど、マタニティマークなんてものも着けていないしまだお腹は言われないと分からない程度の大きさで、その頃まだ電車に乗っていても席を譲られるとかいうこともなかった
あの一瞬で私が妊婦だと分かったの?
今思えば、あの日私が会ったのはKINGでもGODでもなく、ただの2児の父親である清志郎さんだったのかもしれない

その後わたしがどこに行って何をしたかはぜんぜん覚えてない
なんのためにその日そこ歩いていたかも

ただあの暑い日に汗を流して少し息を切らしていた清志郎さんと確かに言葉を交わして握手してもらったという記憶があるだけ
道端で有名人に会って握手してもらった
簡潔に書けば140文字にも満たないそれだけの話だ

「ファン」なんて勝手なもんで
それまで清志郎さんのソロワークからすっかり離れてたくせにいざご本人目の前にしたら一気に心を持ってかれてそこからやっとまた過去のソロやユニットの作品をちょこちょこ聴きだした

その後田舎に引っ越したわたしは怒涛のほとんどワンオペワーママ育児期間に突入し(代々公でビデオ回してた夫は今でも一応夫だけどハイパー社畜だからそのカメラで子供の成長を捉えてきたのはほぼわたし)清志郎さんはおろかチャボさんのライブに行くこともままならなくなっていった

そんなある日飛び込んで来た清志郎さんの咽頭癌の公表
全く信じられなかったし実感もなかったし漠然とイヤぜんぜん大丈夫っしょ
GODが死ぬわけないっしょと思っているうちに武道館の完全復活ライブがあった
さすがに行きたい!と思ったけどその頃は絶賛乳飲み子抱えてて(嘘 さすがに乳は飲んでないけどわたしにとってはまだまだハイパーあかちゃんだった)しかも子供がと言うよりは私の方が我が子とかた時も離れたくないぜモードの時期だったのでまたいつか、そのうち
子どもの手が離れたらまた清志郎さんのライブ見に行こうと思っていた

いつか、そのうち、機会があれば

そんないつかは2度と訪れなかった
あのほんの数秒間がわたしが生きてる清志郎さんを見た最後になってしまった

あの時お腹の中にいた子は今年大学生になり、選挙権を手にした
彼にとって初めての選挙
私が投票に行く時めんどくささをブチ上げるために必ずかける曲「目覚まし時計は歌う」をクルマの中で一緒に爆音で聴きながら投票所に向かった
清志郎さん!
わたしがんばって良い赤ちゃんを産んで育てたよー!

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